塩澤幸登

1947年長野県生まれ、9歳で親に連れられ上京。世田谷育ち。多聞小学校→駒留中学校→千…

塩澤幸登

1947年長野県生まれ、9歳で親に連れられ上京。世田谷育ち。多聞小学校→駒留中学校→千歳ヶ丘高校→早稲田大学文学部西洋史学科→平凡出版(現・マガジンハウス)→作家。 身体年齢63歳、足腰年齢75歳。趣味は女あそび、というのは冗談。読書、映画鑑賞、音楽鑑賞。好きな歌手、桂銀淑。

マガジン

  • 平凡パンチの時代

    高度経済成長期の1960年代の日本の大衆社会に登場、若い男性読者が対象の週刊誌として出現し、日本の文化を根底から変えていった雑誌があった。 その雑誌の目ざした夢と理想、どんな人たちがどんなふうに活動し、どういう変革をもたらしたかを克明に記録した、著者の代表作である。

  • 小説『廃市〜望郷篇〜』

    ある日、突然、しがない一人暮らしの中年男のところに届いた、山岳地方の高原リゾートからのパーティへの招待状。そこには数年前に失踪した妻の書いた「ぜひおいで下さい。お会い出来るのを楽しみにしています」という謎の走り書きが添えられていた。彼は旅立ちを決意し、夜、霧の立ちこめる町を見知らぬ土地を目ざして出発する。それは帰らざる旅路の第一歩だった。

  • 塩澤幸登短編小説集

    まだ、二十代の若いころに書いた、発表する機会のなかった小説を、ひとつにまとめてみました。

  • 書物忘却の備忘録

    読書歴65年、いろんな本を読んで、いろんな本を書いて、作ってきたけど、それらの本についての思い出を、書いておきます。それは自分探しだったり、人との出会いだったり、本当に雑然とした、自分の人生そのもの。本を通して、考えを深くしてきた、そんな気がしています。

  • 忘れられない女性たち

    22歳で大学を卒業して、芸能雑誌の編集部で十数年間、働いた。最初、芸能なんてとバカにしていたのだが、芸能界には苛烈な生き残りゲームのようなものがあり、そこで知り合った人たちは、みんな必死だった。とくに女のコ、みんなきれいで、魅力的だった。人生を70年も重ねると、その人たちの遍歴といまの有り様に思いは千々に乱れる。

最近の記事

『平凡パンチの時代』 第九章 永遠の映画少年

昭和30年代から40年代にかけての日本社会の発展、変容について語るとき、必ず引き合いに出される、定番的ないくつかのことがらというのがある。まず、一番ひんぱんに登場するのが昭和31年の経済白書のなかの「もはや戦後ではない」という一節と、同時期に石原慎太郎が『太陽の季節』で芥川賞を受賞したことだ。このふたつはとにかくわかりやすくて、時代がガラッと変わったことを説明するためにセットになって登場することが多い。わたしもすでに、第3章の108頁と第6章の259頁の2箇所でこの話を使って

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    • 『平凡パンチの時代』 後書き

       1996年に刊行した『平凡パンチの時代〜失われた六〇年代を求めて〜』のあとがきに、わたしは[後記/身毀不用矣]というタイトルを付けて次のように書いた。

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      • 『平凡パンチの時代』 第十章 闘士対戦士

         八王子はもともとが東西に長い形の街である。商業ビルの立ち並ぶ駅前からタクシーを走らせて北に拝島の方に2キロも走ると、街並みは旧来のひなびた田舎町のたたずまいを見せはじめる。浅川を越えて左折し大善寺にいくためのトンネルをくぐり抜けると、その先は土地開発の波がまばらに押し寄せた雑木林が左右に広がる。大善寺は大谷町の丘陵の斜面を切り開いて造った共同墓地の管理事務所も兼ねたお寺だが、この寺で海老原博幸の墓所の在処を聞くとすぐにわかった。海老原のお墓はこの大善寺の裏手に広がる墓地の一

