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ノイズキャンセラー 第一章

#創作大賞2024 #ミステリー小説部門


あらすじ

 宮崎琢磨みやざき たくまは、高校最後の夏休みに通り魔事件に巻き込まれ引きこもりになった。悶々とした日々を過ごす中、いつしか自分も大きな事件を起こしてやろうと思うようになっていた。
 佐藤亜沙美さとう あさみは勤め先の客からストーカー被害に遭い仕事を辞めた。隣県に移り住み、コールセンターの仕事を見つけ、働きながら立ち直ろうとしていた。
 新山和哉にいやま かずやは銀行から保険会社に転職し、思うように成果を上げられずにいた。後悔しようが銀行に戻れるわけもなく、なんとか保険の営業で成功しようと、もがいていた。
 それぞれの場所で問題を抱えながら生活をしている琢磨、亜沙美、新山の糸が、思わぬところで絡まりはじめる。そして、その先には悲劇が待っていた。

第一章


 階段をあがり、新宿駅前の広場に出た。何かにはじかれた真夏の太陽光に目を刺激され、宮崎琢磨みやざき たくまは思わず顔を背ける。視線を移した先に人だかりがあった。広場の一画に簡易ブースが設置され、キャンペーンガールらしき女性が二人で、白い缶のエナジードリンクを配っていた。
 高層ビルが広場を取り囲んでいる。ビルにはそれぞれ家電量販店に通信会社紳士服店と、高校生の琢磨でも当たり前に知っている有名企業の巨大看板が掲げられている。スタジオアルタの屋外モニターにはバラエティ番組が映し出されていた。
 予報は真夏日程度だったが、それ以上に感じられる。都会に集まる大勢の体温で、さらに気温が上がっている気がした。琢磨は喉が渇いていたので、エナジードリンクを受け取る列に並んだ。
 琢磨は夏休みを利用し、受験予定の大学を見学するため上京していた。母親に東京で良い参考書を探したいと訴え、二泊三日の日程にしてもらった。初日に大学の見学は済ませ、なかびは、高校最後の夏休みを楽しむつもりでいた。一日くらいは遊んでも許されると、新宿へ足をのばした。
 新宿には琢磨の好きなアニメ映画の聖地がある。
 缶を次々渡しているだけなので、すぐに琢磨の番が来た。正面に立つキャンペーンガールの作り物じみた顔と声が気に障る。琢磨の理想とする清楚な女性とはかけ離れていた。琢磨は、礼も言わずに受け取った。缶は、よく冷えている。缶の表面を水滴が流れ始め、琢磨の手首を伝った。
 午後から、この場所でロックバンドの野外ライブがあるらしく、すでに多くのファンが集まっていた。琢磨は、ただでさえ暑いのに熱気でおかしくなりそうだと舌打ちをした。せめて喉の渇きを癒やそうと、プルタブを引き上げ、缶に口をつける。味はスポーツドリンクだが発泡している。一気に飲むには炭酸がきつかった。無料ただでもらったから良いものの、美味しくはない。捨てるほどではないので、飲みながら目的地へ向かうことにした。
 広場にはBGMが流れていた。行き交う人々の楽し気なおしゃべりと靴音、通りを走る車のエンジン音とあらゆる雑音が入り交じるなか、琢磨は、明らかに異質で甲高い悲鳴を聞き取り、振り返った。
 数メートル後ろで、若い女が羽交い締めにされていた。
 女の顔は恐怖に歪んでいた。背後の男がナイフを持っているのがわかった。刃先が、照りつける太陽光を跳ね返した直後、女の首から、ほぼ真横に向かって鮮血が吹き出した。
