お花まつり

 4月に入りました。ちびっこお釈迦さまも棚から降ろしましたよ。
昨日は本堂も大掃除いたしました。この2か月間、慌ただしくてお花とお供物のお仕度だけで手がいっぱいでしたので、隅まで雑巾をかけられてすっきりさっぱり致しました。
 先日、さる音楽家さんが木魚を借りにお見えになりました。私はその方の演奏にいつも痺れまくっているので、心の中ではスーパースターをお迎えしたつもりで盛り上がりまくっていたのですが、恥ずかしいのでポーカーフェイスを努めておりました。
 その時に、音の持つエネルギーの話になり、私の目指すところと同じだったので深くうなずき、改めてお稽古に身が入る春の午後です。
 
 とても簡単にいうと、奏でる音には力があり、善く働くこともあれば
悪しく働くこともあり、いい加減に音を生み出してはならない、というものです。それは、踊りについても全く同じことが言えます。
更に、どこかの山奥の花に止まった蝶の羽ばたきが、私たちに及ぼす影響についても。
本堂をきれいにできてないなー、と思いながら踊る私と、本堂をきれいにしたよー、とさわやかに踊る私では、やはり出てくる踊りが違うのです。

 お互いに影響し合って生きている私たち、出来ることならばより良い方向に関わり合いたいのです。
今年はやっと、世界の中の小さな自分のイメージがはっきりと出てきました。若い頃は自分しか見えていなかったし、もっと若い頃は自分すら見えていないことも多かったものですが、本堂の天蓋の下で踊りながら、天蓋を通り超えて天井を通り超えて、今日のような青空を感じつつ踊れるようになってきた気がします。ということは、広い感覚で踊れるということで、見守ってくださっている皆さんとも関われるかもしれないのです。
シタールの音を聞いて病気が治ったりする話を聞くにつけ、目指すところはそこだろうなーと思うのです。道のりは遠いのですがね。
私の踊りは置いといて、伊藤公朗さんのシタールは聞いておくと佳いと思います。私も不思議だなあと思ったのですが、お腹痛いのが治まったりしたことがありました。

保育園が無いと、私についてまわらなければならないのがうちの子。本堂の掃除も片付けもガツガツと働かされた上に、お稽古するから話しかけないでください、と言われる始末。
さすがに大人もへたばる労働環境で何日も働かせるのは気が引けまして・・・、回りまわって私の踊りに関わりそう。せっかくの春休みです。
母のお花まつりの支度はこれで完成といたしまして、明日は春休みに致します。

皆様どうぞ足をお運びくださいね。

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