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「持論」『心配事の8割は起こらない』という言葉が暗に示すこと?


『心配事の8割は起こらない?』

私はすごく心配性である。

家の戸締りをしたか確認しないと寝られなかったり、仕事でミスをしたのではないかと不安になると過去の処理を全て遡って確認するなど、とにかく心配性である。

こういう性格の私にとって気を楽にしてくれる言葉がある。

『心配事の8割は起こらない。』

この言葉を聞くと、確かに杞憂に終わることが多いなと励まされる。

しかし、この理屈で考えると以下のことが言えるのではないか。

『頭に思い浮かべた夢の8割は実現しない』

『頭に思い浮かべた夢の8割は実現しない?』


飛躍していると思われるだろうか。

悲観的だと言われてしまうだろうか。

そう思われても仕方がないと割り切った上で話を進める。

あくまでも私の持論であるが、心配事の8割が起こらないと考えるなら、夢の8割も実現しないと考えることできるのではないか。

『こういうことが起きたらどうしよう』という心配
『こういうことが起きてほしい』という夢
この2つが起きる確率は等しくあるべきである。

頭に思い浮かべるネガティブなことの8割が起こらないと考えるなら、ポジティブなことの8割も起こらないと考えるのが妥当だろう。

心配事の8割は起こらない、だが夢の8割は実現するという解釈ほど、都合のよい捉え方はない。

夢だとスケールが大きいが、日常レベルの話に落とし込んでみる。

夢=良いことが起こると信じる気持ち、日々生活する中でこういうふうに事が進んで欲しいと期待する気持ちなどである。

私は、いつも『心配事の8割は起こらない』という言葉に励まされつつ、同時に夢の8割は実現しないという現実も肯定していたと考えると複雑な気持ちになったのだ。


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