やらなければいけないことを見つめる
やらなければいけないことを見つめたところで
スマホなどからブラウザを消したり、主だったエンタメを基本的に身の回りから消していくと、退屈な時間が訪れる。そうすると、やらなければいけないことをやらない道理はないのだけど、逃げている自分に気づくことになる。
最近の僕の悩みは、これをどうやって克服するかであった。つまり、この逃避をどうやったら抜け出せるのかということだ。小学生の頃から始まり、ずっと続いてきた先送り癖であり、逃避行動たちは、スマホ依存の問題よりももっと根深く、おそらく難しいことであると思う。多分スマホがない時代の人たちはむしろこっちに悩んでいたのではないかななどと思ったりする。
そこで焦りに身を任せて、体をジリジリとやらなければいけないことで焼きながら、ただ部屋の真ん中で佇むということをしてみる。
そうすると、例えば、ではどうすれば良いのかとか、ではなぜ逃げ出すのかとか、なぜやらなければいけないのかとか。謎の思考たちがやってくる。
すごく嫌な予感がした。
こういうことを考え始めて碌なことはないのである。
どうすれば良いのかは生産的に思えるけども、ただやらなければいけないことをやればいいだけのことである。
これらの思考がなぜ馬鹿げているのか、僕ができていないことを例に挙げるとわかりやすい。
僕は皿を洗うことができない。
たった10分シンクの前に立つだけである。
しかも、最近は皿洗いが嫌いすぎて、皿洗いが減るような工夫までしているのに、一向にこの皿洗いに向き合おうとしないのである。
そんなことで、どうすればとか、なぜかとか、そもそも必要かとか考えても意味がないのである。
僕がこういった思考が意味がないと思うのは散々今までこういう、深そうで深くない思考をたくさんして逃げてきた感覚があるというのもある。
理屈があれば人間は動くと信じていた時もあったのだけど、そうではない。
ある程度理屈はいるのだけど、理屈があっても身近でなかったり、実感がわかなければ行動には至らない。しかも、こういう思考は大抵すごく難しく、結局哲学書を参照したりするから、とんでもない時間がかかったりするし、ないところに理屈を作っている場合もあって、単純に頭が痛くなるくらい考えないといけなかったりする。
そんなこんなで、そうやって見つめるのはやめた。
意味がないと感じたから。
では、どうやったらこの皿洗いを終わらせることができるのだろうか。
自由時間と優先事項の決め方
こういう時は、大概、調べ物をしたら答えが見つかることが多い。
人間ってのは結構優秀だ。
逆に自分はそんなに優秀じゃない。
便利なaiの研究はgoogleかどっかの研究者に、うまい飯の作り方はyoutubeでバズってる料理研究家に、やりたくないことをやる方法はそんなことを悩み抜いてきたどっかの誰かに任せておいて、僕たちはのんびり退屈な時間とまた睨めっこしていよう。
このTedで学んだことは以下の通り。
時間はめっちゃある
これについては非常に同意する。今まさにそれを体験している。だが、やりたくないことを始めるのが難しいし、習慣化もしんどそうで悩んでいる。
優先事項を壊れた給湯器のように扱いましょう。具体的には1年後、自分が最高の一年だったと言っている場合を想定して、その時にやってよかったことを3〜5くらいあげればいい。
勉強になるけど、自分の優先事項は決まっている。「皿を洗うこと」だ。
習慣づけに必要なのはクソみたいに楽なものだけ
次に行ってみた。
これはすごく勉強になった。完璧主義を捨てる方法が具体的に話されてると思う。
イマイチな目標を立てる。ほんとにできちゃいますけど、みたいなめっちゃちっちゃいもの。そしてそれを毎日やる。
決して頑張らないこと。自然とスケールがデカくなっていくのを待つだけ。
そもそも、勉強経験がない人に一日12時間勉強してくださいというのは無理な話だし、野球の練習も10時間しましょうと運動経験がない人にいうのは普通に危ないことだ。
すぐにグラウンドにこなくなるだろう。
勉強でも野球でも簡単なことから始めるはずだ。
これならできる気がする。
今ある皿を洗うことは無理だし、石鹸をつけて洗い出すというのもしんどいから、ひとまず水洗いを1つの皿だけやることにした。
いざやってみると、さっきまでシンクの前に立つことさえ嫌だったのに、スタスタと歩いて行って、洗いやすい皿を一つとって、中をさらっと洗い、水で濯ぎながら手で擦り始めた。
すぐにそれが終わったので、近くにあった箸を手に取って、水で濯ぎながらまた擦り始めた。
汚れが取りにくいと感じたので、スポンジを手に取ってゴシゴシと箸をこすり、すぐに水ですすいだ。
箸を洗い終えると手を拭いて、前回洗った時の箸や菜箸などがまだ乾燥する場所にあったのでそれを棚に収納した。
気がつくと一つの皿の水洗いと、箸1膳の石鹸付きの洗いを終えてしまったのである。
初めてやってみたが、すでにスケールアップしていたし、とにかく楽だった。
ここで学びだったのは自分にとって、ゴム手袋をつけて、石鹸で洗うという動作がすごく億劫だったということだ。
一方で、水洗いくらいなら素手で簡単にやってしまうということがわかった。
また明日も、やってみよう。
これは例えば他のことにも当てはまるような気がした。
例えば、なんらかのプレゼン資料を用意するときとか、企画書を用意するとき、エントリーシートを書くとき、ベストアイデアじゃないとダメだとか、考え抜かれたものでなければダメだと思ってしまうことが僕にはある。
だけど、もし今回のような作戦を使えば、例えば、企画書なら、なんかマジで市場とかどうでもいいから、好きにアイデアだけ出しちゃお!とか、プレゼン資料も、もう図とか体裁とかいいや、白黒でテキトーに作っちゃお!ってやると、実際のところ50%くらいはできてしまうのではないだろうか。
あとは誤字脱字とかで3%くらい上昇するし、デザインとかみやすさで30%くらい向上して、データの裏付けとかで20%くらい向上するから100%を簡単に超えてしまうんじゃないだろうか。
低レベルなものを逆にどう作るか選手権
習慣化には低レベルからしよう。
また、今すぐやらないといけないような宿題とかテスト勉強とかも低レベルからにしよう。
だって明日が期限なら、今やったってしょうがないわけだから、低レベルで提出するしかないじゃない。
他のものだって、逆に低レベルにどうやってやるかくらいの気持ちでやってみるのがいいんじゃないのか?
というよりもむしろ、低レベルなものをどう作るかを考えた方がいいのではないか?
一番楽で低レベルなテスト勉強の仕方を思いついてみたら、逆にやってみたくなる。
教科書をどれだけ早く捲れるか選手権とか、教科書の太文字を触る選手権とか。
そんなことをしていたら、だんだん太文字を覚えてしまって、このページは要は何言ってるのかテキトーに線引く選手権とかでもやってみたら歴史のテストでは赤点を取らないかもしれない。
エントリーシートとかも、文章は練られ尽くしたものでなければいけないと思ってしまいがちだけど、とりあえず思ったことを書き言葉も気にせずに書いちゃう。
それで終わり。
それをchatgptに突っ込んで見ちゃうとか。
そのくらいでも多分50点くらいはやっぱり取れてしまうと思う。
やっぱり怖いものほど、低レベルなものは思いつきにくいものな気がする。
低レベルで、そんなん楽すぎるけど5%しか進まないやんってものを思いつけたら多分、本物になれる。
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