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気がとどく、気が轟く

「気はパワーワークです。」と先生は普段からおっしゃられます。
今回は、気功を怠けながら続けて3年目の私が、介護中のババ様をあの世に送りかけ、引き戻してしまったお話。

 それは、4月9日のお話。実はその前日にお釈迦様の御誕生祝いで、私は”病気平癒””健康成就”を掲げて舞を奉納したばかりでした。おババ様の病気も治したい勢いだったのに。
 確かにおババ様の様子はいつもよりも疲れ気味でした。食欲もなかったし。デイサービスの連絡帳にはおトイレに2回も行けたって書いてあったから、きっと疲れたのね、じゃあ、今日はもう寝ちゃおうぜい、なんて思ってさっさとベットに入れてしまった前日の晩。
 当日の午前中にデイから電話がかかって来て、どうも数値が安定しないので病院で見てもらった方が、、、と看護婦さん。私は絶賛仕事中で、お客様の身体を整えてから手配いたしますー、と軽く聞き流しておりました。2時間後、介護タクシーのおじさんと迎えに行くと、意識混濁状態のおババ様がストレッチャーの上で柔らかい毛布にくるまれ空を見つめて喘いでおりました。

ミイラみたいだ・・・。なんか、よく見えないけど、なんか口の中に黒いモヤモヤが漂っているの、、、、あれなんだ?

「意識が無くなっちゃって、すぐに救急車呼んだ方がいいと思うんですけど・・・。」by看護師さん

え、じゃあすぐ呼んでくださいよ。

ということで、かかりつけ医ではなく、救命救急の出来る大きな病院に行くことになりました。が、向かうまでがだいぶ長かったですよ。
消防のお兄さんたちが、しきりに聞くわけです。既往症はないかと。
でも、無いんですもの、知らないんですもの、答えられません。心臓にも血圧にも、死にそうになる数値が出ていないのに、どうしてこんなショック状態になっているのだ、何か情報をくれ、と。
原因がわからないと聞かされると、あー私、昨日踊った時に何かやらかしちゃったのかしら、と消防の人に答えそうになり、慌てて口をおさえつつ。

ひらめきました。ここは気功の先生です。先生は、遠くからでも人の身体の中が良く視えます。いや、視えるらしいです。
すぐにLINEいたしました。
「先生、私に力をください。ババがやばい。」

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 救命のお部屋では、私にババの状態をすぐに説明してくれました。
ババは、極度の貧血状態にあり、ヘモグロビンの値はもう死んだ人並み、脱水も進んでいて点滴も必要。しかし、これ以上水分を入れると血がさらに薄まって危険。内臓のどこかから出血の可能性があるので、胃カメラを飲んで確認したい状態。

貧血?!初耳じゃー。
「で、先生、ババは鼻から酸素人間なんですが、胃カメラ出来るんですか?」
「もちろん、危険はあります。そういう方ですから。」
「…ですよね。ババの様子を見せていただいて決めてもいいですか?」
「わかりました。こういう場合の治療の進め方は、私たち医療者でも迷いますから。」
私がベッド横に行く支度をしていただくまでに、あれやこれやと思いめぐらせると、気功の先生からの指示に目が留まります。

「時折お母さんの命門が光るイメージを持ってあげてください。」

日頃から、気功の先生からは、身内の病気は身内の中で治しましょう、と教えられています。先生にお願いして治してもらうのは頼りすぎで、良いことは起こらず、あくまでも、私の家族は私が頑張って治しなさい、というのが先生の教えです。おババが元気であれば私も手間がかからず安穏だし、おババが悪くなれば私の命運も削がれるので、つまりは一蓮托生であり、身内に自分の気を分けるのは回りまわって自分を活かすことに繋がります。その点が、いわゆるビジネスでお客さんをお治しするのと違うのですね。

・・・・・・・・・

取り合えずの処置は輸血だけで胃カメラにはノーを伝えた私は、呼び寄せた家族の到着を待つ間、廊下の椅子に座って気功の練習を始めました。(この場合、もはや練習ではないですね。書いていて気が付いた)
命門は背中の真ん中あたりにあるツボです。ババの命門を想像しようとするのですが、さっきのミイラばばあに化けたババの形相は恐ろしすぎてイメージ出来なく、代わりに自分の命門に手を当ててみました。
どんどん身体が温かくなります。でも汗は出てきません。のぼせるのとは違って、体の芯が活性化してくる感覚です。最も温かくなってきたのは手です。私は整体師でもあり、お客様の身体を診ていると、手に意識が集中してとても温かな手になります。お客様はその温かさで身体が緩んで流れが良くなったりするのですが、その時の温かさはかつて経験のないくらいホットな温かさでした。気候の先生から遠隔で私の身体に気が送られておりました。むっちゃ強力なやつ。
すぐに命門に手を置いておくのが居心地悪くなり、ではどこだ?とゴソゴソ探ると、両手を合わせた合掌の姿勢に落ち着きました。究極、両手を合わせた形に落ち着くあたり、さすが寺の人間です。(笑)
呼吸が深くなり、青い空も白い雲も輝く太陽も病院の天井越しに私たちの頭上にイメージ出来ました。とても気持ちの良い空間です。
一瞬、私って何でもできるかもー--、今この病院の待合室で踊ってみるのもいいかもー--、という万能感に浸ってしまい、いやいやいやいや、今はおババのための時間であるよ、と慌てて自分を引き戻したりもしました。

自分の意識が待合室の椅子に戻ってくると、私の中のババの認識がほんの少し変化していることに気が付きました。
先程のミイラ化したババから、いつものババの顔に置き換わったのです。なんかモヤモヤしていた口の中の黒いものがイメージの中から消えたのです。
あ、ババ、大丈夫になったんだ・・・。
それが悟った瞬間です。

程なく、家族郎党がやって来て、ババのベット元にぞろぞろ並ぶ頃には、ババの瞳ははっきりしてきていました。
先生は、輸血したので少しずつ安定してきましたよ、とおっしゃいました。

延命措置を希望せず、かかりつけ病院に転院する選択をした私たちの移動に付き添ってくれた救命の若いお兄さん先生と車中でよもやま話です。先生のおばあちゃんも臨終のときに救急車を呼ばなかった話や、うちはお寺で、人の生き方と死に方とについ思いを馳せてしまう話など。今回のような選択をする人は珍しいらしく、横たわるババをよそに話に花が咲きました。

結局、かかりつけ病院についた頃には素人目に見ても胃カメラを飲める状態になり、検査したところ、5センチの潰瘍が見つかりました。

私に呼ばれた家族たち、救命ベット際では涙ぐんでいたくせに、入院準備の待ち時間にはすっかり飽きてしまったらしく、「まだかなあ。」の連発。
お前ら、さっきまでババはイマワノキワにいたんじゃい、ちったあ神妙にせんかい!
という私の心の声も届かず日はのどかに暮れたのでした。まあ、それぞれに、やんごとなき日常の生活があるのです。
5階病棟から、街の明かりがきれいに見えましたよ。

・・・・・・

自分の身体を通したからこそ感じた気の強さですが、モニターの数値しか信じない人や、お医者さんの言うことしか信じない人には、拾う価値のない感覚なのかもしれません。でも、救命のお兄さん先生は、明らかに言葉の外で胃カメラ危ねえよ、って言ってたし、救命の先生たちも結局は数値だけじゃなくって、感覚的な何かで運ばれてきた人の生死を判断しているのだと知った良い経験でした。
そして何より、おババ様を看取る予行練習が出来ました。
死って、近づいたり遠のいたりするのです。またやってくるその日まで、しっかり養生いたします。




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