身体のみの障害を一般教育にする重要性

車椅子というのは、確かに色々な所で行動のハードルを上げる。

しかし、逆にアクセスさえできれば、いわゆる健常者と変わらず能力を発揮できる。

正直、社会にとっても、労働人口が増えるのは、プラスにならないか?

皆と同じように頭脳労働ができる人材を増やすことは、身体の条件に拘らず、本人や社会のフルポテンシャルを発揮できる力になる。

そして実は、「健常者」や「一般の方」と呼ばれる人々にとっても、身体疾患や障害があっても自分達と変わらないかそれ以上の活動ができるハンディーキャップ(障害)がある人々と接するのはプラスになる。

障害がある中で工夫して、努力して身体にハンデがない人々と対等に渡り合うその術を身近に学べるのだ。

そして、果敢にチャレンジする精神とも接するチャンスなのかもしれない。

さらには、ライバルがいるとお互いが高め合うのと同じことが起きる。身近にいる自分よりも大変そうな誰かの頑張りを見ることで、活力をもらえることもある。

同時に、身近に疾病や障害がある人々と関わる中で、「なんだ、皆んな変わらないな〜」と感じられるだろう。

すると、現在存在する「健常者」と「障害者」の見えない壁が取っ払われる。

同じ人間、考えてることも同じ、欲も同じ、思いやりも、悩みも実は結構似ている。

確かに、歩行可能な人に歩けないという悩みはない。しかし、じゃぁ車椅子利用者が歩けないと毎日悩んでいるだろうか?答えは、NOのことが多い。

歩けないことを周囲が気にするということに困ったり、困惑したり、苛立ちを感じたりすることはあるだろう。

でも、それって足が遅いとか、背が低いとか、背が高いとか、メガネをかけているとか、あるいは名前の漢字を読み間違えられる率が高いとか、誰でも何かハードルがあって、時々は気にするけど、普段は別に普通に生活しているのと同じではないだろうか。

密に接触し、親しくなれば、きっと心も通じる。お互いのことを知ることで、人間って結構皆んなおんなじなんだと気づけるはず。

お友達の出身が何処の都道府県かで遊ぶとか遊ばない、友達になるならないを決めない。メガネの有る無しが友情に響かないのと同じように、車椅子だって、利用者との友情には影響などない場合が多いだろう。

LGBTの人々のインクルージョンが話題になっているが、今まで学校も同じ、本人がトイレで困っても、他者は知らずに同じトイレには入っていた。性をあまり意識しない年齢の時に、友達の性別によって遊ぶ・遊ばないを決めないように、LGBTだから幼少期に遊ぶとか、遊ばないが問題にはなりづらいのではないだろうか?

それと、車椅子利用者も根本的には変わらない。見た目が違うと認識されるか、されないかで随分と扱いが変わる側面もあるかもしれない。

そして、色々な国に住んでいると、色々体験して考えが柔軟になるように、色々な人と接触していた方が様々な事象に接触する可能性が上がる。

すると、健常者の想像力も向上する。読書をしていた方が、知識が増え、擬似体験が増え、その結果人生が肥えるのと原理は似ているだろう。

世界は広い。

そして、世界は深い。

私達の身近にも沢山の経験が隠れている。

一緒に生活し、一緒に学び、助け合う中でお互いを高め合えるなんて、素晴らしいことではないだろうか。

ちなみに、助けられるのは、障害を持った者だけではない。健常者が障害者に助けられることも実は結構あったりするものだ。

皆同じ人間なのだから、幼い頃から変な固定概念で壁など作らず、皆が混ざって高め合える環境を作ろうではないか!

そのためには、幼少期から同じ教育機関で仲間としてインクルージョンを実施するに限るだろう。

一緒により良い日本を作ろうではないか!

先ずは、ネットで「車椅子」とか、「聴覚障害」とか、「学生・車椅子」などとググってみて欲しい。

そこから、時間があったらボランティアで病院や団体を通して様々な人と接する機会を持つのも大変参考になるかもしれない。

車椅子とか障害というのが、案外身近で、障害者と括られる人々も普通の人が多いことを知ってもらいたい。

ぜひサポートよろしくお願いします。 ・治療費 ・学費 等 に使用し、より良い未来の構築に全力で取り組みます。