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「痺れる!ストイックの語源。哲学者ストア派のセネカ」

noteはじめるきっかけとなったデグトモ@元戦場カメラマン社長 さんが記事で哲学のことを書いていたので、セネカの記事を書きます😋

「人間にとって最大の敵は、だいたいにおいて自分である。」と名言をを残した哲学者セネカ。

「俺の敵はだいたい俺です。」と名言を残した宇宙兄弟の南波六太。
宇宙兄弟の名言は哲学的ですね。ローランドもそうです😘

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ストイックの語源となったストア派の哲学者と言えば、「ルキウス・アンナエウス・セネカ」(以下セネカ)を知らずには語れないと言っても過言ではありません。
セネカは「ストア派に属する理性的な考え方を持ち簡素な生き方をしていた哲学者」であると同時に、「皇帝ネロを操り権勢や富を握っていた人物」という2面性を持った人間であったと言われています。

▼ この記事でわかること
・ セネカの属するストア派とは
・ セネカの思想や著書
・ セネカの死について

この記事では、ストア派で若くして名声を得たセネカの思想や生き様、残した名言や死に様について説明します。

哲学者ストア派「セネカ」とは?一体どんな人物だった?

哲学者セネカ(紀元前1年頃〜65年)はローマ帝国の属州であるヒスパニア(スペイン)のコルドバに生まれました。
後期ストア派として代表的な哲学者であると同時に、ローマ帝国で皇帝ネロを操り実権を握る政治家でもあります。
その哲学者としての思考と、政治家としての行動は、相反しているように思える部分が多いところです。

哲学者セネカの属するストア派とは?「自然に従って生きる」

セネカの属するストア派哲学とは一体どのような思想を持っているのでしょうか?セネカの思考を理解するために、まずストア派について知っておきましょう😚

✔ストア派の創設者:ゼノン
ストア派は古代ギリシャにキプロス島キティオン出身の哲学者ゼノン(紀元前335年〜紀元前263年)が創設した哲学の学派のことです。
「ストア」という名前は、アテネで哲学を学んだゼノンが、アゴラのストア(柱廊下)で講義を行ったことが由来しています。
ゼノンはストア派の哲学者に「自然に従って生きる」ことを教えました。
これはつまり、財産や地位などの「人為的に作り上げられたもの」に価値を見出さず、「自然や宇宙を価値のあるもの」であるとしてそれに従うという思考です。


✔ストア派の特徴①:根幹概念「ロゴス」
ストア派の哲学者は、「ロゴス」という論理を神と同一視しました。ロゴスが世界を定める神的な論理であるとしています。
ロゴスはストア派の根幹概念と言われ、運命(テュケー)や自然(ピュシス)のように表現されることもあります。
ストア派の考え方として、自然や宇宙、運命はこの「ロゴス」の理性的な考え方で定められたものとしました。
そして、人間は魂の中にロゴスを持っているとし、だからこそ「ロゴスに従うことが人間にとっての正しい生き方である」と定めました。

✔ストア派の特徴②:理性に重きをおく
ゼノンはその教えの1つとして、「アパテイア(無情念)」へ至る道について説きました。
これは、「パトス(情念)」や情動と呼ばれる理性を失った考え方や行動を克服することを乗り越えた先の考え方です。
つまり、快楽や欲求の衝動に打ち勝ち、理性が与える命令が正しいとする考えであり、それに従う生き方を意味しています。

✔ストア派の特徴③:禁欲主義
現代でもよく使われる「ストイック」という言葉は、ストア派の「禁欲的」という言葉が語源になっています。
現在は「禁欲」に限ってストイックという言葉を使うわけではありませんが、「欲望からの脱却を目指す」という意味合いを含んでいます。
そして、ストア派的な考え方を身につけて、その最高域に達した賢者として「ソクラテス」を理想的であると考えています。

