【感想】どんな話かわからない?難しい?ジブリ映画『君たちはどう生きるか』の考察・解説は必要?(監督:宮崎駿 主題歌:米津玄師)
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異例の「宣伝なし」で始まったジブリ映画『君たちはどう生きるか』は、「生と死」や「創作」について色々と考えさせられる良作だった
なかなか面白い作品だった。この映画については、特段調べようとせずとも、作品の評価がなんとなく視界に入ってくる。それらは「かなり良い評価」と「かなり悪い評価」の両極端に二分されているような印象だ。そういう漠然とした評価だけを頭に入れ映画を観に行ったのだが、私にはとても面白い作品に感じられた。
一応私自身について少し触れておこう。ジブリ作品について語る場合、語っていうのがどういう人間なのかは多少重要だと思うからだ。私は、ジブリ作品は一通り観ているが、熱心なジブリファンというわけではない。また、ジブリ作品に限らず、映画や小説に触れてあれこれ考えるのは好きだが、特別考察が得意というわけでもないと思う。ざっくり、「『ジブリ映画が好き』と言っている平均的な人間」ぐらいに思ってもらえればいいだろう。
ちなみに、以前読んだ『天才の思考』(鈴木敏夫)の記事も書いているので、合わせて読んでいただけると面白いかもしれない。
ジブリ作品らしい「訳の分からなさ」と、私が感じた「生と死」というテーマ
まったく何の情報も入れずに映画を観たので、冒頭、戦争のシーンから始まったのには少し驚いた。なんとなくだが、戦争が出てくるような作品だとは考えていなかったからだ。戦争が直接的に描かれる冒頭の、主人公・マヒトの疎開から始まるシーンを観ている時には、「『風立ちぬ』に近いタイプの作品なのかもしれない」と考えていたが、その後で、「ザ・ジブリ作品」とでも言うべきファンタジックな展開になっていった。
物語は、疎開先に隣接して建っている大きな塔に近づいたことで大きく動き始める。マヒトの母親の係累は何かで財を成した人物のようで、マヒトは豪邸の一角に建てられた離れで暮らすことになった。その同じ敷地内に、入り口が塞がれた大きな塔が建っているのだ。「大叔父が作った」と説明されるこの塔が、マヒトを冒険の旅へと誘う入り口の役目を果たすことになる。
さて、その後の展開は、多くの賑やかな装飾を取り払って骨格だけ捉えれば、実にシンプルと言えるだろう。冒険のきっかけを作った「謎のアオサギ」と共に、「叔母さんを救う」という目的のために一歩を踏み出すというわけだ。そうやってマヒトは、奇っ怪なことが幾重にも起こる不可思議な世界を旅することになったのである。
時空が歪んでいたり、宮沢賢治的なセキセイインコに襲われたり、若返ったり、「わらわら」という謎の生き物が現れたりと、宮崎駿が生み出すファンタジックな要素は実に魅力的だ。それらについてもきっと、解釈可能な意味はそれぞれ付与されていると思うのだが、その辺りは好きに解釈したらいいんだろうと思う。大体、宮崎駿映画というのはそういうものだろう。宮崎駿の頭の中から出てきた「何か」を、浴びる側は好きなように受け取ればいい。もちろん、「これが正しい」という解釈を提示したがる人はいるだろうし、それが宮崎駿の頭の中にあるものと一致する可能性もあるとは思うが、しかしそれを確かめる方法はない。この点については後でももう少しきちんと触れるが、「自分の頭で考え、好きなように解釈すればいい」と私は思っている。
さて、『君たちはどう生きるか』ではとにかく様々なモチーフが描かれるが、その中でも私は、「妊娠中の叔母さん」「熟すと空に浮かび、生まれ変わる存在」「若返り」「死人の方が多い世界」「危うく食べられそうになる状況」「神隠し」「代替わりの要望」など、「生と死」あるいは「流転」といったイメージを持つ要素が多いことが気になった。もちろん、これまでの宮崎駿作品にも「生と死」みたいなテーマは常にあっただろうし、『君たちはどう生きるか』だけに特別なものというわけではないとは思う。
ただ、決して考察が得意というわけではない私の目にも「過剰」に映るほど、あからさまに「生と死」の要素が組み込まれているように感じられた。宮崎駿が高齢であることを考えると、集大成だろう作品に「生と死」というテーマをこれでもかと前面に押し出したのかもしれない。
そんな風に考えることでようやく、戦争のシーンから始まったことも必然だったと感じられるようになった。まさに戦争こそ理不尽に「生と死」が決する世界であり、避けては通れないと言えるだろう。
「美しい世界の醜さ」「醜い世界の美しさ」を対比的に描き続ける作品
私はこの映画を観ながら、
「美しい世界の醜さ」、そして「醜い世界の美しさ」が描かれている
と感じた。作中では随所で、「美しい世界」と「醜い世界」が対比され、最終的にマヒトは「そのどちらを選ぶのか」という選択が突きつけられることになる(と私は解釈した)。マヒトは、「この美しい(はずの)世界に留まり、この世界を一層美しいものにする」と決断することも出来た。しかしマヒトは、その選択肢を拒んだ(のだと思う)。つまりそれは、「未だ戦争が続く『醜い世界』に戻る」という決断を意味する。
では、何故マヒトは「醜い世界」を選んだのか。これについては勝手に想像するしかないが、ここに「生と死」が絡んでいると私は考えている。つまり私は、「『美しい世界の醜さ』こそが『死』であり、『醜い世界の美しさ』こそが『生』である」と理解しているというわけだ。
マヒトは旅の途中、「生命がいかに誕生するか」に関する理屈を知ることになる。その場面ではそれ以上のことは描かれないのだが、その場面から私は、「マヒトが旅をしている世界では、生命は誕生しない」と解釈していいのではないかとも感じた。
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