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UXデザインは終わりの時代かも2【海外記事メモ】

本日もこちらの記事を取り上げます。

前回は導入部分までで終わってしまいましたが、おおまかには筆者がビジュアル系のデザインの専門性のないUXデザイナーであるが、そういった存在が世間的にはあまり受け入れられていない、という問題提起がありました。

そしてプロダクトマネジメントは発見(プロダクトの方向性や仕様)と提供(デザインなど)を一貫してやらなくてはなりませんが、大抵の場合部署が分かれており、それにともなって双方の理解にも隔たりがある、というような主張をしていました。

今日からより筆者の意見や考えが含まれるパートとなってくると思われるため、読解難易度高めな英文ですが意訳と省略を交えつつ何とか伝わる日本語に直して読み解いていけたらと思います。

※内容的にちょっと前回の部分も再度こちらに記載したほうが良さそうなので、冒頭は前回のメモと同じ記載をコピペしてます。

本日もよろしくお願いいたします。


プロダクトを発見することと届けること

じゃあ我々は何者なんだ?

実際、特定の傾向や行動、見た目とソフトウェアに関する印象はデザインされるべきものであって、これらには多く専門家たちが関わっています。
そのため、我々の(少なくとも私が)持っていないスキル領域へ自分の職能を変えることを考えるのではなく、ソフトウェア開発プロセスの中で他のスキルセットの習得をまず考えてみましょう。

我々の大半のクライアントであるプロダクトマネジメントの専門家について考えてみましょう。

プロダクトマネジメントの世界では2つのフェイズが必要とされています。

発見ープロダクトが何をなすべきかを決める
・提供ープロダクトをつくり、市場へ投下させる

もはや過去のものと思われている旧来のUXのやUCD(人間中心設計)はユーザーのニーズや彼らの日々の生活などの情報から課題を抽出し、単にどうすれば最高のUXを提供できるのかを試すための多くのプロトタイプを試作して、最高のプロダクトを目指していました。

しかしながらUIは異なります。一般的な概念を理解したら、それらを視覚的な観点から開発することが求められます。
もちろん見た目の調整を検討する前にコーディングを始めてしまうフロントエンドエンジニアはいませんが、未だに「開発」が主眼に置かれており、「届ける」という部分に関してはUIデザイナーが担わなくてはなりません。

私は開発と提供とを一緒にプロダクトマネジメントすることが良いと言っているのではありませんが、これこそが旧来のUXや人間中心設計とUIデザインとの違いを明確にしてくれているものと思います。

発見と提供の部門はたいてい組織的に別れてしまっている

私は多くの公共的な支援を受けたプロジェクトに参加していました。
公共交通機関や建設許可システムの納税に関するものなどです。
これらすべてのプロジェクトは例外なくプロダクトの「発見」を担うチームが分かれており、一旦仕様を決めてしまうとデザインはオークションによって決められてしまいます。そしてその中で最も良い(大抵の場合は最も安い)ものを選択することとなります。

このようなプロジェクトでもアウトソーシングでも、大抵の開発チームは「プロダクトの発見」にのみ主眼が置かれています。
プロダクトはリサーチやプロダクト自体の方向性の検討などで、世界の中でもお金持ちなグループによって"発見"がなされ、彼らはそれらプロダクトの"提供"のために中央ヨーロッパやアジアなどに安い賃金を払っています。
このような状況下、特に信頼関係の構築段階においては、クライアントとの密な議論というものは難しくなってしまいます。デザイナーたちは議論への参画ではなく、ただ”提供”の工程の実行のみを求められるでしょう。

唯一の例外は小規模なプロダクト開発のチームです。チームには彼ら自身が正しいと思うものを"提供する"までを担う開発者がたくさんおり、彼らは行動の精度や速度ではなく、特定の機能や製品によって生み出される収益のような外部要因によって判断がされます。

"提供"しか扱わないチームでは機敏な動きは不可能です。
彼らの売上利益は開発にかかる時間がいかに多いかか、もしくは固定で決められた開発時間を節約することにかかっているからです。
彼らの契約内容はいかに要求された要件を実現するかによるものであって、彼らにとってはいかにプロダクトを早く”提供”できるかが主眼に置かれ、決してどのようなUXが提供されるかという部分へは考慮がされません。

実際、彼らの制作期間では良好なUXを実現することは困難です。
クライアントが契約内容についての主導権を握っている限り、報酬は支払われますがより良いUXに対して、契約内容以上の報酬を支払うなどということはほとんどありません。

プロダクトマネジメントはそれ自体に問題を孕んでいる

もちろん、私は従来のUXデザイナー全員に対してプロダクトマネージャー(PM)になることを勧めているのではありません。
まずもって、実際PMの役職は供給過多の状況であり、特に現在ではFAANG(FacebookやAmazonなど)は多くのPMたちを解雇しています。
しかし、私はPMになるための学習はもっとすべきだと考えます。

ただ、UXにはあってPMにはないものはメソッドです。
誰もがUCD(人間中心設計)の専門家が何を求められているのかについては知っています。ISO9241-210やISO25000シリーズなどの独自の標準的な形式があり、UX担当者を採用する場合はこれらに沿って実行されることが合理的であると認識されています。

また、多くのPMはレベルの低いUXデザイナーです。
彼らの認知心理学に関する知識は表面的なもので、彼らはインタビューでの質問をきちんと構成するやり方を知る必要はないし、面白い戦略についてのアイディアも持ち合わせていません。

しかし私は未だにここに可能性を感じています。

もしかしたら我々がUXデザインの知識を結集したのなら、"発見"の段階における現代的なプロダクトマネジメントにおいて期待されていることへの新たな専門職を生み出すことができるかもしれません。

結局考えてみると、ビジネスアナリストとUXデザイナーの間にある大きな隔たりは特定の関係者に向けられたバイアスのかかったユーザー擁護の概念にあるのでしょう。
もしかしたら私達はクライアントに対しての不満を口にするのではなく、この責任をもう少し真剣に受け止めれば、私達は私達が望む方法でより深い影響を与えることができるかもしれません。

→次回につづく


感想:それでもデザイナーの認識は変わってきているのでは

前回の記事からの筆者の主張をまとめると、UXデザイナーは「デザイナー」という名前があるが故にプロジェクトの下流部分しかタッチできないため、UXデザイナーはもっとUXの知見を活かしてプロジェクトの上流からプロジェクトマネージャーとして関わるのはどうか、というものだったかと思います。

確かに規模が大きい組織であればあるほど分業がキッチリとしてしまっており、それが故に「UXデザイン」というものに対して正確な認識がされていない組織であると筆者の主張するように「デザインをする人」と解釈されてプロジェクトの後工程からアサインされる、という自体は自分の経験としても納得感がありました。

ただ、一方でデザインをちゃんとプロジェクトの内部に据えて駆動させていこうという動きも特に近年では多くなってきた気もしており、日本ではデジタル庁など国の機関もデザインを中軸に据えて課題解決を行おうとする動きが出てきているように感じます。

とにもかくにも、UXの知見を持つ人材がプロジェクトマネージャーとして大きな視点からビジネスを作っていく、という個人単位の動きも必要なもののようにも感じるため、また引き続きこの記事を読み進めてみたいと思います。


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