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猫を生みたい女。

「結婚についてはわかるよ。でもね、”出産をする”という選択肢を取ることが当たり前だと思っている人がまだまだ多い世の中で、わたしが居心地よく生きて生かれるわけがないよね。人間か猫、どちらかを産むか選べますって言われたら迷わず猫を選ぶわ。」

かれこれ4時間ほどハイボールを飲み続けている彼女は、一瞬の息継ぎもせずにそう語った。前回会った際に「頭が焼けそうなくらい痛かったブリーチを2回もした成果よ」と自慢げに話していたピンク色の長髪には「もう飽きた」らしく、いまは黒髪のボブヘアが「一番しっくり」きているらしい。髪の色や長さ、身につけている服装やアクセサリーの系統が大きく変化しようと、彼女自身から溢れる空気のようなものは何も変わらない。
ぼくが彼女に最初に出会ったのは、彼女がまだ中学校を卒業したばかりの頃だった。いま思い返せばあの頃から彼女が選んで発する言葉はぼくの好みに合っていて、彼女の真っ黒な瞳には、万象の裏の裏まで見透かしているような鋭さが宿っていた。



男女の間に生まれる「好意」はすべて、恋愛感情と呼べるそれなのだろうか。男女の間で致す「行為」はすべて、生殖を目的としたものなのだろうか。別に何でもいいけれど、ぼくと彼女の間に確かに芽生えているこれを一体何と呼べば良いのか、誰かに教えて欲しかった。正しいのか間違っているのか、という判断は、必ず下さなくてはならないものなのだろうか。

10分ほど前に帰った3人組のサラリーマンが座っていたテーブルを片付けている店員さんを呼び止めて、追加のハイボールを頼んだ彼女に対して、ぼくが「何とも思っていない」わけがない。それだけは唯一言い切れる「事実」だった。


「猫を産むならどんな子がいいの?柄とか…」「人間は自分と出会う猫を選べないんだよ」
ぼくが絞り出した質問に対して彼女は待ってましたと言わんばかりのスピードで応える。


人間という生き物は、出会う猫も選べなければ出会う人間のことも選べない。出会うこと自体を選ぶことはできなくても、出会った後にどう付き合うかを決めるのは自分自身の選択によるものだろう、と言う人がいるかもしれないけれど、ぼくはそれすらも意思ではないと思っている。
意思にみえる、意思のようなものなのだと。

出会ってしまったら最後、特別な感情を抱くことも、触れられた肌に相手の体温以上のものを感じてしまうことも避けられない。そういうことが起こるのが人生だろう。人間たちは自分たちの「意思」だけでセックスをしていると、本気で信じているのだろうか。
彼女や妻というわかりやすい肩書きが重要だという主張を否定するつもりはないが、そういう「誰にでも通じるラベル」を貼れない相手に出会って、言葉や身体を交わすことも人生の醍醐味ではなかろうか。


「人間の子どもを産んでしまったらたぶん、その子はわたしよりも長生きをするでしょう。腹を痛めて産んだ愛するものをこの汚い世界に残して自分だけが先にサヨウナラなんて、わたしにはできないの。」


微かに震えた意思のようなものを振りかざして、ぼくは彼女の手をそっと握った。



それではまた。

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