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”良いこと”だけを知ったところで。


「人間は誰しも、決して他人には言えない秘密をひとつやふたつ持っているものだろう」と呟けるおとなのことをずっと、かっこいいと思っていた。心のどこかでその言葉に憧れ、それこそが'真意'だと信じたかったのかもしれない。他人に言えない秘密を抱えて日々を送ることを「生きること」だと勘違いしたまま、今日という日まで生きてきてしまった。

それなりの年数を生きてきた現在いまは、他人に言えない秘密を持たずに生きているひともいるということを知った。いや、「他人に言えないような秘密はあるけど過去そこに置いてこられるひと」と表した方が良いのかもしれない。他人に言えない秘密を忘れながら生きられるひともいる。そりゃあそうだ、みんなそれぞれ、生きやすいように生きているのだ。


忘れてしまったほうが楽になれる'辛い過去'も、苦い思い出も後悔もすべて、わたしはなぜか大切に抱えてしまっている。いつか成仏させてあげられるだろうと信じて。いつかその「苦痛」が素敵なかたちに変わってくれると信じて、大事に抱えている。
そして心の中のどこかで、この苦いものたちも"わたしの一部"だと思っているから、忘れることも捨てることもできない。なかったことになんて出来ない。でも最近は、それらを抱えてしまっているからこそ得られなかったものたちは私が思っているよりも多いのかもしれない、と考えるようになった。まあ、考えたところでわたしはそれらを手放すことなんて出来ないから、ただ「考えるようになった」というだけの話で終わってしまうわけだが。



ちなみに、わたしの苦い思い出の9割は「酒」が絡んでいる。曖昧なもので構成されたこの世界で、これほど因果関係が明確なものも珍しい。辛いことや苦しいことを経験してもわたしが「酒」と関わることを辞めないのは、ただの甘えや依存ではなくて、将来的に"傷だらけのおばあちゃんになりたい"、という野望が捨てられていないからだと思う。わたしは、痛みを知らない──知ろうとしない人間のことが心底嫌いなのだ。(言い過ぎていることは承知で)何のために生まれたんだ、と思う。それがどれほど遠い他人だろうと、行き場のない怒りに溺れる。

わたしは、自分の弱さや汚さ、愚かさを知るために酒を利用している。素面のわたしは、正しいことを知っていて、できる限り角が立たないようにまあるく生きようとしてしまう。なるべく波を起こさぬよう、傷つかないように、傷つけないように、善良な人間として、間違わないように生きてしまう。"人間が人間として存在していることは最初から間違っている"という前提を知らないふりして、のうのうと生きられてしまう。わざと戦争を起こして核を作るような、"間違った"人間として生きている自分の中で消えることのない矛盾を知るには、それを愛するには、どちらの側も知らねばならない。"薄汚れた自分"がわたしの中にいるということを忘れないように、わたしは、お酒のちからを少しだけ借りている。最悪、やめようと思ったらやめられる(たぶん)。正しく生きようと思えば、それっぽくはできる(たぶん)。でもそうはなりたくない。

いつかわたしも、「人間は誰しも、他人には決して言えない秘密をひとつやふたつ持っているものよ」と、物知り顔で言ってみる。奥ゆかしいワインを片手に持って、遠くを見つめながら。




この世には、好きでもない男と寝たことがないひともいるらしい。経験してきたことがあまりにも違い過ぎる他人と100%分かり合えることなんて、できるわけがないのだ。平和を求めるがゆえに戦争くらい簡単に起こしてしまえる人間の矛盾を、知らないまま生きようとは思えなかった。

二日酔いの苦しさを知らずに23歳まで生きてこられたひともいる。不思議なもんで、この世は、同じような生き方をしてきたひとが自然と周りに集まるように仕組まれているらしい。自分と同じような偏り方をしたひとたちと共鳴し合うことに酔いしれて、考えることや疑うことをやめて生きていくのは嫌だから、わたしはわたしの生き方を隠している。

良いことも悪いことも、理解できることもできないことも、味見くらいはしてみたい。一口だけちょうだいって。



それではまた。

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