2024年4月の記事一覧
走るボク マカピーの日々 #1444
マカピーです。
ただ走るのが楽しかったのです。
マカピーは小学校4年生になるまで自転車に乗れなかったのです。
農家で育ったマカピーですが、たいがいの友達は小学2年生くらいではもう自転車に乗りまわっていましたから、かなり遅いのでした。
三歳違いのマカピー兄も同じでスイスイと行くその後を、彼と一緒に遊びたいマカピーは兄に連れて行ってもらう必死について行きました。
それは、マカピーは小学低学年で
パタパタ・・・マカピーの日々 #1443
マカピーです。
新商品を提供することにしました!
フィリピンで食べた「チキン・イナサル」という料理に感激したマカピーはハナさんと相談してこれをレストランで出そうという事にしました。
イナサルとはタガログ語で「バーベキューにする」という意味になるそうです。
チキンイナサルは非常にシンプルな料理です。
鶏のもも肉を串にさして、たれをつけて炭火で焼き上げるだけ。
それに、ご飯と二種類のソースが
ネコの戦略 マカピーの日々 #1442
マカピーです。
自然の力はスゴイって思うのでした!
アジズが現在いるハマナスレストラン2号店から丁度100km離れた1号店で働いていた時に捨て猫を拾ったのがネコです。
アジズが付けた名前があったのですが、誰もその名前で呼ぶ人はおらずで、「メーメ」とかマカピーのように「クチン(マレー語で猫の事)」と呼ばれています。
1号店閉鎖でアジズと相棒のアイベルが2号店に来た時にネコも一緒に連れて来られ主
「旅する巨人」の弟子 マカピーの日々 #1441
マカピーです。
宮本常一さんという方を知っていますか?
宮本さんは1981年に亡くなっている民俗学者です。
マカピーが民俗学に強く惹かれたのは、民族学博物館(みんぱく)の館長をされていた梅棹忠夫さんの著作「知的生産の技術」を教えられたからでした。
それは最初は米国での酪農実習で、そして青年海外協力隊で東南アジアを知る頃でエスノロジー(民俗学)に目覚めて行くのでした。
それは各地の博物館を見
そうかあの日だったのか! マカピーの日々 #1440
マカピーです。
38年前にチェルノブイリ原発事故が発生してしたのが4月26日だったんですね。
あの事故当時に2011年3月11日の東北地方を襲った大地震とその津波発生で福島第一原子力発電所でメルトダウンが発生する事を予想した人がいたでしょうか?
あの頃の世論はソ連型の原子炉と人為的な事故としていたけれど、ソ連政府の発表が遅れ救助や支援が遅れたこと、人為的な事故でその前の1979年に発生していた
想起しちゃった! マカピーの日々 #1438
マカピーです。
ローローさんの記事を読んでいてフッと思い出したことがあります。
それにしても彼女のトマス・クックのお話はとっても面白いです。
そして、マカピーも一年余りヨルダンに住んでいたし出張で隣国?イスラエルを訪ねたこともあります。
ついでにウズベキスタン共和国にいた頃のイスラエル大使だった友人夫妻もいたのでエルサレム市内で再会を果たすことが出来たのは彼らの次男とマカピー次男が親友だったか
じゃあどうするかな? マカピーの日々 #1436
マカピーです。
サバに戻って来ても相変わらず、店の客の入りは増加していません。
ところがマカピーが旅行から帰って来ると、店内に見知らぬ青年が三人増えていました。
出かけに入れ違うように雇われた45歳のベンは、先日心臓発作を起こして危ういところでしたが「その後どうなの?」と聞くと「大丈夫」と笑っていました。
元からいたランに加えて四人増えたから総勢5人の男性スタッフとなっていました。
旅先か
一人よりも二人 マカピーの日々 #1434
マカピーです。
マニラのローカルフードがけっこう美味しいのです。
フライトのドタキャンで予期せぬマニラ滞在となったTさんとマカピーでした。
マカピーにとっては温水シャワー、エアコン、Wi-Fi完備スイミングプールもあるホテルに泊まったのは久しぶりの事でした。
空港からパサイのあるそのホテルの周辺も居住区(バランガイ)が入り組んでいる下町でした。
チェックインを済ませ、勘を頼りに裏路地を抜け
何とかなるさ マカピーの日々 #1433
マカピーです。
フライトがドタキャンになりました。
最初にインドネシアのスラウェシ島北端の火山が噴火したニュースを知らせてくれたのは日本の群馬にいるマカピー兄からのメールでした。
「まあ、特に問題ないでしょう」と兄に返信したのは経度的に東にある火山の灰の影響は少ないと考えたからでした。
ところが航空システムには影響があったのでした!
フィリピンのマニラからマレイシアのサバ州のコタキナバルに
ドキッとする連絡 マカピーの日々 #1432
マカピーです。
寝入りばなの夜中の電話に驚きました。
留守中の店を守っているアジズから夜中に電話があったのでした。
ハナさんが「直ぐに病院へ搬送しなさい!」と叫んでいましたが、アジズからの状況説明を受けて電話を通じての応急処置をして何とか患者は危機を脱したようでした。
翌日にハナさんに何があったのか説明をしてもらうと以下のようでした。
マカピーが今回の旅行直前に雇ったレストランのシェフ·ア
病める時も。 マカピーの日々 #1430
マカピーです。
ハナさんはフィリピンに来ても患者さんと接していました。
3年前にこちらで手術を受けフィリピン南部で療養していたハナさんは静養出来る場所を求め北部ルソン島に来ます。
彼女はフィリピンの医学部出身で親戚の多いこの地でのへき地医療をするのに必要な言葉も習得していました。
彼女は自身の療養目的だったので医療行為に関わるつもりはなかったのです。
ところが自分よりも周囲の住民の健康状態