セネカは後期ストア派の代表的哲学者

後期ストア派の代表的哲学者であったセネカは、クラウディウス帝に全財産を奪われた後、ローマ帝国を制するアグリッピーナ皇帝の任命により、皇帝の息子ネロの家庭教師となりました。
こうしてネロが皇帝になり、セネカが帝国の実権を握ることになります。
これをきっかけに、セネカは彼本来の持っていた思想とはかけ離れた生活をすることになります。
セネカは哲学者であり、運命の巡り合わせにより政治に踏み込むことになったのであると考える者は多いです。

✔ストア派の代表的哲学者セネカの政治
セネカの政治がストア派の哲学者とはかけ離れていると言われる理由は以下です。
・ クラウディウス帝の遺児暗殺に関与し財産を手に入れる
・ 得た財産を高利貸し業に投資し巨額の富を得た
・ 「ネロの5年」と呼ばれる善政を築く
・ アグリッピーナ暗殺における混乱を放棄した
・ 言論を強みにネロの犯罪行為すらもみ消した

このような行為が、ストア派の、「財産や地位などの人為的に作り上げられたものに価値を見出さない」という考え方と反しているように見え、「自然や宇宙を価値のあるものであるとしてそれに従う」という行動とはかけ離れているようであると思われます。

セネカは著書で弁明している:名書3選

哲学者であるセネカは、自身の政治や財政について自らの著書にて弁明をしています。
他にも明言とされる言葉を残している本が数多いので、今回はその一部をご紹介します。

・ 「幸福な人生について」
幸福な人生とは人生の「自然」にかなったものであるとしています。
自然の法則と理想に順応して自己を形成したときに本当の深い喜びが生まれるものであり、瞬間的な肉体的快感がそれよりも優れているわけがないとした考え方を表しています。
この中で自身の政治や財政についての弁明もしています。

・ 「人生の短さについて」
セネカがローマ帝国の食糧管理官であり働き詰めでいたパウリヌスに向けて綴った著書です。
この本でセネカはパウリヌスに、仕事を辞めて時間の無駄遣いを辞めるように言っています。
セネカはこの中で、「自分自身と向き合う時間を取らず、あえて多忙な時間を過ごすこと」を時間の無駄であるとしています。

・ 「心の平静について」
セネカより若くして亡くなった友人のセレヌスに向けて書いたものです。
セレヌスはセネカに向けて、「質素な生活が好きなのに、贅沢な服を着ている人を見ると心が締め付けられる。どうすれば良いか」と問いました。
これに対しセネカは、「苦しむ理由が自分にあることを知るべきである」ことや「名誉や贅沢を抑えて自分自身のうちに富を求めること」などと答えています。

セネカの死に際について:ネロの命令にて自害する

ネロの悪名高い政治が手に負えなくなり、セネカは政治の座から身を引きました。
こうしてストア派的な簡素な生活に戻り、自分の菜園で野菜や果物を育て、生水を飲むなどして生活をすることになります。
このように生活をしている中で、ピソという元老院議員によるネロ暗殺が陰謀されていたという事件が浮上し、ネロがセネカに自害を命じました。
セネカが加担していた証拠もないまま、70歳を過ぎていたセネカは妻と一緒に血管を切りました。
2人とも死ねずに苦しみましたが、ネロは妻まで自殺させたと言われることを恐れたため妻だけ助けるように命じました。しかし、セネカは毒を飲まされて発汗室に入れられ、その熱気により息を断ちました。

ストア派の哲学としては、生命は絶対的な善であるとはしていません。
そして、自殺を悪ともしていませんでした。
だからこそ、合理的な理由のある死は善でもあり、セネカは躊躇することなく自らの命をたったのだと言われています。

哲学者ストア派「セネカ」は何者なのか?答えは「あなた次第」

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セネカの政治背景を知った上で、残された著書を読んだときに感じることは、人それぞれだと言えます。
矛盾した人であると感じるのか、哲学を全うした人であると感じるのか、それ以外なのかは「あなた次第」です。
そして、セネカの持つ2面性は、2千年たった現代にも通じるものがあると言えるのではないでしょうか。

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