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死ぬために鍛える。

人間が嫌いになったときは筋トレをするに限る。愚かな人間と違って筋肉は"絶対に"わたしのことを裏切らない。「筋肉も人間に含まれているだろう」という屁理屈を頭に浮かべた人がもしいたら、わたしはその人に向かって言いたい。だから人間が嫌いなんだ、と。


最近は家から徒歩3分の場所にある大手のサブスクジムで、筋トレと高レベルの有酸素を本気でやっている。周りの目線に怯えていた思春期に初めたダイエットをきっかけにボディメイクの楽しさを知った。それに、身体に良い生活をすれば憂鬱な気分も少しは晴れるし、泣きたくなるくらいツラい肩凝りも泣きたくなくなるくらいには良くなる。適度な運動と適切な食事はいまのスタイルを維持するために続けていることだが、同時にストレス発散にもなるので、「ダイエット頑張ろう!」と燃えていなくてもハマる時期がある。今はまさにそれで、特に痩せたいわけではないが暇さえあればジムに行ってからだを鍛えている。

コロナ禍の影響でトレーニング中もマスクをしなければいけないので、必然的に低酸素トレーニングになる。ダラダラ汗を掻きながら、何も考えずにひたすら身体を動かし続ける。もちろんトレーニングをすることに対して苦痛を感じる時もあるけれど、苦しければ苦しいほど生きている心地がして気持ち良い。薄々気づいてはいたが、これも一種の自傷行為なのだろう。

明確な自傷の意思がないわけでもない。わたしはもともと心拍数が高くて、安静時でも80くらいあるし歩行時は130になる。緊張することがあれば150まで跳ね上がるし、トレーニング中は180には余裕で達する。幼い頃、人間が一生のうちで脈打つ数というのは最初から決まっている、という話を聞いたことがある。その前に癌などの病気で死ぬことがほとんどだが、もし健康で何の病気に罹らなくても脈拍数が決まった数に達すれば人は死ぬのだと。そしてそれが「老衰」というらしい。わたしはトレーニングをして脈拍数を上げることで、なるべく早く「老衰」に達したい。早く脈打つことで人生を急いでいるのだ。早く、ゴールに達したい。


長生きするために健康を維持したいわけでは全くない。病と闘いたくはないので健康ではいたいが、寿命に関しては「すり減らすためにトレーニングをしている」。効率的に筋肉をつけたいなら断酒とかもした方が良いのだろうが、それをしないのも似た理由だ。酒で死ねるなら本望だ。(何度でもいうが病気に罹りたいわけではない。)

トレーニングをして、苦痛に耐えた分だけスタイルが良くなる。腹筋が割れて、手足が引き締まって、心の状態も良くなる。晴れることのない憂鬱さを抱えながらボディメイクに勤しんでいると「なんだ、健康でハッピーでお気楽な人間」だと思われるかもしれないが、トレーニングはいまのわたしが生きやすくなるために続けていることで、それ以上の目的はない。心拍数を上げて老衰に近づくという無謀な作戦に挑みながら、今日も汗を流して生きている。


それではまた。

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