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コンプレックスは他人からみたらわりとどうでもいいかもしれない

ヨガをメインに身体と心のメンテナンスのお手伝いをしています。
今日は、目元の雰囲気が変わった生徒さんを見ての想いについて書いてみます。

脚が太い、O脚、くびれがない、お腹が出ている、肩が巻いている、ニキビ、白髪、、、人知れずコンプレックスを抱えてる人は多いです。
まあ、わたしもそうなんですが。

目元の雰囲気の変わった生徒さんは、切れ長の目が印象的、でもやさしい雰囲気、ちょっと照れたような顔であいさつしてくれるのがかわゆい長身の美人さんでした。30代半ばかな。
決してラクではないホットヨガを続けている努力家さんです。

埋没の二重の手術をしたんだな~と気づきましたが、声かけていいのかわからなかったので通常通り朝のご挨拶をして、通常通りヨガのクラスをして、通常通りお見送りしました。

そっかー、彼女は目の手術をしたんだなぁ。
充分かわいかったけどな。
彼女は自分の目が嫌いだったのかな。
もしくは、もっとこうだったらいいのに!と思うところがあったのね。

否定してるわけでは決してなくて。
ただ、自分で自分を見るのと、他人が見るのって違うんだな、としみじみ気づかせてもらいました。

そっかー、充分かわいい、と他人が思うのは、やっぱり他人事だからなんだな、というか。
ほんとうに本人と同じように真剣に悩む、悩みぬくって、やっぱりないのかもな。

気にして、考えて、行動して、結果、
自分を最高に心地よくしてあげるのって、自分なんだなー。

きっと、彼女は悩んだ末に二重の手術をして、きっと前よりも自分がすてきに感じられて、そして、しあわせ度がアップしている。

うん。よかった。

わたしはずっと長いこと脚が太いのが悩みで、ほんとうに長いこと、いろいろしてきました。

で、最近はずいぶん脚がまっすぐになって、むくまなくなって、「先生の脚が理想」(筋肉付けたい生徒さん限定w)とかいわれて、え、マジですか!?みたいな状況です。
実は本人的にはまだまだ課題づくしで、もっとほっそり、もっとすっきり、どうにかしたいと思ってます。

ま、どうでもいいわたしの話なんですが、やっぱり

”人が見ているわたし”、と”わたしがみているわたし”って違う

と思うのです。
で、もう頑張らなくてもいいよ、ありのままでいいよ、というのは他人が他人事として、責任がないからいうことなんじゃないかな。

もちろん、充分に頑張ってて、へとへとでくたくたで、っていう人に他人が好みを押し付けて「もっと頑張れ~」も違う。

自分のコンプレックスに一番敏感なのは、自分。
自分の願い、思い、祈りに一番応えられるのは、自分。

願わくば、”自分が心地よいから努力する”だったらいいな、と思います。
”人に評価されたいから努力する”だとゴールが果てしないので。

とはいえ、自分が自分をしあわせにできるって、なんかちょっと嬉しいですよね。

お悩みを解決してほしいとご相談を受けるヨガイントラ兼セラピストとしてあるまじき、なんだか突き放したみたいなコト、書いちゃいましたけど。

もっと頑張れ、でも、そのままでいいよ、でもなく、言えることは「あなたの力を信頼しているよ、見守ってるよ。あなたはどうしたいの?」ということかなと。

大丈夫なので。みんな、自分をよくする力を持ってるので。
こたえも力もはあなたの中にあるので。

(あ、どの方向に努力したらわからない、という場合、ご相談にのります。あと、一人では頑張れないの、という場合とか)



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