「学校より家の方が快適になっちゃってるんじゃないですか?」と言われたという話について感じたこと

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不登校のお子さんのご家族が教員に「学校より家の方が快適になっちゃってるんじゃないですか?」といわれた

という投稿をされました

そこに「額面どうりにとらえてはならない」という返信をしていた教員がいたので、よくわからないので内容を詰めました

どんな考えを持っているのか知りたかったのです

大体どのような認識を持っているのかは把握できたので、そこに対する疑問、異議をここにまとめたいと思います

内容を詰める際に「主語がありませんので、意味が図りかねます」という言葉をいただいたのですが、

「額面どうりにとらえてはならない」

というご家族に意味不明な返信をした人が、「どの口でほざくのか」と不愉快でしたが、文章をまとめました

恐らく今までも「分かりません」で通してきたのでしょうが、だったらご家族や関係者に返信などしないでいただきたい

これで分からないのならもう教員としてご家族に関わらないほうがいいでしょう 混乱させるだけです

このやり取りで何を私が感じたのか をまとめたのでnoteにも載せたいと思います

やり取りの流れは以下の通りです(Qは私です)

(某ツイート)

A:額面どうりにとらえてはならない

Q:どう捉えればいいでしょうか?

A:子どもは、そもそも、なぜ学校へ行くのでしょうか?子どもにとって学校とは、自立に向けて、自分を鍛える場所なのです。

Q:それが「家を快適しないこと」とどのような関係性があるのでしょうか?

A自分を鍛える場所は、必ずしも快適ではない、ということです。つまり、朝、学校へ向かう時は、快適である家に気持ちが向かないようにした方が良い、むしろ学校の方が快適であるように、その子に向かっていってほしい、という気持ちの表れではないでしょうか?

Q:快適でない場所に向かわせるのに、快適であると嘘をつく のには何か教育的根拠はありますか?

A:D M頂けますか?私も福祉の先生がどのように考えているのか興味があります。また、上述の文章には、主語がありませんので、意味が図りかねます

以下に私の理解できないポイントを記述していきます

理解できないポイント①

「子どもにとって学校とは、自立に向けて、自分を鍛える場所」という表現です

後述にある「鍛える場所は必ずしも快適ではない」と主張していますが、そもそもこれはあなたが勝手に解釈しているだけではないでしょうか

「教育」を勝手に「鍛える」と解釈して「快適でないことを」を子どもやご家族にも強要する

文部科学省の出している義務教育の目的、目標には

「知り・分かり・出来る喜びを享受させること」

「自分らしさを追求させること」

ともあります

勝手に解釈した「鍛える」で義務教育の目的、目標が達成できてない上に

勝手に解釈した「教育」で子ども達やご家族に「快適な場所だと鍛えられませんよ」と押し付けるのはあまりに身勝手です

そしてそもそも、学校に行くことが難しいお子さんへの解像度が低すぎます

感覚過敏

ADHD

ASD

LD

発達特性における種々の課題

障害

人間関係の難しさ

子ども達を取り巻くそれらの問題は「快適でない」以前の話で「日常生活を送れない劣悪な環境」であるとなぜ想像できないのでしょう

それらを理解していないから平気で自分本位な、「自分を鍛える場所は、必ずしも快適ではない」という言葉を子どもやご家族に押し付けるのです

その言葉の中心に子どもはいないでしょう。自分勝手なあなたがいるばかりです

理解できないポイント②

「学校より家の方が快適になっちゃってるんじゃないですか?」という教員の発言が

朝、学校へ向かう時は、快適である家に気持ちが向かないようにした方が良い、むしろ学校の方が快適であるように、その子に向かっていってほしい、という気持ちの表れではないでしょうか?

というアンサーですが

この発言が出た段階で本気で「バカなんじゃないかな」と思いました

これに何らかの教育的根拠があるのかと質問したのは「子どもやご家族の人権侵害を推奨する発言」だからです

目を疑ったんですよ

不登校の理由や原因が何であれ、子どもの「心理的安全」は保障しなけれなりません

子ども達の発達に関わる問題、その中の不登校の問題は「個人要因」と「環境要因」の両輪で考えなければなりません

それが「登校できない」という高確率で「学校環境」に課題になりうる問題に対して、自分の事を棚にあげて「快適である家に気持ちが向かないようにした方が良い、むしろ学校の方が快適であるように、その子に向かっていってほしい」

という安全基地を奪うような解釈をする

相手の個人要因にだけ目を向けて、「学校」や「教員」の力不足や環境整備といった「環境要因」からは目を背ける

ましてやご家族にそれを言わせようとしてますよね。これでは子どもとご家族の信頼関係を崩しかねません

そういった危険な、教育的根拠のない解釈を「額面どうりにとらえてはならない」と暗に示す

子どもに関わる専門職がすることではありません




最後に、仮にこの教員の論理がまかり通ったとします

学校に行けなくなって、教員をやめたくなった人がいたらその論理に従って私は言いますよ

「ご自宅が快適すぎるんじゃないですか?、学校が快適であるようにご家族からも言ってください。そうじゃないと鍛えられないですから」って

子どもに言って良くて大人に言ってはいけないことはないですもんね?

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以上になります
これからも少しづつ投稿していけたらと思っています

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