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発達支援領域にいた人間が「感覚統合」においての「原始反射」についてと、「原始反射の残存、統合」についてををはっきりさせるために調べた話

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私の立場として

児童発達支援センターに勤めていた児童指導員で社会福祉士、精神保健福祉士の資格を持っています



現在絵本作家として活動していますが、noteにて自身の経験と発達支援の知識や技術、経験を発信しています

その中でも「感覚統合」は私の支援や関わりの中で大変重要な知識と技術であり、根幹になっていると言っても過言ではありません

そういった属性あることを前提に今回のことを記述していきます



SNSで感覚統合の話をよく私は発信していますが、「原始反射の統合」云々の話を聞くと辟易します

私の持っている知識や経験と照らし合わせてみても「間違った認識」、「自分に都合の良い認識」で活動を提供しており、非常に悪質 という認識です

感覚統合の中でも「原始」「反射」「感覚」というワードはよく出てきてきます

自身も怪しい胡散臭い存在になっている可能性もあります

しかし、少なくとも今出ている文献や実践は、怪しい教室や事業、社団法人が提唱しているものとは全く別物です 

ばかばかしいくらい違います

下手したら行政が関わっている機関ですら、平気で間違ったことを言ってる始末です 

なので今回はそろそろそういった「胡散臭い原始反射の残存、統合云々の話」と「感覚統合」の違いをはっきりさせようと記事をまとめたいと思います


私がまず、気に食わない、良くないなと思った、調べようと思ったきっかけとして

・「感覚統合」と共通していると謳っておきながらその実態は全く違うことをしている

・それを利用者やご家族に提供している発達障害が「治る」、「改善する」と謳い集客している

お子さんの障害や強い特性、そういったことで不安になっている、藁にもすがりたい思いのご家族に対してあまりに「不誠実」でこれが大変「悪質」だと思ったからです

特にサロンや教室、体操、社団法人で「原始反射の残存、統合云々の話」の記述があるところが「上記の悪質な謳い文句」を使用している事が多いです

何がおかしいのか


では何がおかしいのかを具体的に記述していきます

比較してみましょう

まず根本の「感覚統合」においての「原始反射」の捉えが違うと考えます

感覚統合において「原始反射」と呼ばれるものは「モロー反射」「バビンスキー反射」「ルーティング反射」「吸てつ反射」と一般的な理解と共通しています

そしてそれらの「原始反射」成長とともに消失します。それは「原始系ネットワーク」から「識別系ネットワークに」が優位になるからです

そして本来、そのネットワークが育っている状態なのに「触られるのを必要以上に恐れる、嫌がる」という行動が現れることを「原始系ネットワークの暴走した防衛行動」としています


そこで識別系のネットワークを活動の中で活性化させるために、お子さんの「自発性」、「楽しいという気持ち」をもち「感覚を意識的に使えるよう」様々な工夫を行う

これが「感覚統合」における「原始反射」というワードです。

「原始反射の統合」という言葉も、「原始反射」が成長の過程で原始系、識別系のネットワークに置き換わっていく意味で使われています

詳しくはこちら


では「原始反射の残存、統合」はどういった考えでなのかというと

例えば「原始反射」における「モロー反射」が残存すると

突然の音、光、刺激による感覚過敏の反応

新しい状況や活動への参加対応が難しい

衝動的な行動

につながるとしています

他にも

吸啜反射が残っていると 文字の読み書きが難しい

歩行反射が残っていれば 運動神経がない 運動に対する苦手意識がある

としています

原始反射それぞれの残存が、お子さんの苦手さにつながっている

そこにアプローチを行うことが「原始反射の統合」としている

ということでした

感覚統合の参考文献を通してみると


以下の参考文献を使用しました。「感覚統合」の参考文献の中でも「核」になり得る文献もあります


日本感覚統合学会の推薦書もあります

この参考文献を最初から最後まで読みました

「原始反射の残存、統合」という言葉そしてこれに準ずる「原始反射が原因でおこる行動とそれに対するアプローチ」といった記述は「一切ありませんでした」

知っていたことですが…

正確には「原始反射の統合」という言葉は一冊に一語だけ出ていて、感覚統合で使用される「原始系と識別系の切り替えができているか」という意味で使われていました

「モロー反射が~につながる」
「バビンスキー反射が~につながる」そして

「それにはこういったアプローチがいい」

とかは全く出てきません

Xで「原始反射」で検索かけてみてもらえばわかると思いますが、参考文献の写真にある「感覚統合の本」を「原始反射の統合」の参考に紹介してました

その本では全くそんな話は出てきません

「原始反射の統合」が本当に重要なものなら、実践の中で似たような話が出るはずではないでしょうか

全く出てこない内容を、まるで共通、関係ある、最新の研究では…とまるで関係あるかのように語るその精神性に「悪意」を感じます

Yahoo!やGoogleなどの媒体で「原始反射の統合」で調べてみると、この手の話しがたくさん出てきますし感覚統合との関連性を語るHPも多くありますが…

「感覚統合」と「それ」を並べるのは無理あると思います

言ってることがまるで違うのにあえて並べるのは、「一緒にしてごまかしてしまおう」という悪意がみえます

だってそうでしょう。「感覚統合」に文献一つでもとって見れば、「同じものではない」「なにも記述がない」とわかるのです

それをあえて並べているのはもう

「混ぜちゃえば分からない」

「便乗すればみんな信じるだろう」

「最新の研究とすればばれない」

という悪意ある確信犯ではないでしょうか


正直

新しい支援方法、新しい知見 ということで「臨床段階である」「方法を確立している最中である」という話であるなら

ここまで批判、白い目で見られることはなかった

私もみることはしなかったと思います

同じような話に「コグトレ」もあります

こういった新しい仮説に対して

支援者は敏感に反応し、興味を持って情報交換、ご家族と連携を取って検証、研究を行っていくこと

は本当はとても大切な姿勢なのです

しかし、なぜここまで嫌疑の目で見られるか

まだ仮説段階であるのではないか?

実践の積み重ねがないのではないか?

エビデンスが足りないのではないか?

そういった段階での

「治る」「改善できる」

となんの確証もない、責任も負えないのにそういった言葉を当事者、関係者に触れ回ったからだと私は考えます

50年近く実践、臨床、研究を繰り返している「感覚統合」でさえ、いまだに疑問の声があります

しかし、それでもそれが続いてきたのはその実践の継続の中で、その実践を受ける当事者、ご家族に真摯に説明をし、研究、実践を繰り返してきたからにほかなりません

正直紙一重ではないか と思うのです

「感覚統合」の実践でさえ、「治る」「改善する」と謳えば、途端にその信頼性は失われるでしょう

それだけでなく発達障害に関わる実践・アプローチ全てが当てはまります

ABA

PECS

インリアルアプローチ

TEACCH

などなど

しかしそれは、今までその支援に根拠を持たせようと研究や実践を積んできた支援者、ご家族の努力を踏みにじる行為であり、侮辱です

この問題は「誠実さの欠如」に尽きるだと改めて感じました

実際今後、「本当は正しかった」という話が出るかもしれません

しかし、悪意のある魂胆が見え隠れしている以上そこに信頼はありません

支援者を騙る者のモラルのなさで一つの仮説が消えるのです

根拠の薄い実践が支援の根拠になり得ることはあり得ないし、それをさも「効果のあるもの」と触れ回ること

それは、様々な人を混乱させ、騙す 愚かしい行為であると思ってほしい

私は全く支持できません




以上になります

これからも少しづつ投稿していけたらと思っています

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