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        • 小説『廃市』 第九章 夢屋

          静寂が病室に戻った。薬が切れたのか、もう手足は自由に動くようになっていた。ベッドのマットの下を調べるとレインコートの男が隠していったピストルの黒い包みが出てきた。その、ずっしりとした重さはリアルだった。冷たい鈍く光る銃把を握りしめると心のなかにはっきりと対象を定めきれない不安定な殺意がわきあがるようだった。  彼は、医者の言葉もレインコートの男の台詞も信じられないような気がして落ち着かなかった。ただ、〈ヒカリ〉と〈チカラ〉のために人々が血みどろの争いを繰り広げることだったら有

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        『平凡パンチの時代』 第九章 永遠の映画少年

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        • 平凡パンチの時代
          12本
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        • 小説『廃市〜望郷篇〜』
          9本
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        • 塩澤幸登短編小説集
          7本
          ¥2,000
        • 書物忘却の備忘録
          18本
        • 忘れられない女性たち
          6本
        • 『一九九一年未刊詩集 青春』
          11本

        記事

          小説 『霧の夜』

                   A  揺れ動く人波の中で感じる苛立ちは一向に消滅しそうになかった。間の抜けた顔をした群衆の中で、僅かに疲労を感じる網膜にネオンサインの鮮明な原色が痛ましく生々しかった。  今、自分に最もふさわしいものは沈黙であろう。大道の売卜師がわたしを呼び止めようとする。占いは無用。未来について語る虚妄は追憶の虚妄であるに等しく虚しい。          B  ――もう、八年も経ってしまった、・・・・

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          小説 『霧の夜』

          『平凡パンチの時代』 第九章 永遠の映画少年

          昭和30年代から40年代にかけての日本社会の発展、変容について語るとき、必ず引き合いに出される、定番的ないくつかのことがらというのがある。まず、一番ひんぱんに登場するのが昭和31年の経済白書のなかの「もはや戦後ではない」という一節と、同時期に石原慎太郎が『太陽の季節』で芥川賞を受賞したことだ。このふたつはとにかくわかりやすくて、時代がガラッと変わったことを説明するためにセットになって登場することが多い。わたしもすでに、第3章と第6章の2箇所でこの話を使っている。 それから、皇

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          『平凡パンチの時代』 第九章 永遠の映画少年

          『平凡パンチの時代』 第八章 生沢徹の疾走

          時々、自分の若かったころのことを思い出して、アレはなんだったのだろうと考えるのだが、子供のころというか、若いころ、とにかく仕事でも勉強でも、自分を人に認めてもらいたくてしょうがなかった。人間が4人集まったら、そのなかの一番にならないと気がすまなかったし、50人集まったら、せめて先頭の5人くらいのなかに入っていないと気がすまなかった。 これは男の闘争本能なのかもしれないが、時代の雰囲気ということもあったと思っている。戦後すぐの生まれはベビーブームということで、とにかくどこにいっ

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          『平凡パンチの時代』 第八章 生沢徹の疾走

          『平凡パンチの時代』 第四章 野坂昭如と三島由紀夫

          本書の前身にあたるマガジンハウス編の『平凡パンチの時代』が出版されたのは平成8(1996)年の12月のことである。実は、あの本はわたしがひとりで企画を立て、取材し、編集・執筆したものだ。もちろん、わたしはそのころ、マガジンハウスの社員編集者だった。 この『平凡パンチの時代』という名前の本を作ろうという話が持ち上がったのは、正確に記憶しているわけではないが、平成6年の暮のことだったと思う。最初、「来年はマガジンハウスも創立五十周年だから、ちょっとぐらいそれらしいことをやろうよ」

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          『平凡パンチの時代』 第四章 野坂昭如と三島由紀夫

          『平凡パンチの時代』 第七章 清水達夫と大橋歩〜表紙のこと〜

          平成4(1992)年、12月の暮れに会社の仕事納めを見計らうようにして死んでいった清水達夫(マガジンハウス会長)は、寡黙で、ものごとをけして大げさにいわない人であった。その晩年に、『生涯一編集者』という言葉を好んで使った、『平凡』『週刊平凡』『平凡パンチ』と、三誌もの百万部雑誌を生みだした、この戦後最大の雑誌出版の巨人は、生涯に何度か、いまは伝説として語り伝えられている乾坤一擲の大勝負を挑んで、それに勝ち抜いたのである。そのなかでも最大の賭けはやはり『平凡パンチ』の創刊作業だ

