りっちー

10年近く母親の介護をしました。 昨年3月にその母が旅立って、ぽっかりと心に穴が空いた…

りっちー

10年近く母親の介護をしました。 昨年3月にその母が旅立って、ぽっかりと心に穴が空いたような感覚です。 時間も出来ました。 昔好きだった「書く」、またチャレンジしてみようかと思います。

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自己紹介です 3月まで10年近く母の介護をしていました

はじめまして 母親を介護してきたこの10年(後半4年ほどは施設でお世話していただきましたが)。 3月にその母が旅立ちました。勿論悲しく寂しいのですが、大往生と言うやつ故に、そこは微妙な心持ちではあります。 認知症にもならず寝たきりでもなく、あっぱれと申しますか…。 自宅で介護をしていた時は、時間に追われきゅうきゅうとした毎日でした。私一人。年の離れた姉は遠方に嫁いでいます。近くに縁故者もおりませんでした。 ほぼフルタイムで働いておりましたので、デイサービスを利用しても、私

    • 介護生活の転機 part2

      トイレが怖い トイレでの転倒をきっかけに、母はトイレを怖がるようになってしまった。 リハビリで1週間入院した後に帰宅したが、家のトイレに入ろうとすると、トイレの入り口で足が進まなくなってしまう。 足腰などの問題ではなく、メンタルの問題ゆえ改善は難しい。トラウマというやつである。 病院ではポータブルトイレを使用していたので、本人も抵抗はないようで、その方が良いと言う。 身体的には、トイレ使用はまだ可能だと思われたので、複雑な気持ちだった。 可能であれば、出来ることは自分でした

      • 介護生活の転機 part1

        トイレで何が? 「お母様がお家のトイレで倒れられていて」 デイサービスの、お迎えの介護士さんからの電話を受けたのは、仕事中だった。 「今、救急車を呼んでいます」 頭の中が真っ白になった。 倒れた? 「すぐ帰ります。5分で着きます」 慌てて電話を切った。 仕事場から家まで、自転車で5分ほど。 早退させてもらい、家に向かった。 心疾患。 脳疾患。 のようなものを想像した。 朝は特に異常はなかった。 何が起きたのだろう。 もしやこのまま…。 家の前に救急車が止まっている。 玄関

        • 桜 さくら にまつわるエトセトラ

          タイトル 写真は、つい最近の、家の近所の桜並木。 桜が散り始め、通路に花びらの絨毯が敷かれている。 綺麗。 日本人が大好きな桜。 桜にまつわる思い出話しは、多くの人が持っていそう。 ご多分に洩れず私にも、いくつか思い出がある。 母も桜が好きだった。 再び一緒に暮らし始めた、翌年の春だっただろうか。 桜が見たいと母が言い出した。 私は気乗りしなかった。 休日の時間は、自分のために使いたかったからだ。 母が元気な頃、私は母の事をたいして気に留めてもいなかった。 むしろ冷たか

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        自己紹介です 3月まで10年近く母の介護をしていました

          還れなかった子たちへ

          いつか会えなくなる運命なら 出会わなければよかったのだろうか 別れの痛さに身を捩る 慣れることのない痛みを もう味わいたくなければ 目を閉じるしかない 心を閉じてしまうしかない 私の魂は夜の海を彷徨った そこにあの子たちが行き着いているのなら 会える気がして 冷たい風に晒されながら あの子たちを探した 幾度となく 身体は灰色の街を歩いた どこかにあの子たちが潜んでいたらと ひたすら奇跡の邂逅を求めて 歩き続けた 何度も 何度も どうせ損なわれてしまうのなら 創られなけ

          還れなかった子たちへ

          がみちゃんとぽーちゃん

          がみちゃんはぽーちゃんのお母さんです。 4年ほど前のこと。 がみちゃんは、ある公園のトイレでぽーちゃんを産みました。 本当は、もっとひっそりしたところで産むはずなのですが、がみちゃんはかなりポジティブタイプの猫なので、ま、ここでもいいか的なノリで産んでしまいました。 その後、さくら耳になりました。 なので、それが最後のお産となります。 ぽーちゃんは、がみちゃんの娘です。兄弟がいるはずですが、兄弟たちのことは覚えていないのです。 物心ついたころには、母親のがみちゃんと一緒に行

          がみちゃんとぽーちゃん

          covid-19の日々

          コロナ禍の中、母が有料老人ホームに入居して1年ほど経った、 2022年2月。 施設長から電話があった。 職員がコロナに感染したと言う。 私はかなり慌てた。 オミクロン株と呼ばれる変異株が、流行し始めていた。初期の株より、症状は軽そうだという話だったが、高齢者には死亡者もまだまだ多く出ていたし、何より母はワクチンを打っていない。 新しいタイプのワクチンは、因果関係はよくわからないものの、接種後に亡くなる方もいて、どれほどの効果があるのかも不明で、超高齢者には、どのような副反応が

          covid-19の日々

          お母さんへの手紙

          前略 早いものですね。 もう1年経ちましたね。 去年と同じ日、今日も雨です。 この1年、お母さんのことをたくさん思いました。 昔のことも 最近のことも。 幼い頃、お母さんを探して、商店街まで走って行ったことを思い出しました。 家でお父さんにお母さんの居所を尋ねると、買い物に行ったと言われたのです。 何故、お母さんを追ったのか覚えていないけれど、お母さんを見つけて、私は泣いてしまいました。きっと探す間、不安だったんでしょうね。 お母さんの割烹着を握りしめて泣く私の涙を、お

          お母さんへの手紙

          猫好きによる 猫好きのための 猫の話(感動編)

