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『平凡パンチの時代』 第九章 永遠の映画少年
昭和30年代から40年代にかけての日本社会の発展、変容について語るとき、必ず引き合いに出される、定番的ないくつかのことがらというのがある。まず、一番ひんぱんに登場するのが昭和31年の経済白書のなかの「もはや戦後ではない」という一節と、同時期に石原慎太郎が『太陽の季節』で芥川賞を受賞したことだ。このふたつはとにかくわかりやすくて、時代がガラッと変わったことを説明するためにセットになって登場することが
もっとみる『平凡パンチの時代』 第十章 闘士対戦士
八王子はもともとが東西に長い形の街である。商業ビルの立ち並ぶ駅前からタクシーを走らせて北に拝島の方に2キロも走ると、街並みは旧来のひなびた田舎町のたたずまいを見せはじめる。浅川を越えて左折し大善寺にいくためのトンネルをくぐり抜けると、その先は土地開発の波がまばらに押し寄せた雑木林が左右に広がる。大善寺は大谷町の丘陵の斜面を切り開いて造った共同墓地の管理事務所も兼ねたお寺だが、この寺で海老原博幸の
もっとみる小説『廃市』 第九章 夢屋
静寂が病室に戻った。薬が切れたのか、もう手足は自由に動くようになっていた。ベッドのマットの下を調べるとレインコートの男が隠していったピストルの黒い包みが出てきた。その、ずっしりとした重さはリアルだった。冷たい鈍く光る銃把を握りしめると心のなかにはっきりと対象を定めきれない不安定な殺意がわきあがるようだった。
彼は、医者の言葉もレインコートの男の台詞も信じられないような気がして落ち着かなかった。た
『平凡パンチの時代』 第九章 永遠の映画少年
昭和30年代から40年代にかけての日本社会の発展、変容について語るとき、必ず引き合いに出される、定番的ないくつかのことがらというのがある。まず、一番ひんぱんに登場するのが昭和31年の経済白書のなかの「もはや戦後ではない」という一節と、同時期に石原慎太郎が『太陽の季節』で芥川賞を受賞したことだ。このふたつはとにかくわかりやすくて、時代がガラッと変わったことを説明するためにセットになって登場することが
もっとみる『平凡パンチの時代』 第八章 生沢徹の疾走
時々、自分の若かったころのことを思い出して、アレはなんだったのだろうと考えるのだが、子供のころというか、若いころ、とにかく仕事でも勉強でも、自分を人に認めてもらいたくてしょうがなかった。人間が4人集まったら、そのなかの一番にならないと気がすまなかったし、50人集まったら、せめて先頭の5人くらいのなかに入っていないと気がすまなかった。
これは男の闘争本能なのかもしれないが、時代の雰囲気ということもあ
『平凡パンチの時代』 第四章 野坂昭如と三島由紀夫
本書の前身にあたるマガジンハウス編の『平凡パンチの時代』が出版されたのは平成8(1996)年の12月のことである。実は、あの本はわたしがひとりで企画を立て、取材し、編集・執筆したものだ。もちろん、わたしはそのころ、マガジンハウスの社員編集者だった。
この『平凡パンチの時代』という名前の本を作ろうという話が持ち上がったのは、正確に記憶しているわけではないが、平成6年の暮のことだったと思う。最初、「来
『平凡パンチの時代』 第七章 清水達夫と大橋歩〜表紙のこと〜
平成4(1992)年、12月の暮れに会社の仕事納めを見計らうようにして死んでいった清水達夫(マガジンハウス会長)は、寡黙で、ものごとをけして大げさにいわない人であった。その晩年に、『生涯一編集者』という言葉を好んで使った、『平凡』『週刊平凡』『平凡パンチ』と、三誌もの百万部雑誌を生みだした、この戦後最大の雑誌出版の巨人は、生涯に何度か、いまは伝説として語り伝えられている乾坤一擲の大勝負を挑んで、そ
もっとみる本の記憶。 詩集『マルスの薔薇』
荘原照子という戦前の昭和十年代に活躍した女流詩人がいる。 一冊だけ『マルスの薔薇』という詩集を残している。マルスは火星。
詩の作風を見るとわかるが、完全に現実のリアリティを切り捨てて、架空の美意識の世界で時空を超越したような世界を描きだそうとしている。
戦前昭和の日中戦争が始まるころまでは、それなりに文化が成熟しようとしていた時代であり、詩作が若者たちの文化創造の中心的な場所であった
『平凡パンチの時代』 第六章 堀内誠一と立木義浩、ファッションの確立
わたしは昭和22(1947)年の生まれで、『平凡パンチ』が創刊されたとき、17歳だった。なんどもくり返してきたことをまた書いて恐縮だが、まだ高校2年生である。その前年に、歌謡曲だが舟木一夫という歌手が歌った『高校三年生』という歌が大流行し「フォークダンスをすると君の黒髪が甘く匂ったよ」などという歌詞にうっとりし、吉永小百合という美少女が現れて日活映画のなかでセーラー服を着てみせて、日本中の男の子た
もっとみる忘れられない人。 市川房枝さん
市川房枝さんは、わたしの人生の生き方を変えてくれた人のひとりである。最初に言っておくが、わたしはこの人も直接、会ったことはない。彼女の死にまつわる話である。
1981年の2月に、婦人参政権運動に一生を捧げた政治家の市川房枝さんが亡くなった。もう37年前の出来事だが、わたしはこの事件を昨日の出来事のように克明に思い出すことができる。わたしにとっては、大きな意味を持つ事件だった。
彼女は生涯を女性の
本の記憶。 『七十歳 男の出番』
古本としてどのくらいの価値があるか、知りませんが、大切にしている本の話です。この二冊の本を書いた森茂さんという人は、大正九年(1920年)の生まれだから、70歳になった時が1989年ということになる。いまからもう三十年前の本だ。ご本人が存命であれば、まもなく百歳になられるはずだが、多分、亡くなられていると思う。帯に「濡れ落ち葉にならないために」とあるのが印象的だ。
森茂さんは出版の世界の人ではなく
本の記憶。 D・カーネギー 『人を動かす』
本の帯の惹句に「邦訳410万部突破! 世界的ロングセラー」社会人として身につけるべき人間関係の原則を具体的に明示して、あらゆる自己啓発本の原点となった不朽の名著とある。
英文原題は「How To Win Friends and Influense People」
ここでのWinは勝ち負けのWinではなく、gain、getに近い意味だろう。influenceも名詞ではなく、動詞。影響を及ぼす、とい
忘れられない人、 水沢アキさん
水沢アキさんのことを書いておこうと思う。ご本人にとっては触れられたくない過去かも知れないが、彼女との経緯は正確な事をきちんと書いておかなければならないと思っている。 歌手としてのデビューはCBSソニーから1973年9月だったと思う。
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