食べるために生きるのか、生きるために食べるのか。

食いしん坊ですか?

 この半年で、3か所も立て続けに歯の治療を受けた私の口に、新年までに間に合わせましょうと頑張ってくれた歯医者さんのおかげで、人工の歯が入りました。歯が無いとご飯が食べられないので、歯が治るのは本当にありがたい事でした。
ところが、です。
その待望の歯が入った初めての食事の味気無さだるや、心の中で泣きましたよ。これが一生続くのかと気がついた瞬間の悲しみを歌に詠んで子に伝えました。
歯は大事です。

 ご飯が美味しく食べられないと、つまみ食いの欲もなくなります。あれ食べたいなぁ〜!の妄想も、条件付き⁈でしょんぼりなのです。仕舞いには、あーなんか、もう早く寿命が尽きないかなぁ、とか考え始める始末。いやいや、そんなんでは終われないのがこの人生のハズ。笑
自分自身が、これほどまでに食べる喜びを糧に生きて来ているのだと初めて知ったわけなのです。いやぁ、ぐうの音も出ません。お経の中に出てくるいくつもの欲が頭の中にぐるぐるしました。

いやでも、美味しい食べ物に代わるご褒美は無い!!のだ〜。
私は歯が無くても美味しい物を求めて止まない決意を固めた正月となりました。

私は、食べるために生きている派、ということになります。

 そんな半年の間に、介護中の母の容態が変わり、食事形態も細かくした食事メニューからペースト状の食事メニューに変わりました。嚥下能力の低下に伴い、これまで粒状だった薬も粉末にして飲ませたい、と施設からの要請があり、これにも対応したところ、ババ様の食卓は何とも華の無い淋しい景色となってしまいました。
加えて、そのペースト状のお粥で薬を食べさせるものだから、ご飯や飲み物の味も不味くなります。とうとうババは口を開かなくなってしまいました。
 そうするとヘルパーさんは困って私に電話してくるのです。
「病院に点滴をしてもらいに行ってください。」
確かに、その判断は正しい!
ヘルパーさんの立場でもう他に手を出せる処置は無いのです。
 
 そこで私は悩み始めました。
年末のババの主治医とのやり取りが頭にあったから…。
「随分弱ってきていますね。この状態が進んでも、点滴を打ち続けるほどの血管の強さが無くなっていますから、積極的な治療は…。年末年始の当番医にもそう伝えてもいいでしょうか。」
と言われ、私はOKの返事をして帰ってきました。
 元々、延命だけを目的とした治療はしない方針の私の要望を把握してくれている主治医の先生は、遠巻きに覚悟を決めろよ!時は近いぞ!と私に伝えてくれています。

 既に、年末に一回点滴をしてもらいに行きました。生命活動には水が必要なのも知っています。この先に、何度点滴を受けるのか、それを決めるのはどうやら私のようです。

 食べるために生きている派の娘を持つおババは、現在、生きるために不味い食事と点滴をする日々。
それは尊厳のある生き方なのか〜〜!?

否。

でもでも、会いに行けば私のことはわかるし、バイバイも出来るくらいに生きている。

この決着をつけるための胆力が私に備わったから時がやって来たのだ、と思うことにいたし、お友達にもらった手作りクッキーを頬張りました。

さあわたし、どう決着をつけるっ⁈

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