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          本の記憶。 詩集『マルスの薔薇』

          荘原照子という戦前の昭和十年代に活躍した女流詩人がいる。      一冊だけ『マルスの薔薇』という詩集を残している。マルスは火星。 詩の作風を見るとわかるが、完全に現実のリアリティを切り捨てて、架空の美意識の世界で時空を超越したような世界を描きだそうとしている。 戦前昭和の日中戦争が始まるころまでは、それなりに文化が成熟しようとしていた時代であり、詩作が若者たちの文化創造の中心的な場所であった時代である。この時代に詩人であることはおそらく、いまの人気ブロガーみたいなもので

          本の記憶。 詩集『マルスの薔薇』

          『平凡パンチの時代』 第六章 堀内誠一と立木義浩、ファッションの確立

          わたしは昭和22(1947)年の生まれで、『平凡パンチ』が創刊されたとき、17歳だった。なんどもくり返してきたことをまた書いて恐縮だが、まだ高校2年生である。その前年に、歌謡曲だが舟木一夫という歌手が歌った『高校三年生』という歌が大流行し「フォークダンスをすると君の黒髪が甘く匂ったよ」などという歌詞にうっとりし、吉永小百合という美少女が現れて日活映画のなかでセーラー服を着てみせて、日本中の男の子たちに「がんばって生きていこうね」なんていう声かけをしてくれていた。わたしたちはそ

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          『平凡パンチの時代』 第六章 堀内誠一と立木義浩、ファ…

          忘れられない人。 市川房枝さん

          市川房枝さんは、わたしの人生の生き方を変えてくれた人のひとりである。最初に言っておくが、わたしはこの人も直接、会ったことはない。彼女の死にまつわる話である。 1981年の2月に、婦人参政権運動に一生を捧げた政治家の市川房枝さんが亡くなった。もう37年前の出来事だが、わたしはこの事件を昨日の出来事のように克明に思い出すことができる。わたしにとっては、大きな意味を持つ事件だった。 彼女は生涯を女性の社会的地位向上のために闘った婦人運動家だった。 わたしは自分が芸能雑誌の編集記者

          忘れられない人。 市川房枝さん

          本の記憶。 『七十歳 男の出番』

          古本としてどのくらいの価値があるか、知りませんが、大切にしている本の話です。この二冊の本を書いた森茂さんという人は、大正九年(1920年)の生まれだから、70歳になった時が1989年ということになる。いまからもう三十年前の本だ。ご本人が存命であれば、まもなく百歳になられるはずだが、多分、亡くなられていると思う。帯に「濡れ落ち葉にならないために」とあるのが印象的だ。 森茂さんは出版の世界の人ではなく、もともとは官僚で、転職して京王電鉄の鉄道担当専務、そのあと、長く京王百貨店の社

          本の記憶。 『七十歳 男の出番』

          小説『廃市』 第八章 経緯〜特別診察室〜

          [記憶のカフェ]の地下のコンクリート打ちっ放しの巨大な空間の片隅に、彼は一人、取り残された。[出口]は見つからなかった。

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          小説『廃市』 第八章 経緯〜特別診察室〜

          本の記憶。 D・カーネギー 『人を動かす』

          本の帯の惹句に「邦訳410万部突破! 世界的ロングセラー」社会人として身につけるべき人間関係の原則を具体的に明示して、あらゆる自己啓発本の原点となった不朽の名著とある。 英文原題は「How To Win Friends and Influense People」 ここでのWinは勝ち負けのWinではなく、gain、getに近い意味だろう。influenceも名詞ではなく、動詞。影響を及ぼす、という意味だ。 サラリーマンだったころ、こういう人間関係のハウツー本を何冊も読んでい

          本の記憶。 D・カーネギー 『人を動かす』

          忘れられない人、 水沢アキさん

          水沢アキさんのことを書いておこうと思う。ご本人にとっては触れられたくない過去かも知れないが、彼女との経緯は正確な事をきちんと書いておかなければならないと思っている。                    歌手としてのデビューはCBSソニーから1973年9月だったと思う。

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          忘れられない人、 水沢アキさん