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未婚の母として子を産もうと実家に出戻ると、そこには住職と寺庭婦人という肩書の年老いた両…

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未婚の母として子を産もうと実家に出戻ると、そこには住職と寺庭婦人という肩書の年老いた両親が居た。これから死に向かう人と、これからこの世を生きる人の間で、”命が生きてゆく”という不思議を体感している初老のダンサー。 過去と未来、記憶の渦、意識と無意識、自分の頭の整理のためのnote

最近の記事

「ベルリン天使の詩」を観ました。

 私は、大学3年生の時にダンス部同期のハナの作った作品が大好きでした。現実に流れている時間よりもずっと長い時の流れを表したような、連綿と続く命のつながりを表したような、そんな作品で、踊っている私という人間もこの広い宇宙の確かなる構成員であることを感じさせてくれました。  その素敵な作品の創作の元になったのが、この「ベルリン天使の詩」という映画でした。まだ、ベルリンの壁がドドンと存在していた頃の様子を描いています。天使から見たベルリンを生きる人々の様子が描かれています。とても詩

    • 世界の片隅で愛を叫ぶ

       私を保育園に送る役目はずっと父だった。とにかく自分時間で生きている父は、朝は大抵ゆっくりとした散歩に私を連れだし、その後保育園へ向けて悠々と繰り出すのである。  当時の住まいの周辺はのどかな田園風景が広がっていた。今思えば、春夏秋冬で移り変わる田んぼの様子や、用水路の生き物たちの愛で方について、教えられるでもなく、そういうものだ、とたしなみのひとつとして身に着けるような散歩だった気もする。あれは、私のための散歩だったのか・・・。  その頃の私は、パパ大好き!な子供であった。

      • 食べるために生きるのか、生きるために食べるのか。

        食いしん坊ですか?  この半年で、3か所も立て続けに歯の治療を受けた私の口に、新年までに間に合わせましょうと頑張ってくれた歯医者さんのおかげで、人工の歯が入りました。歯が無いとご飯が食べられないので、歯が治るのは本当にありがたい事でした。 ところが、です。 その待望の歯が入った初めての食事の味気無さだるや、心の中で泣きましたよ。これが一生続くのかと気がついた瞬間の悲しみを歌に詠んで子に伝えました。 歯は大事です。  ご飯が美味しく食べられないと、つまみ食いの欲もなくなりま

        • 森の天使とともに

          もう2週間になります。 先日、小林さちこさんの天使展で天使とともに過ごさせていただきました。一緒に光に包まれた皆様、本当にありがとうございます。  自分の中の黒い部分も十分知っている私といたしましては、天使の隣にどのように存在したらよいのか、について考えた準備期間でした。  出来ることは限られております。身体の調整は、もうだいぶ慣れ親しんできたところなのでありますが、心の調整についての方法はなかなかうまい方法が見つかりませんで、模索してきた結果、出来る限り毎日を丁寧に暮らす

        「ベルリン天使の詩」を観ました。

          入学式と日本タンポポ

           この春、植物を愛する人たちは”マ・キ・ノ”という3文字に沸いています。 かくいう、わが父も朝の連ドラを楽しみにしている一人です。私も学生時代に野外実習では、「誰か、牧野持ってきてねー!」と先生から言われ、じゃんけんに熱が入った覚えがあります。その頃にはきれいな写真掲載の図鑑になった牧野先生の本はとても素晴らしいワクワクが詰まっておりましたが、やはり本、重たい。今はアプリがありますものね。 私たちが日常目にする植物のほとんどは、学名に“マキノ”か”リンネ”が絡んでいます。(”

          入学式と日本タンポポ

          お花まつり

           4月に入りました。ちびっこお釈迦さまも棚から降ろしましたよ。 昨日は本堂も大掃除いたしました。この2か月間、慌ただしくてお花とお供物のお仕度だけで手がいっぱいでしたので、隅まで雑巾をかけられてすっきりさっぱり致しました。  先日、さる音楽家さんが木魚を借りにお見えになりました。私はその方の演奏にいつも痺れまくっているので、心の中ではスーパースターをお迎えしたつもりで盛り上がりまくっていたのですが、恥ずかしいのでポーカーフェイスを努めておりました。  その時に、音の持つエネル

          お花まつり

          お手伝いと母の距離感

           年末年始は、やることが満載で忙しい、と思っていた私にちょっとしたハックがありました。自分自身の子ども時代も振り返ると納得のハックです。    それは年末の大掃除で、YouTubeばっかり見てないで少しは働けや、と思った母にお尻を叩かれて窓ふきに向かったウチの子の話。人生初の窓ふきだというので、やり方を伝えてから、やってみたまえ、とやらせてみる母でしたが、どうにもこうにもじれったいのであります。 ああー-、どうして窓は四角なのに丸く拭くんだ!どうして同じ方向に腕を動かさない

          お手伝いと母の距離感

          勝手に解脱宣言

           お釈迦様が悟りを開いたと言われている日が12月8日。 煩悩に溢れた世界を楽しんでいる私には、じゃあミルク粥でも作ってみるかな、という程度の意識レベルの日ではありますが、記念すべきこの日に私は”おババ解脱宣言”を発表してみる運びとなりました。うふふ。  さて、解脱とは何ぞや。Wikiによると、解放、悟り、自由、方面と手に入れた状態を指すらしいのです。解脱という言葉は、俗世にまみれたお寺で暮らす私の耳には普段は入ってこない言葉。周りのお坊さんもお経の中も、いつかは解脱出来るよ

