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個性的な女の子 1

近くの緑地で見かけた子。
左耳をカットしてるから女の子。
にしても、ちょっと個性的な柄だねえ。
茶と黒と白と、だから三毛ちゃんね。
でも配置が珍しい。
まだら模様のまんちゃん。

個性的な女の子。

個性的。
私もずいぶん、そう言われたものだ。
「個性的」は気を遣ってくれた表現だ(私の場合)。
変わってる、独特、何を考えてるのかわからない。
よくそんなことを言われた。

個性的?だった、自分の昔話などをしてみようかと、まんちゃんを見て、思いついた。

小学校では、いじめられっ子だった。とは言っても、今時にありがちな、大掛かりないじめではない。皆に無視されていたとか、嫌がらせを受けたというものでもない。
ガキ大将S君を中心とする、2、3人から「口撃」されていたぐらいのものだ。しかもS君が言うことに他の2、3人は追随していただけなので、実質はS君1人にやられていたと言ってもいいだろう。

小学校2年の時に、県外の海辺の市部から引っ越して来た。
山間部の小さな町は、農業従事者が多数で、人の出入りは少ない。転校生は珍しく、注目の的である。
私は生来、引っ込み思案で臆病な、地味な子供だった。
S君に「口撃」されても反撃も出来ず、よく泣きながら家に帰っていた。
その時、母はどういう反応だったのか、不思議に覚えていない。

後に大人になってよく考えてみると、S君の言っていたことは、小2の子供が思いつくような話ではないことに気がついた。
多分彼の親が、話していたことであろう。
その田舎町では、私と母はいわゆるよそ者で、よそ者は、何かと噂話のターゲットになりがちなものだ。

ガキ大将のS君は、弱い者を見つけては攻撃していた。
彼の何人かいる、いじめの対象者のうちの1人が、色黒で痩せっぽちのK君だった。やられても向かっていくタイプではなかったので、いじめやすかったのだろう。
さすがに女子には暴力的なことはしなかったS君だが、K君はよく小突かれたりしていた。

そういえば、どういう経緯だったのか覚えていないが、K君から十姉妹を貰ったことがある。
私の家までわざわざ持って来てくれたのに、数日後、鳥籠の掃除中に、私はその十姉妹を逃してしまった。
べそをかきながらK君にそれを告げると、K君は親切にも、また一羽、十姉妹を譲ってくれたのだ。
再び私の家まで十姉妹を持って来てくれて、笑顔で渡してくれた。
同じS君にいじめられている私に、シンパシーを感じてくれていたのだろうか。
K君の笑顔は、いつも淋しそうに見えた。

S君からのいじめは、2年ほど続いただろうか。クラスが別々になって、取り敢えず私への「口撃」は収まったが、他の子達へはどうだったのか、私は知らない。

K君の話には、面白い後日談がある。
K君は私と同じ高校に進学した。S君は別の高校だった。
高校生になったK君は、すごいモテ男に変身したのである。
痩せてスラリとした長身に、ソフトなリーゼントが似合っていた。一見ヤンキー風の見かけによらず、心優しいK君に女子たちが群がったのである。
私に十姉妹をくれた頃のK君と違って、自信に満ちていた。
S君は果たして、彼の変貌ぶりを目にしたのだろうか。

さらに高校卒業数年後、小学校の同窓会があった。K君もS君も来ていた。
S君は家業の建具屋を継いで、K君は実業系高校の先生になっていた。
K君はサーフィンが趣味だという。見かけもサーファーだ。
K君はS君にこう声をかけた。
なあS、小学校の時、よくお前にいじめられたよなぁ。
さらりと微笑みながら、K君はそう言った。本当に懐かしむかのように言った。
S君はバツが悪そうに、無言のまま顔を背けた。
すぐ横にいた私を、K君は意識していたのかどうかわからないが、見事な逆転勝ちだった。
うん、かっこいい。
その時、そう思った。

私は、自分に自信がなく、他人に拒絶されることを、ひどく恐れるような子供になっていた。
しかも、他人にそのような弱い自分を知られるのはもっと怖かったので、頑なで、いびつな様だっただろう。
一風変わった、平均的ではない感じの、暗い子供だとと思われていたと思う。
大人になっても、その気質は払拭出来なかった。そのせいで、随分と生きづらい思いをしたものだ。
元々の性格でもあったかも知れないが、いじめが無関係だったとは思えない。

実は私をいじめていたのは、S君たちだけではなかった。
S君のいじめより、私にダメージを与えたのは、教師のいじめだった。

そのことについては、次回に。







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