やめられるのは「余裕があるから」
こんにちは。
牧 菜々子です。
せっかくがんばってきたのに。
やめてしまったら、意味がない。
そう思われがちです。
ところが、そうとばかりも言えません。
やめられるというのは、まだ余裕がある証拠なのです。
やめてしまったら意味がない?
一般的に、やめることに対しては、ネガティブな反応を受けがちです。
事情は本人にしかわからないのに、「やめるなんてもったいない!」と言う人もいます。
「やめるなんて、あの人ももうこれまでだな。」と思う人までいる。
だから、自分も何となく、「やめてしまったら意味がないのかもしれない」と思って、やめるのを躊躇してしまいます。
ところが、何かをやめるというのは、まだ余裕がある証拠です。
本当に終わってしまうのなら、「やめる」ということすらできないのです。
本当に終わってしまう時はやめることすらできない
本当に、限界を超えてしまった時。
どうしようもないところまで行ってしまった時。
そういう時というのは、やめることすらできません。
事業を撤退する時も、制度を廃止する時も、「やめる」というのは、まだ余力が残っている時に採られる措置なのです。
事業も、制度も、どうしようもないところまで行ってしまうと、やめることすらできません。
それと同じで、個人で始めたことをやめたり、勤めていた会社をやめたりすることも、余力があるからこそできることなのです。
やめている人には余裕がある
だから、何かをやめている人を見かけたら、「あの人には、やめられるだけの余裕があるんだな」と思うべきです。
「やめるなんて、よほど余裕がないんだな」と思っていると、判断を誤ります。
逆に言うと、何事に対しても、やめられるだけの余力を残しておくことが大事です。
どうしようもないところまで行ってしまって、やめられずにいると、周りの人からはうまくいっているように見られてしまうがゆえに、もっと苦しくなる。
やめるというのは、余裕がないとできません。
何かをやめているからといって、決して能力が低いわけではない。
何かをやめている人というのは、それだけの余裕がある人なのです。