世界の片隅で愛を叫ぶ

 私を保育園に送る役目はずっと父だった。とにかく自分時間で生きている父は、朝は大抵ゆっくりとした散歩に私を連れだし、その後保育園へ向けて悠々と繰り出すのである。
 当時の住まいの周辺はのどかな田園風景が広がっていた。今思えば、春夏秋冬で移り変わる田んぼの様子や、用水路の生き物たちの愛で方について、教えられるでもなく、そういうものだ、とたしなみのひとつとして身に着けるような散歩だった気もする。あれは、私のための散歩だったのか・・・。
 その頃の私は、パパ大好き!な子供であった。子供の私にとって、何でも知っていて上手にできる父は、尊敬してもしきれない存在で、私は何とかして父よりも早く庭先の小さな発見をして褒めてもらいたかった。
 ところが父は散歩中、ほとんどの時間を私の方ではなく、遠い空を眺めて過ごした。同じ散歩でも、母に連れられた時は常に母の視線を感じながら安心して出かけたものだが、父との散歩は独立した時間を共に過ごすことを求められ、私は父の心の中を垣間見ようと様々に想像を巡らせて、その結果、景色よりも父を観察する散歩へと変わっていった。
 父は、突然空に向かって叫んだりする。「おおっ!」と腹の底に力を入れてみたり、「はっ!」と空気を止めてみたり、「なるほどー!」や、「そうじゃないんだ!」などもあった。誰かに向けて発せられたものではなく、正体の見えない何かとやり合っているようで、当時の私には謎に満ちた行為であった。その叫びの中に、「ふみえー--!」(仮称)と妻の名前がかなりの頻度で登場した。それを初めて聞いた時、保育園に預けられる時にお母さんと別れがたくてずっと泣いているM君を彷彿とさせ、私は父を懸命に慰めた。それに対して父は、特に寂しいわけでも困っているわけでもないから静かにしていなさい、という返答で、私は心のやり場に苦心した。それでも、その「ふみえー!」(仮称)は、運転中も庭の作業中も、かなりの頻度で出てくる。決して私や妹の名前ではなく、それは妻の名「ふみえー!」(仮称)である。
 そこから導いた結論は、お父さんはお母さんが大好きなのである、私や妹なんかよりもずっと大好きなのである、であった。

 50年の時が経ち、おジジとなった父は、最近ではもう叫ばなくなってしまった。最近のおジジはもう、腹の底から声を出せなくなっている。お爺さんになったのだ。でも、相変わらず母への愛はてんこ盛りで、母がデイサービスに出発するときには、足が痛くても腰が痛くても必ず見送るおジジである。それに対しておババは、いつもそっぽを向いていて、それはそれで恒例の光景になっていた。 

 そんな冬の朝、再び私はあの叫びを聞くことになった。あの叫び声を、私は一生忘れない自信がある。
 おババになった母は、あの冬の朝、もう目も開けられずに浅い呼吸を繰り返していた。既に、簡易酸素計ではおババの血中酸素濃度も心拍数も計れない程に弱くなっていた。

 ”その時”、がもうすぐやってくるのだ。

  私は急いでおジジにババの右手を握らせた。私は左手である。ババの手は温かくて、一瞬、手をつないで散歩したあの頃の感覚が私を柔らかく包み込もうとしていたが、急いで押し流した。感傷に浸る場面ではないことは、十分に承知していたから。
 一生に一度しかないこの特別な時を、正しく過ごすことが、これから先の私の人生を大きく左右するような予感を持っていた私は、ここしばらくの間私は全身全霊でその時を待ち構えていた。
 
 一瞬、間を置いた呼吸があり、そして大きく吸い込んだかと思うとハッと思い切りよく吐き出したババ。

「ふみえーーーっ!!(仮称)」

ジジが叫んだ。
それっきり、ババは呼吸をしなくなった。あれが最後の呼吸だったことを、私はジジの叫びで認識した。まだ温かい手のぬくもり、そしてかすかな鼓動も聞こえるが、それ以後は呼吸をすることはなかった。


 私には分からなかった”その時”を、しっかりと解かったジジ。それ以後はいつものお爺さんに戻ってしまった。いや、いつもより弱弱しいお爺さんになったとも感じられる。
 ジジの時間はゆっくり流れているはずなのに、その瞬間を逃さず捉えられたことに驚いている私である。ジジに対する認識が少々変化した。

 これがババへの愛の力なのか、年の功なのか、学者としての眼力なのか、、、知りたい。子供の頃のように観察を始めようと思う。

※「ふみえ(仮称)」は、お通夜とお葬式の時にお坊さんがおババの俗名をずっとそんなふうにと呼んでいた。私は会葬者のご挨拶に頭を下げっぱなしで、後ろの方で聞こえてくるこの知らない人の名前に、モヤモヤしっぱなしだったが、まあ、細かいことに目くじらを立てていたら身が持たないのである。これもババの思い出のひとつ、ということにしよう・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

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