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居合に想う

居合をはじめて気がつけば8年ほど。
何度も壁にぶつかっては乗り越えて、ひねくれた精神と、偏った視点と、揺れ動きやすい心を矯正すべく、自分の鍛錬のために始めたのがきっかけだった。

など、
かっこよく言ってみるものの、結局のところ、じいちゃんと幼き頃から一緒に見ていた「暴れん坊将軍」や「大岡越前」「銭形平次」などの時代劇の影響で、お侍さんになりたい、刀を持ちたい、刀でチャンバラっぽいことをしてみたい、というのが、真の理由だ。ちなみに、ちょっぴり「るろうに剣心」に感化されたところもある(剣心になりたかった)。

居合から日々たくさんのことを学んでいる。

居合とは
己と向き合う道なり

己の悪を斬り
己の本心に向き合い
己の真髄に触れ
己の在り方を見つめ直す

基本の基本の業、正座の「前」で、その人の人となりと、居合のレベル、今の心の動き、すべてがわかる、と師匠は言うが、まさにその通りだと、稽古の度に実感する。


抜刀、抜きつけ、振りかぶり、斬り下ろし。
刃筋がみえるか、聴こえるか。

ある意味、居合は、刀との対話の時間なのかもしれない。


刀と向き合い触れることで、見えるもの、感じられるものがある。

刀は精神だという人もいるが、まさにそうで、人の心を見透かすように写し出し、動きに落とし込む。

人の命が懸かる存在であるがゆえに、精神の懸かる重みが強い。

こちらの心情を、握る手を通じて、柄から刀身へと伝え、繊細に写しとるのだ。時と場合に依り、所有者あるいは所持者に伝わるよう凛と反応するのだ。

刀との対話を通じて、己との対話を深める。
私にとって、かけがえのない、修行の時間である。


居合を、刀を、語り始めると止まらなくなるのは、師匠と、刀を愛していたじいちゃん譲り。私が居合をはじめて誰よりも喜んだのは、じいちゃんだった。
居合の話は、今回はこのくらいで。また次の機会に。

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