          勝手に解脱宣言

          人は石垣、人は城、情けは人の為ならず

          気功の話です。  ひょんなことから気功を習い始め3年が経とうとしています。 最近、気の感覚がやっとわかるようになってきました。 「人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり」 とは、信玄親分が詠んだものだそうですが、お釈迦様のお言葉を武将が訳すとこうなりそうですね。謙信さんの方が信心深そうだけど、、、良く知らない山梨県民です。 だいぶ話が離れておりますが、私の現在の暮らしに置きかえてみたわけです。  ここ数年、基本的な日常の生活でお付き合いのある”石垣”の方と、そ

          人は石垣、人は城、情けは人の為ならず

          焼きモツを食べてギックリ腰になる

           なんと、実話です。私の話。(笑) 先日、お世話になっているおじさんとラーメン屋さんに行き、焼きもつを注文しました。おじさんは、80歳を超えているのに、モツを始めとした、噛むのに苦労する食べ物が大好きなのです。 お腹の減っていた私は、ウマいウマい!と焼きモツに箸を出しましたが、なかなか飲み込むに至りません。必死に嚙むうちに首の後ろ辺りが筋肉痛のような感覚です。  私は、後頭部から首、そして肩甲骨のあたりまでがすぐに固くなる癖があります。これまでは眼精疲労や冷え、そして心配事と

          焼きモツを食べてギックリ腰になる

          お彼岸が終わります

           今年は、境内の彼岸花をゆっくり愛でるゆとりが無いままに、はっと目を引く朱色がくすみつつあります。  ゆとりが無かったわけは、おババを法事に連れてゆくことになったからであります。おババは、現在は介護4の肺病を患った車いす人間。先日の在宅の日には、私が目を離したすきにお参りのお客さんが玄関に現れ、車いすから身を乗り出して落下するという事件を起こしたところに台風が接近し、気圧だの泥んこの足元だの、大きいところから小さいところまでケアしなくてはいけないことだらけ。計画断念したらどう

          お彼岸が終わります

          あれよという間に夏至となり

           6月もなかなかに愉快な展開で日々唸っております。 この6月は、私の誕生月でもあり普段よりも自分中心軸に動きを決めたい期間です。とはいえ、なかなかうまくいかないのがこの世の面白いところ。  ちょうど50歳の去年書いた日記のような文章を読み返すと、この1年で随分大人になった私(笑)に気が付きます。論語では、五十にして天命を知るのだそうですが、現在の生活を見ると、うっすらと感じるものがあります。 何が変わったのか。 それは、ベクトルの方向であります。 若かりし頃は、ひたすら

          あれよという間に夏至となり

          随分と心境が変わった話

          予定になかった一週間の3日目を過ごしています。 そして、今日は新月ですし、心の整理のためにもここに記しておこうかと思いました。(かなり、浮遊している内容です(笑)。悪しからず)  このところ、何となーく、”兆し”のようなものが気になります。 ・ババの月下美人が復活の気配を見せています。 ・お彼岸からこちら、毎週のように食器が割れていきます。(笑) ・2日前から、キッチンの窓にヤモリが登場するようになりました。 ・うまくいく計画とうまくいかない計画がものすごい明暗で進んだり止

          随分と心境が変わった話

          気がとどく、気が轟く

          「気はパワーワークです。」と先生は普段からおっしゃられます。 今回は、気功を怠けながら続けて3年目の私が、介護中のババ様をあの世に送りかけ、引き戻してしまったお話。  それは、4月9日のお話。実はその前日にお釈迦様の御誕生祝いで、私は”病気平癒””健康成就”を掲げて舞を奉納したばかりでした。おババ様の病気も治したい勢いだったのに。  確かにおババ様の様子はいつもよりも疲れ気味でした。食欲もなかったし。デイサービスの連絡帳にはおトイレに2回も行けたって書いてあったから、きっと

          気がとどく、気が轟く

          慣れることを許す・・・

           入院していたおババが、本日戻って参りました。パチパチパチ! おババの状態がこちらにうまく伝わらず、トイレにはひとりで行けるというガセ情報に振り回される現在です。(そして現実逃避中の私。) 立ち上がることもできずに、トイレどころの話ではござりませぬ。  おババの状態にショックを受けたジジは怒鳴り始め、それをまともに浴びて怯えた子供は泣きじゃくり、さながら地獄の1丁目あたりの景色を見ているでしょうか、私。 大人のオムツって、赤ちゃんのオムツとは変え方が違うんですよねえ・・・。誰

          慣れることを許す・・・

          「死」との距離感

           いやいや、それほど物騒な話ではなく、うちの子の話です。 数日前のこと。2件の葬式と、ババの入院を2週間のうちに体験したうちの子が、布団に入りながらしくしく泣き始めました。  今日は特にキレる母を演じてはいないはずだぞ・・・とまずは我が身を振り返りつつ、どうして泣いているのか尋ねたところ。  「ぼくは、死んじゃうのが怖いんだよ。死んじゃうのが怖くて、暗いところが怖くなって、布団にくるまると苦しくなって怖くなって・・・。」 しくしくしく。 とのこと。 どうりで、私の掛け布団

          「死」との距離感