LGBT政策は平等や人権向上でしょ?全ての女性の安全を保証してこそ適切な配慮
最初に言います。私は平等には大賛成です。
第三のトイレにも、風呂にも賛成です。
肉体は男に産まれたけれども、心が女性で、色々なハードルを乗り越えて社会でも女性として生きて行くという方々は社会全体で最大限サポートすべきだと思います。もちろん、まだ処置やカウンセリングの途中だけれど、今後見た目も法的にも心と同じ性へとなって行く方々もベストなサポートや生活が求められて当然だと思います。そして、社会全体で肯定し、受け入れる姿勢も大切だと思います。心が女性ならば、出生時の時の状況に関わらず、皆が女性です。もちろん、女性に生まれた女性もトランスの女性と同じ人権を持つ女性です。
肉体も法的にも性別を変更できた人は、少しずつ以前よりも住みやすくなってきているのかな?そうだといいな〜って思います。
ただ、大変重要なことがあります。様々な配慮をする中で、女性として生まれた女性も窮屈にならないということは非常に大切です。全ての女性への配慮を怠らない、本当の意味で平等なLGBT配慮をするために、今一度考えていただければ幸いです。
目標は「皆が平等に生きやすい」世の中にすることなのですから。
まだ見た目が男性で心が女性の方には、今よりも女性として生きやすい環境整備が進むことを願う一方で、心が男性でただ免罪符のために女装している方がいないわけではありません。
と言いますのも、心が男性だけど、女装をすれば女湯に入って、女性の裸を見放題と考える人が今後一切出てこないという保証がないからです。(昔から女湯に覗きに入る男性っていましたよね)
何度も繰り返すようですが、LGBT配慮へは全面的に賛成です。
ただ、男性として生まれた心は女性の方の生きやすい環境のために、心も体も女性に生まれた人が生きづらくならない配慮をお願いしたいのです。もっというなら、全ての女性の安全を社会全体で同時に考えていただきたいです。
もし、見た目が男性の方が女湯や女子トイレに入った時の生まれつき女性の方々の守られる権利は誰が保証してくれるのでしょうか。本当に心が女性であるのなら、もちろんいいですよ。でも、問題は、見た目で心の性別は分からないことです。女性の肉体に産まれた心は男性の方もいますから
女子トイレや女湯にいるのだからと、いくら頭では「きっと」この人の心は女性なのだろうとは思っていても、心は頭でこう思うべきと考えたからと言って感じ方が変わるわけではありません。
女性同士ですら裸は見られたくないという人もいるでしょう。
LGBTへの配慮を間違えると、どうしても「きっと」本当に心は女性だと「信じよう」という心意気だけでは、心地よく過ごしづらくなってしまう女性もいるのではないでしょうか。
実は心も男の人にもし裸を見られたら、嫌な女性は、生まれつき女でも、トランスして女になった人でも共同の気持ちだと思います。これは全ての女性に共通する気持ちではないでしょうか。
そして、「女湯でのこういう状態だけが抵抗あるわ」という人の意見も、頭ごなしに否定してしまうと、拡大解釈されて来て、本人の中でLGBT配慮全体に対する感覚と誤解されてしまうかもしれません。感情や考えを無理に押し殺すことを強要してしまうと、本当に嫌なことについて議論できないことで、漠然と何かのコンセプトが拒否されてしまうことにつながるかもしれません。
類似した事象を2つ例として出します。共通することが多いことと思います。
一つ目は、産地です。スーパーに行くと、一部地域の食べ物は無くなっているのに、一部地域の物は山のように売れ残っていますね。
これって、社会的には「福島第一原発事故の影響」の影響や懸念が払拭されていないという何よりもの証拠ではないでしょうか。
実際の対応は、産地表示をうやむやにして、強制的に選ばせない形にして無理矢理消費させるというやり方です。
結局のところ、「本当に安全なの?」という問いには答えられずに、産地を意識する人への社会的バッシングがあるため、口に出さなくなる人は多いでしょう。あるいは、内輪ではいうものの、会社や一部の知人といる時は話題にしなくなる。しかし、臭い物に蓋をしたところで、異臭の根源は消えません。中で腐敗し、腐食が広がるかのように全てを内心では拒絶するかもしれません。
なんでこんなことを言うのか。LGBTと何の関係も無さそうですね。実際、放射能は関係ありません。ただ、一部の人の意見を無視して、全員に何かを強制しても上手くいかないことは案外多いと思います。また、意見を言うことすらも叩かれる人は、納得できないばかりではなく、なんだか気分が悪いと思うかもしれません。
LGBT配慮に関しては、もっと皆で話し合うことによって、誰もが気分良く生活できる解決策がきっと有ると思います。
だからこそ、正論だけではなく、全ての女性にとって快適で安全な配慮をみんなで考えることが大切だと思います。
もう一つ例を出します。
車椅子というのは、案外風当たりが厳しいところがあります。
障害者にも対応したユニバーサルデザインのトイレを増やして欲しいというのは、快く受けてくれるところも多いでしょう。実際に今そのような運動に大変感謝しております。
しかし、じゃぁ今までの男子トイレも女子トイレも全て改造して、誰でも何処のトイレでも平等には入れるようにしてくださいとお願いしたらどうでしょう。
新設する建物ならば、建物全体をバリアフリーにするのもわりとリーズナブルかとも思います。その反面、そもそも和式トイレしか無く、段差も多い建物を全て改造するというのは、非現実的なのかなとも思ってしまいます。
実際、たった一段の段差があるが故に、例えそれ以降にスロープがあろうとも入れない建物は結構あります。そもそもスロープもない建物も多いです。そして、簡易的なスロープをかけっぱなしにし、自転車が小さなスロープを避けずに転んだら、何故か自転車の不注意ではなく、スロープの存在が叩かれます。
社会は多数派に都合が良い方向に傾き易いと思ってしまいます。
日本はまだまだ男尊女卑の部分が多いところではあると思います。その中で、LGBTへの配慮と女性の権利の軽視を混乱しておかしな対応をするのは、本当の平等とは違う気がしてなりません。
女性として生まれた人も窮屈にならない、本当の意味でLGBTの人もその他の人も皆が幸せになれる配慮をするために、今一度考えていただければ幸いです。
皆で考えれば、きっと皆がもっと心地よく生きれる策が見つかるだろうと思っています。
なので、女性としての気持ちを表現するだけで、LGBT配慮に理解がないと頭ごなしに叩かれることもあるかもしれません。しかし、本当は、その気持ちにも配慮したLGBT政策こそが、「人類が皆平等に気持ちよく生きられる」という配慮の目標をきちんと理解した配慮なのに。そして、もし誤解があるのであれば、それも会話を通して理解し、お互いにとって円満な解決を導けるのではないでしょうか。
逆に、女性に生まれた女性の気持ちを無視して「配慮」を推し進めると、女性の内心のわだかまりが変な形で表出し、かえってLGBT配慮推進を妨害する要因になってしまう可能性もあると思います。
今一度、「全ての女性」にとって生きやすい策を一緒に考えてみませんか?LGBT配慮と一緒に、レズビアンやトランスの方々もそうでない方々も含んだ全ての女性が幸せになれるインクルージョンを考え、実施していきませんか?
ぜひサポートよろしくお願いします。 ・治療費 ・学費 等 に使用し、より良い未来の構築に全力で取り組みます。