          ミステリアス母さん猫 勤め先の電器店が閉店になって、何年か後の話。 私が30代前半の頃だったと思う。 4階建てのアパートの、2階の角部屋に住んでいた。玄関は北側、ベランダは南側。 ベランダ側に駐車場があった。 その駐車場を、子連れで歩く母さん猫を見かけるようになった。子猫は3匹。 ベランダから食べ物を落とすと、母さん猫は、顔を上げて私を見た。 猫たちを見かける度、食べ物をベランダから落としていると、そのうち駐車場の隅の方で、親子で私がベランダに現れるのを、待つようになった。

          猫好きによる 猫好きのための 猫の話(感動編)

          猫好きによる 猫好きのための 猫の話(ちょっぴり悲しい編)

          ボス猫 小鉄の話 猫を飼ったのは一度だけ。はるか昔のことだ。 でも猫好きだからだろう、猫には何かと縁がある。 まだ私が20代の頃。 勤めていた郊外の小さい電器店には、よく野良猫がやって来た。 売り場部分の裏が倉庫や、事務所、休憩室になっていた。従業員用の駐車場も、店舗の裏側にあった。舗装もしていない、殆ど荒地みたいなそこには、引き取った古い電化製品や、屋根用のソーラーパネル(展示用)などが雑然と置いてあり、いかにも野良猫が集まりそうな場所ではあった。 色んな野良猫が、入れ

          猫好きによる 猫好きのための 猫の話(ちょっぴり悲しい編)

          母とのお別れ そしてそのあとの私 part2

          寒いと呟いてベッドに入った母は、次の日、ずっと眠ったままだった。 朝と夕方、会いに行って、何度も母に呼びかけてみた。 お母さん、お母さん。 返事はない。 もうすぐそう呼べる人は、いなくなる。 この世から。 そう思うと、寂寥感が胸に広がっていった。 次の日、仕事は休みだった。 朝に会いに行った時、母はまだ眠ったままだった。 もうこのままなのだろうか。 その時はいつなのだろう。 昼頃再び訪れた時、 さっき目を覚ましましたよ、と玄関口で施設長が笑顔で告げてくれた。起き上がり、ジ

          母とのお別れ そしてそのあとの私 part2

          母とのお別れ そしてそのあとの私 part 1

          もうすぐ母が旅立って、1年になる。 そう言うと、周りの人達は皆一様に早いねぇ、と言う。 本当にね、早いね、 もう1年。 あの日から。 母は、亡くなる2年ほど前から、有料老人ホームに入居していた。 施設長=経営者という、こぢんまりとした有料老人ホームであった。 ちょうど、コロナ全盛期の頃。 おおかたの老人施設では、面会は全面的に禁止というような状態が続いていたが、特別に、玄関先で、週に3回ほど、短時間という条件付きではあるが、面会を許可していただけた。 母の年齢や、私たちの家

          母とのお別れ そしてそのあとの私 part 1

          介護保険で住宅改修 母のために引っ越し 引っ越しPart2

          ぼやいてはいられない。気を取り直して引っ越し、引っ越し。 母は、入院中に介護認定を受け直し、いきなり要支援1から、要介護2に認定された。 腰痛で起き上がりも困難な状態だったので、その時点ではそういう認定になったものと思われる。 家の玄関は狭く、上り口が高い。踏み台を設置。 右側には腰高窓があるため、左側に短めの手すりを付ける。 床おき式の手すりを母の部屋から、ダイニングにかけて数個設置。トイレの入り口横にも手すりを付け、トイレドア開閉時の姿勢を安定させる。 室内は手すり、

          介護保険で住宅改修 母のために引っ越し 引っ越しPart2

          介護保険で住宅改修 母のために引っ越し、引っ越し Part 1

          私が就職し家を出た後、山あいの田舎町で、母は長く一人暮らしだった。 20年ほど前、貧血と肺炎で入院した母を、もう一人で置いておけないと、再び2人で暮らすことを決断した。 母が住んでいた住宅が取り壊しになるということもあり、私の住む都市部に移るよう説得して、引っ越しすることとなった。 私がそれまで1人で住んでいたアパートは、2人で住むには狭い。 あちこち回って、4階建てのアパートの2階、3DKの間取り、新しくはないが交通の便がよく、まあまあの物件を見つけた。 1階にある不動産

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          母と姉と「サカナ」を見に行った話 part2

          「サカナ」を見に行くと決心したものの、計画はなかなか進まない。 姉は夫の体調がすぐれず、いつ帰省出来るかわからない。 私一人で連れて行けるかも、とも考えたのだが。 母の食欲不振は、長く続いた。 あまりに食べないので、デイサービスからの提案で、プリンやヨーグルトなど食べやすいものを、毎日持参するほどだった。 その割には、特に体調に目立った変化はなかったのだが、体の負担になるようなことは避けた方が良いのかと逡巡しているうちに、月日が過ぎていった。 姉が帰省出来そうと告げてきたの

          母と姉と「サカナ」を見に行った話 part2

          母と姉と「サカナ」を見に行った話 part1

          デイサービス④に通っていた頃の話だ。 レクリエーションで、水族館に行くという。 参加は任意である。 母に聞いてみた。 水族館、行く? 母は、目を輝かせて頷いた。 行く。 ちょっと意外な返事だった。あまり外出したがらない人だったから。若い頃からそうだったらしく、父からのお出かけや旅行の誘いは、ことごとく断っていたらしい。 参加に丸をつけて連絡帳を返した。 レクリエーションは、7月初旬の予定だった。 予定の2週間ほど前、母は熱を出した。38度近く。 デイサービスから連絡があり

          母と姉と「サカナ」を見に行った話 part1