 血液はすぐ勢いを失いはしたが、流れ続けていた。琢磨は呼吸も忘れて、白いブラウスが赤く染まっていく様を眺めていた。
 悲鳴があちこちからあがっていた。駅前をそれぞれの事情で行き交う人たちの目的が同期されていく。誰もが男から離れようと駆け出した。
 背後で、けたたましくクラクションが鳴り響いた。
 琢磨は、自分も逃げなくてはと考えていた。
 女が崩れ落ち視界から消えると、背後に立っていた男の全身が見えた。白いTシャツに血がついている。背は高くない。ひどく痩せている。顔にも返り血を浴びていた。
 琢磨は、進行方向に体を向け走り出すというごく当たり前のことも忘れ、ただ後ずさった。
 男が琢磨を見ている。
 何かに足をとられ、尻餅をついた。骨盤に衝撃が走る。アスファルトに手のひらが触れる。焼けるように熱い。男がまだ自分を見ている。琢磨は瞬きもできずに男を見ていた。男もまた、じっと琢磨を見ている。
 なぜ、受かるはずもない大学の下見に来てしまったのか。高校最後の夏休みだからといって、余計な計画を立てなければよかった。おとなしく部屋に籠もってゲームでもしていれば、こんな目に遭うことはなかった。
 脳内に後悔の言葉だけが渦巻く。
 男が、瞬間移動でもしたかと思う速さで目の前に来た。
 さっき、人を殺したばかりだというのに、無表情だった。男から汗と、血の臭いがしている。呼吸音まで聞こえた。
 肩を掴まれた。
 首を掻ききられると思ったが、命乞いの言葉も出てこない。男の顔を見あげることしかできなかった。男は強い太陽の光を背負い濃い影になっていた。
 おかしなほど、体が震えていた。
 無表情だった男の口元が、微かに緩んだ。男は、琢磨の肩を突き放すようにして押した後、駆けだした。
 背後でまた悲鳴が上がる。振り向くことはできなかった。
 まだ肩に男の手の感触がある。琢磨が目で確認すると、Tシャツに真っ赤な手形が残っていた。
 それでも琢磨は助かったと思い、深く息を吸い込んだ。途端に股間が濡れていることに気づいた。ジーンズの内腿の色が変わっている。アスファルトにも黒いシミが広がっていた。尿の臭いを感じ取り琢磨は失禁してしまったことを自覚した。蒸発していく尿がゆらゆらと空気をゆがめている。さっきの男の表情の意味がわかった。琢磨は、馬鹿にされたのだ。
 我に返って、周囲を見回す。中には、距離を置いて動画を撮っている奴もいた。誰も琢磨のことは見ていなかった。手に、エナジードリンクを持っていることに気づいた。まだ半分ほどは残っていたはずだ。わざと、足の間に缶を倒した。
 血の臭いがしていた。すぐそこに、切りつけられた女が、横たわっている。いつのまにか、血まみれの女の脇で、似たような服を着た女が泣いている。友達らしい。名前を呼びながら謝り続けている。さっきまでいなかったはずだ。きっと、自分だけ逃げていたのだろう。
 一緒にいたのなら、どちらが犠牲になっていたかわからない。琢磨にしても、男の気が変わらなければ、きっと同じように血を流していた。恐怖に歪んだ女の顔が鮮明に思い出される。
 新たに電車が到着したらしく、駅の出口からたくさんの人が出てくる。広場の惨状を目の当たりにし、誰もが狼狽えていた。駅へと引き返す人もいる。
 悲鳴が、だんだん遠ざかっていく。男がこの場を離れたとわかっても、琢磨は動くことができなかった。

