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線香花火くらいの約束があれば あの夏はまだ続いてくれるのかな

渋谷駅、24時と10分。

この街の夜は嘘で騒がしい。

泣き声と鳴き声。叫びに似た笑いたち。並べた肩から垣間見える下心。終電を知らせるベルと駅から遠ざかっていく傘。足音。雨音。

なにが本当でなにか嘘なのか。だれの心が笑っていてだれの心が泣いているのか。わからない。こんなにもたくさんの人がいるのに、だれひとり此処にはいないような。本当のものなんて、本当は何ひとつもないような。そんな街。

今日の私は、この場所が似合うひとりだった。




「電話でるの、やめてよ」

言った。呟くように、でも、ちゃんと聞こえるように。程よく濡れた傘を畳むと、水滴がサンダルを濡らす。湿っぽい青のペディキュアが中指だけ剝がれていることに気づいた。

横ではビニール傘が大袈裟に身体を揺らしている。水滴が私のスカートにまで飛び散ってきて「濡れるじゃん!」と今度は大きな声を出した。じっとりした肩に右の拳を当てつけたが、彼は痛い様子も見せることなく、改札に向かって歩き出す。相変わらずの不愛想さに、落胆と安堵。

本気で殴ってやりたいのは、私の幼稚な脳味噌のほうだ。

もう、会わないつもりだった。やっと離れられたと思っていた。でも、理性が心して下した決断は、アルコールに軽々と潰されてしまった。たかだかレモンサワー4杯で。

「ほら、俺んち来るんでしょ?」

改札間際で迷っている私に、彼は振り返って声をかけた。変わらない声だな、低くて甘い。

何で電話出るのよ。出ないでよ。着信拒否しておいて欲しかったよ。だいたい何で渋谷にいるのよ。どんな偶然だよ。って、私、弱っちいから。こんな風にしか守れなくて。だけどさ、正直さ、「電話でてよ」って思いながら『呼出中』の文字、眺めてたよ。会えて嬉しいんだよ、本当は。こんなこと思うの、酔ってるからだけどね。

なにが本音でなにが嘘なのか自分でも扱いきれなかった。そんな問答をものともせず、私の二本足は彼の後ろをついていく。

アルコールのせいにして、いつもとは違う終電に乗り込んだ。本当はもう抜け切っているくせに。





車内は案外空いていて、私たちはドア近くに横並びで座った。目の前には、酔いつぶれたような中年の男性と、誰かと通話をしている若い女性。まるで他人になんて興味なさそうに、ぽつんぽつんと座っている。

無性に悔しかった。

私と彼。ふたりが隣り合わせて座っているんだから、誰かしらの視界に残れたらいいのに。ほんの一瞬だけでもさ。なんて、惨めな高望みだけど。だって今の私は、彼の瞳にすら写れていないし。

彼はせわしなく「誰か」と連絡を取り続けている。ひさしぶりに私と会っても、私のことなんかより、返信をしたい「誰か」が大切みたいだ。

「こっち見てよ」なんて我儘言って、おちゃらけた調子で携帯を取り上げていた頃の無垢さが恥ずかしい。あの時も、今だって、私だけが彼を独り占めする資格はないのに。



ところどころ水滴のついている向かいの窓越しに、真っ黒な夜空を眺めながら、去年ふたりで見た花火を思い出す。りんご飴とビールをつまみに、ひとけない公園から眺めた小さい花火たち。写真には残さなかったけど、いつでも脳裏に打ち上げられるくらい、鮮明に覚えている。

あの頃はまさか、1年後も灯ったままの火花があるなんて想像すらしていなかった。炎天下で溶けるアイスクリームみたいに、ひと夏だけの関係だと思っていた。



グラグラと揺れる車内が、ほろりと残っていたアルコールを血液に循環させる。思い出したって何が変わるわけでもないのに、思い出さずにはいられない。



冬は奪われていく体温を補うように、彼の手を握っていた。クリスマスには都内のイルミネーションスポットに赴き、行き交う恋人たちに紛れてひとときの幸福に浸かった。寒さが和らぐ頃には、たぶん、彼の隣が「私の居場所」だと錯覚しはじめていたように感じる。

春、彼の家のベランダから満開の桜を見たときは、きっと次の花火大会もふたりで行けると思った。当たり前のように、そうなると思っていた。

彼が私をちゃんと見てくれなくなったのは、いつからだったんだろう。自分の熱にばかりほだされて、私も彼のことがちゃんと見えなくなっていたんだろうか。そもそも「ちゃんと」見つめ合ったことが、たったの一度でもあるんだろうか。

この関係の将来を考えてみたって手遅れで。行き場のない感情を押し殺して傍にいるか、どこに行き着くのかもわからない明日に保険をかけて離れるか。その二択を前に、私は決断をした、はずだった。結局、2か月を目前に電話をかけてこの様だ。いとも簡単に時計は巻き戻る。



窓を打ち付ける雨足が早くなるのとは裏腹に、心拍数は穏やかだった。

確か、最後に会った日も雨だった気がする。

あの時「さよなら」って大袈裟な言葉を使ったのは、嫌いになったからでも終わりにしたかったからでもなくて、私のことをちゃんと見て欲しかったからだ。最後まで嘘しか言えない私を見透かしてか、何も言葉を発しない彼に耐えきれず部屋を出た。雨の中、傘も持たずに駅まで走った。

別に、「付き合おう」とか「結婚しよう」なんて将来の約束が欲しかった訳じゃない。

でも、せめて、「梅雨が明けたら線香花火でもしようか」くらいの言葉がほしかった。





相変わらず目の前ではおじさんが泥酔している。女性はというと、どこかの駅で降りたらしい。

せっかく会ってしまったんだから、私の瞳にくらい彼を写しておこうかな。

そう思って、携帯に触れていないほうの手を上から握った。彼の視線がようやく画面から離れて、こちらを見る。「携帯ばっかいじらないで、って、思ってた?」と意地悪そうに笑うから「思ってないよ」とすました顔を作った。渋谷駅はとうに離れたのに、まとわりついた嘘は剥がれない。

彼はポケットからイヤフォンを取り出し、携帯に差し込んで、片方を私の耳につけた。

繊細で儚いピアノの音が右の鼓膜に触れる。「打上花火」だ。また視線を携帯に戻してしまった彼の肩に頭を預けて、歌詞に耳を馳せてみた。


ぱっと光って咲いた 花火を見ていた きっとまだ終わらない夏が 曖昧な心を 解かして繋いだ この夜が続いて欲しかった


きっとまだ、終わらない夏。そう信じていたのは私だけで、本当はとうに終わっていた夏。でもやっぱり、彼の隣にいると幸せだな。暗い夜でも、続いて欲しいと、思う。

だれも見ていない。約束も形もなにも無い。それでもイヤホンひとつで繋がって、同じ音楽を聴いていられるなら。

今は、いつになったら終わるのかわからない長い低気圧のせいにでもして、ここに居たい。



もうちょっとだけ、明けないでね。梅雨と夜。




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