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私と戦争、終わりの日【終戦記念日】

 8月15日が日本での終戦記念日。でも、世界的に見たら違うってご存知ですか?

 世界的に、第二次世界大戦が終結したのは5月8日。そう、私の誕生日です。

 その事実を知った時、私は戦争について調べたくなりました。元々好奇心の塊の様な私だったけれど、それはいつもとは違うような気がしました。

 私の両親は、私に教育という意味で多くの戦争に関する場所に連れていってもらいました。

 広島に、沖縄に、知覧に、ハワイ。

 長崎は小学校の修学旅行で行きました。私はそこで

「怖い」「痛い」「寒い」

 と思いました。私の想像力がそうさせるのでしょうか、多くの人々の呻きが聞こえてきたのです。

「生きたい」

「生きたい」

「生きたい」

 誰だって、死ぬのはいやだ。でも、戦争はそんなささやかな願いでさえも砕いてしまうのだと、私は知っている。

 今こうして、のんびりパソコンを開いているけれど、私は戦争の日に生まれた子。そして、戦争を知った子。調べた子。

 記憶が薄れてしまう、と言われているけれど、人には言葉がある、映像がある。知覧の手紙や遺品から伝わってきた痛いほどの生への渇望が私の胸の奥底にある。

 戦争を取り扱った作品はいくつもある。中には特定の国を陥れたり、恨み言のはけ口になっている作品もあることだろう。ただただ悲惨さだけを伝えるものもあるだろう。あるいは英雄とたたえるものもあるだろう。

 私は子ども達に戦争の事を伝える機会があった。その時に、私は幼い日、原爆資料館でのことを語った。でも、それだけでは足りなかった。

 私の中に流れる、”語り部”としての血が騒ぎだしていた。紡ぎ手の私が出せとわめき、私を引き込もうとしていた。

 私は戦争が嫌い。その日に生まれただけじゃない。夜を照らす紅蓮の炎の雨が、大海を裂く鉄槌が、そして、何もかも零に還してしまう一瞬の光が私の前にありありと描き出される。

 私は想像の世界に生きてきた。だから、その熱も、痛みも自分のもののように感じることができる。それができるからなんだ、という話だけれど、決して薄れていくだけのものではないと知ってほしい。

 中には私のように”共鳴する”人間がいることを知ってほしい。

 共鳴する人間だから、そう思うのだ。

 願って、祈って、渇望してやまないのだ。

 遠い未来で生まれてくるだろう、共鳴する人々が、どうか幸多かれと。

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