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他人からの「大丈夫!」が欲しくなるのに、言われても大丈夫と思えない時・・・

人に答えを求めたくなる。
誰かから、しかも権限のある人からOKをもらわないと不安になる。
正解を求めてしまう。
それなのに、答えをもらっても不安になる。

そんな傾向が少なからず私にはある。

誰かに何かを相談したとき、「大丈夫、考えすぎだから。なんとかなるから」と言われることが、これまでも、わりとあった。

人から「大丈夫」と言われても、「大丈夫」と思えない。そんな自分が嫌になる、相手の言う「大丈夫」信じたらいいのにと、自分に言い聞かせていることもある。

だけど、今日ふと思った。

あ、そっか。大丈夫と言われて大丈夫になるなら困ってない。
自分が大丈夫じゃないと思うなら、「大丈夫」じゃない。
それは私のココロが決めること。
相手は相手の経験や価値観に沿った「大丈夫」、もしくはただ寄り添ってくれている「大丈夫」。

後者なら一旦受け取ってみるのもありだし、前者なら、今の私にとって何が大丈夫で、何が大丈夫じゃないのかを具体的に明確にすること。

現状や起きたことに対して、変えられない結果や変えられないものにこだわったり、過去の体験と紐付けて後悔するより、現状から対策や改善策を考えることに時間を使った方が良い。

そして、その対策や改善策の次の行動案は、他の人の行動は参考にしても、自分と他者を比較したり、他の人のレベルや、やり方に合わせる事にこだわらなくてもいい。

ここで必要になるのが、自分の感情と距離を置く力。不安や恐れは感じてもいい。だけど、少し距離を置いて冷静になれる状況の中で、事実や結果、感情、課題を分けて観察してみる。その先に「そもそも私は何のために、何が欲しかったのか」のような目的と、次の行動指針が見えてくるかもしれない。

私には、今の私にできる範囲、できない範囲がある。
私なりの成功法則、改善法則があるはず。私なりのルート、私なりのペースがあるはず。
少し余談だけど、赤ちゃんは、早い段階で歩けるようになることよりも、多少歩けるようになるタイミングが遅れても、ハイハイをする体験を十分に持てる方が大切らしい。ハイハイをすることで、股関節や肩回りの筋肉が発達し、そのことが、後の動作獲得に影響する。

大人になってからも似たような事ってあるような気がする。基礎や土台、必要な過程を通ること。積み上げある必要のある事。

みんなのレベルにすぐに合わせることが目的になると、大切な成長過程を失って、土台の安定しないグラグラな人生になる。合わせることに必死で、自分の中に余白や余裕がなくなってしまい、大切なものが見えなくなる。
グラグラと不安定で、倒れないように必死に自分を保つだけの、疲労困憊の人生が続く。

自分の人生の目的を決めて、ひとつづつ目標をクリアしていく。
周りの評価におびえて、他人のすごさにあこがれて、焦って背伸びしても、根性や勢いで乗り越えても、立ち上がれないほど自分が疲弊しては、前に進めなくなる。

ただ自分の人生の目的をまっすぐに見て、自分の価値観に従って一歩づつ前進する。

誰がなんと言おうと、私の人生を体験できるのは私だけ。

私が持っている唯一代替えの利かないリソース(資源)、それは私の生きている時間。

だから私は本当は、誰かに承認を得なくても、誰かに「大丈夫」をもらわなくても、自分で自分に承認を出して、自分で自分に「大丈夫」を伝えて、自分の時間を使って私の思う正解の道を、目的地に向かい前進し続けても良い。

悩み迷いながらも不安の中で、そんな風に思えた週末でした。


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