 警察が到着し犯人を取り押さえるまでに、結局五人の女性が犠牲になった。琢磨は、警察に保護され、事情聴取などもされたが、その時の記憶は曖昧だった。母親が東京まで迎えにきて家に連れて帰られた後も、ただ、男に見下ろされ凍り付いたときのイメージに囚われ、家からほとんど出られなくなった。
 夏休みも終わり、二学期に入ったが登校できずにいた。外に出れば、また通り魔に遭うかもしれないと怖かった。事件は滅多に起こらないと理解している。ましてや、琢磨の地元は人口八万ほどの小さな市だった。
 学校へ行かなければならないのはわかっていた。琢磨は受験生だ。部活を引退した同級生が勉強に本腰を入れ始めたことも容易に想像がついた。焦りはあったが、どうしても制服に着替えることができなかった。琢磨は、自分は悪くないと繰り返し言い聞かせた。悪いのは全て、通り魔事件を起こした犯人だと。
 そのうちに、琢磨は登校を諦めた。外に出られないから散髪にも行けず、髪が不恰好に伸びていた。いざ登校しないと決めると気持ちは少し楽になった。髭はまだまばらにしかなかったが、剃らずにいると顔のあちこちが、黒い数センチの線を落書きされたようになってきた。一本引き抜いてみると、小さな痛みの後で毛穴から血が滲んだ。琢磨は必要以上に顔をこすり血を拭った。
 事件の日、失血死してしまうほどに流れ出た血が、脳裏に浮かぶ。あの場では、一度も声を発せられなかったというのに、家の中ではありったけの声で喚いた。すると母親が慌ててなだめに来る。琢磨は、家族から過剰に優しくされていた。
 犯人の名は、榊原夜斗さかきばら ないとといった。二十三歳のニートで、事件を起こすために今まで集めた漫画を換金して、上京したらしい。事件を起こす前に、新宿御苑に行ったことがわかっている。
 琢磨は榊原のせいで、聖地へ行けなかった。きっとこれから先も行けない。それどころか、新宿が出てくるという理由で、あれほど好きだった作品を視聴できなくなった。榊原が憎くて仕方なかった。
 ニュースやインターネット上に流されている情報で、琢磨はあの日起こったことをだいたい把握できていた。目の前で殺された女が最初の犠牲者だった。琢磨を突き放したあと、捕まえた女を殺し、そこで、榊原を取り押さえようとした男性の顔に大怪我をおわせた。それからも次々に女を狙って襲い続けた。
 榊原は、躊躇ためらいなく女の首を切り裂いた。あの後も、同じようにしたのだろう。
 二ヶ月後には、榊原夜斗の手記が週刊誌に掲載された。琢磨はインターネットでそのことを知り、母親に週刊誌を買ってくるように頼んだ。「読まない方がいい」と言われ、何度頼んでも引き受けてもらえなかった。琢磨は仕方なく自分でコンビニへ買いに行くことを決めた。知り合いに会わないよう午前三時ごろに家を出た。
 琢磨にとって、久しぶりの外出だった。季節はすっかり秋になり、虫の音が聞こえていた。コンビニの明かりは琢磨には眩しすぎた。俯き加減で店内に入り、窓際の雑誌コーナーに向かう。目的の雑誌はすぐにみつかった。表紙に大きく『新宿通り魔事件 榊原夜斗の手記』と書かれていた。手に取り、すぐにレジを済ませた。店員の顔をまともにみることもできなかった。
 家に帰り、早速目次をみた。タイトルは『あいつらはゴミに殺された』だった。一瞬、雑誌記者の言葉かと思い琢磨は混乱した。さすがに被害者を「あいつら」とは書かない。見出しの脇に、榊原本人がつけた手記のタイトルであると書かれていた。ゴミとは、榊原が自分について下した評価なのだ。
 榊原の犯行動機は社会への復讐だった。主に、着飾った女性を狙ったとあった。手記には『底辺を生きる自分よりもさらに低レベルの青年に手をかけようとしたが、殺すよりも這いつくばって生きながらえる方が苦痛になるから見逃した。』と書かれていた。
 琢磨には、それが自分のことだとわかっていた。
 自分をゴミだと自覚する凶悪犯より下位にランク付けされた。
 その事実に、琢磨はひどく傷ついた。
 琢磨の抱えていた『また誰かに殺されかけるかもしれない』という強迫観念は色を変えた。
 ゴミ以下だと判断されたのが自分だと知られて、嘲笑わらわれてしまう。
 少なくとも、母親は気づいている。だから琢磨に読まない方が良いと言ったのだ。事件に関わった警察官もわかっているだろう。
 誰かが自分の事を書いていないかが気になり、琢磨は事件に関するインターネットの書き込みを今まで以上に探し、読み漁った。その中で、目の前で殺された女性の数々の写真を見つけた。水着写真や、以前交際していた彼氏とのプリクラなどもあった。パフェと記念撮影をしている写真は特に、つい見入ってしまうほど可愛らしかった。死の直前に、あれほど顔を歪めることになるなど、本人は思いもしなかったはずだ。
 インターネットの中では、命を落とした犠牲者までも、非難の対象だった。
 ヒールの高い靴を履いているから逃げ遅れたという内容はまだマシな方だ。卒業アルバムの写真をさらされて容姿を揶揄やゆされる女性もいた。犠牲者のほとんどが『ビッチ』と決めつけられていた。着飾って、たまたまあの日新宿にいた。それだけで人は簡単に地獄に突き落とされる。本人はもう何も感じることはないが、大切な人の命を理不尽に奪われた上におとしめられる遺族はたまらないだろう。
 命さえあれば良いという単純なものでもなかった。琢磨も、榊原と対面した時に死んだのと同じだった。自分の部屋で地縛霊になった。

