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介護生活 後半戦part4

ある日、晩ご飯を食べた後。
母はため息をつきながら、言った。
もうきつい、行きたくない。
デイサービスのことを言っているのだ。
何と返したらいいか、暫く言葉が見つからなかった。

何日か前の朝、母に異変が起きた。
表情の無い顔つきでベッドに座ったまま、呼びかけてもぼんやりとして、反応がない。
母の身体を、ズボンのウエスト周りを握って引き上げようとしたが、ぐんにゃりとして立ち上がることが出来ない。
こんなことは初めてで、どうしたらいいかわからなかった。
ペチペチと頬の当たりを軽く叩いてみたら、ふっと目が覚めたみたいに、普通に戻った。

疲れているのだろう、と思った。
メインで通っていたデイサービス④が、日曜日に利用出来なくなったため、お盆や正月に利用していたデイサービス⑤を、日曜日のみ利用し始めていた。遠方なので、お迎えも少し早くなっていた。
何よりデイサービス④が、内部でのゴタゴタで離職者が相次ぎ、今まで通りにいかないことが増えたり、連絡事項もうまく伝わらなくなっていた。連絡帳やお迎えの人たちの様子から、何か不穏な雰囲気すら感じることもあった。
利用者に色んなしわ寄せが来ていると、ケアマネから聞いていた。

ひょっとしたらそんなことも影響して、母は、そう言ったのかもしれない。

デイサービスに行けないのなら、施設に入るしかない。訪問介護ではことたりない。

施設は嫌なんだよね。じゃあ頑張るしかないよ。
可哀想とは思ったが、そう言う以外なかった。
母は黙って顔を伏せた。

その日から、ほんの2週間ほど後の夕方。
ソファに座っている母の右足首が、ズボンからのぞいていて、うっすら赤いように見える。ズボンを上げて見てみた。足首から上、15センチほどの範囲がまだらにピンク色になっている。
何かあったか母に聞いたが、何もないと言う。
デイサービスの入浴の日だった。お風呂で洗う時、擦りすぎだのだろうか。
不審に思いながら、特に痛みも痒みもないようだったので、その日はそのままだった。

しかし、日を追うごとに赤みが増していく。
慌てて、皮膚科を受診した。
足と共に、頭部の湿疹も同時に診てもらったのだが、湿疹の塗り薬が出ただけだった。
帰宅してから、不安になり皮膚科に問い合わせたのだが、足の方は特に治療の必要はないと言う。様子を見て悪化するようなら、また来て下さいとのことだった。
納得出来ないような気持ちもあったが、医師がそう言うのだからとも思った。

しかし、足の赤みはひどくなっていく。
あっという間だった。
数日後、仕事から帰って、母の足を見た時、もう猶予はないと判断した。
すぐに行きつけの病院で、診察してもらった。
即入院となった。
皮膚の感染症、蜂窩織炎だった。

なぜ、すぐ別の病院に行かなかったのか。
もっと注意深く観察するべきだったのに、そうしなかったのは私の不注意だ。
母は、痛みを我慢していたのではないか。
なぜ、見逃してしまったのだろう。
蜂窩織炎については、多少の知識もあったはずなのに、どうして疑わなかったのだろう。

なぜかあの時、すっぽりと何もかもが抜け落ちていた。思考が止まっていた。
なぜだろう。どうしてだろう。
母の入院の準備をしながら、取り返しのつかない失敗をしたように感じて、涙が出た。

だが、
前々から、ずっと自分に言い聞かせてきたことがある。
小さなことをあげつらえば、キリがない。
至らないし、失敗もするし、イライラしてついきつい言葉を投げかけたりもする。
だけど、母のために、母のことを1番に考えて、出来る限りのことをやって来た。自分のことは後回しにしても、母を守ろうと頑張っている。
正真正銘、母のために。
必死に、精一杯。
それだけは、確かだ。
まるで呪文を唱えるように、そう自身に言い聞かせてきた。

それでもやはり、自分を責めた。
失態だと思った。
忸怩たる思いは、しばらく尾を引いた。


その後、怒涛のような入院生活が3ヶ月続いた。予想だにしていなかった日々だった。

入院生活については、また改めて記事にしたいと思っている。

母は97歳になっていた。




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