【言葉】「戸田真琴の生きづらさ」を起点に世の中を描く映画『永遠が通り過ぎていく』の”しんどい叫び”
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AV女優・戸田真琴が監督に初挑戦した映画『永遠が通り過ぎていく』が描き出す「生きづらさ」
私が戸田真琴という存在を初めて知ったのは、『あなたの孤独は美しい』というエッセイがきっかけです。著者略歴に「AV女優」と書かれていたからそうと知りましたが、そんなことよりもエッセイを読んで、「思考・言語化のレベルが物凄く高い」という点にとても驚かされました。私はそういう人のことを「言葉の人」と呼んでいて、日常生活を含め、「言葉の人」にしかなかなか興味が持てません。
彼女がどれぐらい「言葉の人」なのかは、『あなたの孤独は美しい』の記事で書きましたので、そちらを読んでみてください。
そして、元々そういう関心を抱いていたこともあり、彼女が監督した映画も観てみたいと思いました。正直なところ、映画だけ観たら「よく分からない」と感じてしまうような内容でしたが、上映後のトークショーでしていた話を含めて捉えると、なかなか面白い鑑賞体験だったと感じます。また、トークショーの中で対談相手の1人が、「劇中のクリエイティブがとても良かった」と言っていたので、デザインなそに関わっている人にはそういう点でも関心が持てる作品かもしれません。
映画は、「アリアとマリア」「Blue Through」「M」という、3つの異なる物語で構成されています。一番好きなのは「Blue Through」です。
「心象風景を映像化した」という戸田真琴の発言
トークショーでは、戸田真琴がどのように映画制作を行っていったのかについて語っていました。その中で、「『よく分からない』と受け取られる内容になった理由」について、ざっくり次のように語っていたのが印象に残っています。
【確かにこの映画は、私の人生の「事実」をベースにしている部分もあるんだけど、でも「事実」に即しているかどうかは別に重要じゃない。「自分がどうして傷つけられたのか」より、「自分が傷つけられた時に何を感じていたのか」の方が大事で、その心象風景を映像にしようと思った。傷ついている時に見えている世界は、「事実」よりももっと鮮明でとんでもないもの。だから、心象風景を描くことで「事実」を照射したいと思って作った。】
『あなたの孤独は美しい』を読めば分かりますが、彼女は幼い頃からなかなか激しめの経験を重ねてきています。そしてそれらは、「普通の人が普通に生きていてもまず経験しないだろう状況」であることが多いと私は感じました。となれば、彼女が「事実をベースにしているが、事実に即しているわけではない」と発言した理由も分かるでしょう。自分の経験をそのまま映像にしても、ちょっと特殊な事例すぎてなかなか「共感」してもらうことが難しいと判断したのだと思います。
ただ、「『自分が傷つけられた時に何を感じていたか』は、他の人と共有できる可能性がある」と彼女は考えるわけです。そう説明されると、映像全体の「わけの分からなさ」みたいなものに納得感が出てくる感じがしました。自身の経験を何か普遍性のある設定に置き換えて物語を紡ぐのではなく、「その時の心象風景」を映像化するという方向性は、「説明されなければなかなか理解できない」という点を除けば、興味深いアプローチだと思います。
また、彼女のこんな発言も興味深く感じられました。
【人それぞれ、「自分にとっての『他者の愛し方』」ってあると思うんです。私の場合は、自分が普段観ている風景が不可思議ででも美しいから、それを見せてあげたいなって。興味がない人にはただ邪魔なだけなんですけど、でも「私が観ている世界を見せること」が、私なりの「他者の愛し方」なんです。】
『あなたの孤独は美しい』で非常に印象的だったのが、戸田真琴の「誰かのためになるのなら、自分をすり減らしてでも何かを届けたい」という強い気持ちでした。ある意味では、彼女がAV女優になった理由の1つにも、そういう背景があったりします。そんな彼女だからこそ、「自分が目にしている『この光景』が、もしかしたら誰かにとっての『救い』になるかもしれない」という思いを捨てきれないのでしょう。戸田真琴は、「自分の何かが、誰かの『救い』になってくれたらいい」という形で他者に「愛」を向ける人であり、そういう意味ではこの映画も、彼女なりの「愛」だというわけです。
映画だけを観てもなかなかそうは受け取れませんでしたが、トークショーの内容まで加味すると、この映画が丸ごと「戸田真琴からの贈り物」であることが理解できました。そういう部分も含めて、この映画の存在はなかなか価値があると言えるのではないかと思います。
「言葉の強度」が強い映画
さて、トークショーを聞くことで映画全体を捉え直すことができたわけですが、やはり映画を観ている最中は「よく分からない」という感想になる場面が多かったと言わざるを得ません。ただ、「映画としての出来」という観点を一旦外した明愛、劇中の「言葉」の多くに力強さを感じたこともまた事実です。
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