 事件から四年が経った。
 あれほど凶悪だった犯罪も風化したが、琢磨は榊原に見下された経験をまだ引きずっていた。
 変わらず、部屋に引きこもっている。最初のうちは優しく接してくれていた家族も、今では、話しかけてこない。
 母親が、定期的に食事を部屋の前に置きにくるが、ずっと顔を合わせていない。母親は琢磨が部屋から出る気配がすると、リビングや寝室に隠れるのだ。引きこもりになって半年ほどが経ち、同級生が高校を卒業する頃に、琢磨が母親に当たり散らしたせいだった。
 琢磨は、日々発生する『殺人事件』に関するインターネット上の記事や書き込みを読み漁って過ごしていた。榊原のあとにも、殺人事件はいくつも起きている。未解決のままの事件もある。いろいろな町の事件現場近くに、目撃情報を求めるチラシが張られている。
 被害者でなければ犯人の顔など覚えているはずもない。
 琢磨は、今も榊原の顔を鮮明に覚えている。テレビや週刊誌でみた顔ではなく、人を殺した直後にみせた無表情の榊原だった。
 琢磨が意外に感じているのは、世の中には全国ニュースにはならない殺人事件が溢れていることだった。自治体の範囲内で話題になっても、ありきたりの事件は報道されない。琢磨が思っていた以上に殺人事件は起きている。
 それほど簡単に、人が殺せるということだ。
 世間から注目されるには榊原ほどの事件にしなければならない。
 何をすれは注目されるのか。
 若く魅力的な女性の遺体写真を拡散するのはどうだろう。なかなかセンセーショナルである。
 しかし、榊原が女性を狙ったのは、力がなかったからだ。若い優秀な男性を狙う方が、難易度が高い。
 琢磨は、榊原を越える事件を起こす自分の姿を妄想するようになっていた。
 自分のような底辺の人間は、このまま生きていても仕方がない。だからといって、ただ生まれて死んでいくだけの存在にはなりたくなかった。何かを世間に知らしめたい。
 琢磨は、捕まって死刑になる覚悟なら、世の中に怖いものはないと気づいた。自分の存在を世間に認めさせるには、ゴミを超えるゴミになるしかないと考えていた。

続章リンク

(各章公開後、リンク追記)
第二章 https://note.com/long_rose5814/n/n406d1c2cff23
第三章 https://note.com/long_rose5814/n/n43063b106223
第四章 https://note.com/long_rose5814/n/na75ba6377157
第五章 https://note.com/long_rose5814/n/n220013aa445f
第六章 https://note.com/long_rose5814/n/n52ba97d98c0d
第七章 https://note.com/long_rose5814/n/n6c42e061498b
第八章 https://note.com/long_rose5814/n/n82a571a049d3
第九章 https://note.com/long_rose5814/n/n4ef9eb0e4bfa
第十章 https://note.com/long_rose5814/n/n7ae743dd8980
第十一章 https://note.com/long_rose5814/n/n23bad6e52b5e
第十二章
第十三章
第十四章
第十五章
第十六章
第十七章
エピローグ

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