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湯気の向こう側に


台所の流しの下に、かなり幅をとっている四角の蒸し器がある。
母が使っていたものだ。
私が物心ついた時からあったので、ひょっとしたら私よりも年季が入っているかもしれない。
母はこの蒸し器を使って、いろんな料理を作ってくれた。
ふかしいも、草餅、石垣餅(小麦粉と角切りのさつまいもの饅頭。ひょっとしたら全国区じゃないのかも)、お赤飯、そして蒸し餃子。
いろんな蒸し料理が、その蒸し器から母の手によって取り出された。
子供の私は、ワクワクしながら出来上がりを待ったものだった。

春になると、母からよもぎ摘みを言いつけられる。小学生、中学生の頃まで摘みに行ったと思う。
ザルを持って家の裏手にある、小川の横の田んぼに向かう。
田んぼはれんげ草に覆われ、一面ピンク色だ。
田んぼと小川の間の畦道の辺りに、よもぎは生えている。
私は草餅を食べたい一心で、懸命によもぎを摘んで家に帰る。が、母はもっといっぱい摘まなければ、足りないと言う。茹でると、ほんの少量になってしまうからだそうだ。
毎年、春の間、何度も摘みに行くくせに、何度も同じことを言われる。
多分子供で、摘むのに飽きてしまうのだろう。
近所に製餡所があって、中に入れる餡を母はそこで買っていた。
作りたての餡を包み込んだ草餅の、いい匂いが蒸し器から漂って、私は待ちきれない。まだかまだかと、何度も母に尋ねる。
いよいよ出来上がりだ。
母が蒸し器の蓋を取ると、湯気が広がり、よもぎのいい匂いが台所に充満する。
嬉しくてはしゃぐ私を見て、母も笑っている。
草餅を見るたびに、思い出す光景だ。

母が作る餃子は、何故か蒸し餃子だった。
それが我が家では当たり前だったので、餃子は蒸すものだとずっと思っていた。
どういう理由で、蒸し餃子だったのかはわからない。
その頃の一般的なやり方だったのか、テフロン加工のフライパンなんて無かった頃だから、蒸し器の方が失敗なく上手に仕上がる、なんて理由だったか。それとも単純に、美味しく出来上がるからなのか。
蒸された餃子は、しっとりしてもちもちして、とても美味しかった。

私の誕生日やお祝い事のときには、お赤飯を必ず作ってくれた。
古い家の台所は土間にあった。中央に近いところに四角いテーブルがあり、その上に一口コンロが置いてある。
一段高い居間の上り口に座って、よく母が料理をする姿を見ていた。
お赤飯を作るとき、母は途中で蒸し器の蓋を取り、小豆の赤い茹で汁をお米に振りかける。
蒸し上がると白い蒸し布ごと取り出して、飯台にひっくり返したら、またいい匂いが漂ってくる。
冬はさつまいも、夏はとうもろこし。
母は四角い蒸し器で、色んなものを蒸してくれた。
蒸すと、甘味が増して味が濃くなる気がする。
どれも美味しかった。

蒸し器の蓋を取り、湯気が立ち、いい匂いのする中、湯気の向こう側に母が立っている。
そんな記憶が、たくさんある。
残念ながら私が料理を作るようになって、その蒸し器は数えるくらいしか、使っていないと思う。
それでも捨てきれないのは、その蒸し器を見ると、美味しい蒸し料理と共に母の姿が目に浮かぶからだ。

さあ、今日も美味しく出来たよ。
母は湯気の向こうで、笑っている。

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