可能性の中をドライブする、マイ・カー。


ドライブ・マイ・カー、映画は見ていないが、読み返した。村上春樹の『女のいない男たち』の低評価レビューを見ていて、村上春樹の小説を読むよりその自分のレビューを見返したほうが本人にとって有益だと思ったが、例えば、そのレビューを書いた人の前で、そのレビューを、他人が読み上げたらどう感じるんだろう。普通の感覚をしていたら、かなり恥ずかしいんじゃないだろうか。読み上げられて恥ずかしくないレビューは、それを想定して書いてあるレビューだろう。高評価レビューのほうは、読み上げられても、肯定的なぶん、恥ずかしさは少ないような気はする。恥ずかしさと社会性。肯定的な正直さと否定的な正直さとでは、否定的な正直さのほうが恥ずかしいという感覚があるのか。そこには、社会に向けて書かなくてもいいことを、発表しなくていいことを、社会に向けて書いている、発表している、ということがあるということだろう。社会人としての自覚の無さ、稚拙さ。世の中をよくしようという文ではないということ。レビューとはいえ、それは表現であり、作品と呼ぶこともできるものだということをわかっていない。大人の文と子供の文と分けると、子供の文。子供のレビューは自分だけ見るにとどめたほうがよい。

「ドライブ・マイ・カー」読み終わったあと、なんでこのタイトルなんだろうと違和感をもった。なので、なんでこのタイトルなんだろうと思い巡らせた。すると、この小説の構造がわかった。主人公は自分の車を運転できなくなった。ある事情で。今運転しているのは、生まれて3日後に死んだ自分の子供と同じ年齢の女の子だ。自分の子供かもしれないとおもうことのできる存在。その人が自分の車を運転する。そこでなされる会話。という構造。とにかくポイントとしては、マイ・カーなのだが、自分で運転をしていない状況ということ。前は自分で運転していたが、今はできないという状況。そういう状況での会話。そして、そこに演技という要素が入っている。そういう構造的なところをみると、村上春樹は抽象性とか、哲学要素が多い作家だとわかる。すんなりと小説世界に入っていけなかった人は、そういう場合は、構造から入っていくのがいいと思う。映画もそのうち見る。例えば、生まれて3日後に死んだ女の子がいなかったら、あいかわらず主人公は「マイ・カー」を自分で運転していただろう。運転する女の子と会うことはなかった。いや、あるいは、死んだ子が普通に育っていたら、その子が運転していた可能性もある。でもとにかく、家福の車を渡利が運転するということはなかっただろう。可能性の中をドライブする、マイ・カー。また、主人公は家福だが、渡利は渡利で、親から「捨てられた」子である。死んだ子。渡利が運転がうまいのはなぜなのか、とか。運転が下手だった場合には、出会わなかったな、とか。これは小説でいうと、村上春樹は文章がうまい、読みやすい作家ですが、つまりは運転技術がうまいわけで、運転技術がうまくなければ、その小説と私が出会うこともなかった、とか。そういうことでもあります。職業と技術。運転手を紹介してくれるのは大場さん。大きな場所といった感じか? 設定を振り返ると、主人公は接触事故を起こし、免許証を停止されている。事故のときは、お酒も少し飲んでいた。視力にも問題があることがわかった。視野にブラインドスポットがあるらしい。それまでは気付かなかったそう。

家福。主人公の名前、名字。ふりがなが必要な、特殊な、聞いたことのない名前。つまりここには、もちろん意味がある。意味があってつけられている名前だ。ここでいうなら、車は家だろう。家族の話。家族の幸福をめぐる話。家族の話といえば、家族での哲学的ワードとしては、ヴィトゲンシュタインの「家族的類似性」という言葉が連想される。たしか『1Q84』のBOOK 1とBOOK 2が出た後のインタビューで最近ヴィトゲンシュタインを読んでいると村上春樹は言っていたと思うが(正確なインタビュー記事の箇所は覚えていない)、村上春樹とヴィトゲンシュタインはかなり親和性がある。『風の歌を聴け』で必要なのはものさしだ、というような文章があるが、ヴィトゲンシュタインも同じようなことを言っている。そしてふたりとも自己治癒的な書き方をしている。さらには、ヴィトゲンシュタインと松本人志も親和性があると思う。言葉の使い方の可能性とか、そういうことでの共通点を感じる。なので、新しい村上春樹論を書きたいなら、村上春樹とヴィトゲンシュタインと松本人志を絡めていけば、おもしろいものが書けるだろうと思う。書けるは掛けるなのか。3人とも売れている天才なので、参考資料も多いだろうし。誰かに期待せずに、自分が書けばいいのかもしれない。文化批評、社会批評。が、私には、まとまった評論を書くほどの、そこに時間をかける気持ちはない。ちゃんとした評論家の勉強家ぶりには頭がさがる。だが、いろいろ読みながら考えていくつもりである。オープンカー。


ここから先は

9字

¥ 100

この記事が参加している募集

おもしろかったら100円ちょーだい!