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お母さんへの手紙


前略

早いものですね。
もう1年経ちましたね。
去年と同じ日、今日も雨です。

この1年、お母さんのことをたくさん思いました。
昔のことも
最近のことも。

幼い頃、お母さんを探して、商店街まで走って行ったことを思い出しました。
家でお父さんにお母さんの居所を尋ねると、買い物に行ったと言われたのです。
何故、お母さんを追ったのか覚えていないけれど、お母さんを見つけて、私は泣いてしまいました。きっと探す間、不安だったんでしょうね。
お母さんの割烹着を握りしめて泣く私の涙を、お母さんは笑いながら、その白い割烹着の裾で拭いてくれましたね。
多分、私の最初の記憶です。
お母さんは覚えていないかな。

育った町を就職のために出て、一人暮らしを始めると、私はあまり帰省しなくなって、寂しかったよね、ごめんね。
お母さんが2、3か月に1回ほど、私のアパートに遊びに来て、ご飯を作ってくれて、掃除もしてくれて、友達が遊びに来たりすると、私はハウスキーパーさんよ、なんて洒落た言葉を使うものだから、可笑しくて。

お母さんが幾つくらいの時かなあ。
多分、75歳くらいだった気がするけど、私のアパートに来てた時、
お母さん、こう言ったよね。

いつか、あんたに会えなくなる日が来ると思うと、切ない。
って。
私、何て言っていいかわからなかった。
何故急にそんなこと言ったの?
自分の老いを感じたから?
死というものを意識したの?
その時はまた一緒に住む日が来るなんて、私もお母さんも思っていなかったものね。

お母さんが私と住むために、25年以上住んだ住宅を引き払う時、お母さんが残念がっていた事。
それは小手毬の木と会えなくなること。
小さな花壇の小手毬が咲くと、お母さんは、いそいそと可愛い花を枝ごと切って、花瓶に挿していましたね。お隣さんにも持っていったりして。
でも小手毬の花を触った後は、必ず目が痒くなって、真っ赤になって。
アレルギー反応だと思うから、触らない方がいいよって言っても、やめなかったよね。
花が咲くのを待ちわびて、嬉しそうに、小手毬の花を眺めるお母さんを思い出します。
お母さんの1番好きな花は、住み慣れた古いあの家の花壇に咲く、あの小手毬の花だったのではないでしょうか。

お母さんの介護をするようになって、色んな物にお母さんの名前を書くうち、自分の名前を書くところに、お母さんの名前を書きそうになることがよくありました。
お母さんの名前を書かなくなって1年。
もう、間違えることもありません。
名前ペンも必要なくなりました。

この1年、
夜、お酒を呑みながら、お母さんとの日々をよく思い出していました。
ふっと笑えたり、少し泣いたり。

そう言えば、私が晩酌の準備をしていると、お母さん、
あんたはいいねぇ、楽しみがあって、
と羨ましそうに言っていましたね。
下戸ですものね。お母さんは。

思い出はたくさんありますね。
親子ですものね。

1年前とは違って、今日の雨は夕方にやみました。
そう言えばお母さん、雨女でしたね。
そう言って茶化すと、ご機嫌悪くなっていたけどね。
まだまだたくさん、お母さんと昔の話をしたいです。

また
お便りします。

                   草々


                 娘より

母の一周忌に。

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