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介護生活 後半戦part2


神経質になり過ぎていたとは思うが、毎日、いつも目で、耳で、母の動きを追っていた。
夜中、母がトイレに起きる小さな音にさえ、目が覚める。
毎日眠りは浅く、身体が重かったが、それも当たり前の日常だった。

母の身の回りの世話も、大変だった。
母は、毎日丁寧に洗顔したがった。
古い家の洗面台は、タイル張りの風呂場の中にあって、使いにくく危ない。
台所の流し台で、歯磨きと洗顔をしなければならなかった。
流し台は、背の低い母には高すぎるため、踏み台に乗って洗顔する。当然、私はその場から離れられない。
茶碗を拭きながら、母を見守っていた。

1年、そんな生活が続くと、良くも悪くも慣れてはくるものである。
おおかたが、ルーティンになるのだ。
もちろん、楽しいとは言い難いルーティンだったが。

そして。
待ちに待った朗報が、やっと届いた。
公営住宅に、入居出来ることになったのだ。
抽選なので、当選したのは幸運だった。
涙が出るほど嬉しかった。

エレベーター付きの建物で、身体障害者向きの部屋。2LDK。
バリアフリー。
廊下、トイレ、洗面所、風呂に予め手すりが付いている。
玄関は広く、スロープになっている。
ドアは、すべて引き戸。
温度設定の出来る給湯器付き。

家賃も収入に応じて決まるので、低所得の私は最低の家賃で済む。
今までの借家の3分の1以下の家賃だ。

ケアマネに連絡し、福祉用具などの検討や日常生活のアドバイスをもらった。
ケアマネから、歩行器使用の提案があった。
バリアフリーなので、歩行器が使える。
玄関から居間、母の動線を考えながら、歩行器が通りやすいよう、家具を配置した。

歯磨き、洗顔も、母1人で出来るようになった。
歩行器で洗面台まで行き、洗面台の前に立たせ、後ろに椅子を置いておく。疲れたら椅子に座ったりしながら、ゆっくり洗顔できるようになった。終わったら手を叩いて呼んでくれるので、また歩行器に移らせる。
居間の隣の和室を、母の部屋とした。
今まで通り、ベッド脇にポータブルトイレをベッドの方に向けて設置。ベッドに取り付けた手すりを持ちながら、トイレを使用出来る。

コンパクトタイプの歩行器で、母の歩行はかなり安定した。
膝が変形してしまっていたので痛みがあったが、歩行器を使うことで膝への負担が減ったようで、痛みを訴えることが殆ど無くなった。
膝の力が急に抜けることも度々あったようで、それは転倒につながる危険もあったが、その心配も無くなった。

私の家事の負担はかなり軽減された。
が、やはり気が張る毎日には違いなかった。
デイサービスの送りから、私が帰宅するまでの1時間余りの1人の時間も気掛かりだったし、仕事から帰って、座る間もなく食事の準備、片付け、母の着替えの介助や次の日の準備と、少し楽になったとは言っても、毎日休みなしである。
そう、介護には休みがない。
ショートステイという手もあるが、本人が希望しないのなら、無理強いは出来ない。

少し息を抜きたかった。
引っ越して半年ほど経った頃、思い切って
1日、仕事の休みを増やした。勿論収入は減るが、家賃が安くなった分、補填は出来ると考えた。
その休日の、母のデイサービスは午後から半日利用。
週に、半日ほどの自由時間が出来た。
美容院や、買い物。お昼寝。所用の片付け。
半日なんてあっという間に過ぎてしまうが、それでもその半日を楽しみに、1週間、頑張れた。

だが、当たり前のことだが、母の老いは進んでいく。
10分で出来ていたことが、10分では出来なくなる。
特に、朝の支度に時間がかかるようになっていった。
食事、身支度、トイレにかかる時間も長くなった。
お迎えの時間は決まっている。
お迎えが来たあと、すぐ私は仕事に出なければならない。
遅れないようにするには、早めに起床するしかない。段々と起きる時間が早くなっていった。
同時に就寝の時間も、少しずつ遅くなっていた。

母は、割と体が丈夫なほうだった。
だからこそ、何とか私1人で介護出来てきたのだと思う。

しかし、母の老いは、急に速度を上げたようだった。
色んな不調が、母の身体に起きるようになってきたのだった。





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