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本の記憶。 『七十歳 男の出番』

古本としてどのくらいの価値があるか、知りませんが、大切にしている本の話です。この二冊の本を書いた森茂さんという人は、大正九年(1920年)の生まれだから、70歳になった時が1989年ということになる。いまからもう三十年前の本だ。ご本人が存命であれば、まもなく百歳になられるはずだが、多分、亡くなられていると思う。帯に「濡れ落ち葉にならないために」とあるのが印象的だ。
森茂さんは出版の世界の人ではなく、もともとは官僚で、転職して京王電鉄の鉄道担当専務、そのあと、長く京王百貨店の社長、会長を務めた、実業の世界の人である。
この二冊の本をどういう経緯で手に入れたか思い出せないのだが、『男の冬じたく』の版元を調べてみると、ファッションプロデューサーとして活躍された浜野商品研究所の浜野安弘さんが主宰していたはまの出版だった。  多分、この本は出版されたとき(1989年5月)に編集部(当時は『ターザン』という雑誌を作っていた)宛に贈呈本されたものを手に入れたのだと思う。『七十歳 男の出番』はだいぶ後から古本屋さんでみつけ、あの森さんが書いた本がもう一冊あったのかと思い入手した。
これらの本の出版は1990年前後の話だから、いまからもう30年近く前、わたしが42歳とか、そのくらいの年齢である。そのときは自分が70歳になったときにどうしているか、などということのイメージはなかった。ただ、定年退職で仕事は終わりというのはイヤだとは思っていった。28年たち、現実に自分が70歳になってあらためてのこの本を手に取る感慨は複雑である。
この二冊は、これまでもときどき引っ張り出してパラ読みしていたのだが、女房に死なれた男やもめの孤独が切なく、もの哀しいが、実際には森さんの生活は子供、親類縁者に囲まれた、一面では賑やかなものだったのだろう。それでも、なんとなく天涯孤独の自由のようなものを感じさせる。年をとってきてわかったことは、女房はそういう、老残と書いたら言いすぎかもしれないが、身ひとつ年老いたなと切実に感じさせられる孤独な人生の相伴者である。女房は何十年といっしょに生きてきたのだから、愛しい存在ではあるが、現世のことはともかく、いっしょに死なせるわけにはいかない。男のやもめは早死にすることが多いのだが、女は亭主に先に死なれると、急に元気になる、という話もある。女房にはいつまでも元気でいてもらいたい。
その気になったわけではないのだが、わが沈黙図書館には、自然と集まってしまった[老人文学コレクション]というのがある。
自宅書斎周辺(第一沈黙図書館)の本箱にあった老人本の数々。

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先日ベストセラーを出した佐藤愛子さんなどは実は老人本のベテラン。
八十歳を人生の区切りと考える本や、100歳が当たり前という本まで現れている。自分が年をとることを気にしていなかったわけではないから、こういう本もある程度、意識して読んできている。ヘミングウェイの『老人と海』や川端康成の『眠れる美女』、岸惠子の書いた、七十代の女の性愛を描いた『わりない恋』などは、老人本のしゃれのようなつもりで、この写真撮影に参加させたのだが、日本社会の高齢化に合わせて、こういう本が説得力を持ちはじめた、ということだろう。

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こちらは書庫(第二沈黙図書館)の「老い」と「死」について書かれた本のなかから、ざっと見て目に付いた本をピックアップして持ってきた。
吉本隆明、西部邁、野坂昭如、山本夏彦、柳田邦男、遠藤周作、……錚々たるメンバーが自分と人間の[死]について書いている。このほか、考えようによっては小林秀雄とか、保田輿重郎とか、埴谷雄高などもみんな、老人文学である。また、柳田さんは亡くなられていないが、わたしの本箱の著者は死人だらけである。年をとる、ということについて書くと、じつはわたしにも一冊だけ著書がある。

上手に年をとる 01 

この本は、いまから十六年くらい前、会社をやめて、作家活動に専念し始めたころに書いたもの。フリーの作家になって、はじめて自分の名前で出した本だ。それまで、東南アジアへの旅の本を作っていたのだが、バリ島のテロやプーケットの大津波、アジア全体で正体不明の伝染病の流行(サーズ)などがあったりして、旅の本の需要が激減、[旅]というテーマに見切りをつけて[身体]ということを中心テーマに据えてものを考えて書いた本。原稿用紙500枚ほどの長さの読みものだったが、印税が5パーセントしかもらえず、現金手取り20万円くらいで、これではやっていけない、と思った記憶がある。あまり売れなかったのではないか。
いまはこの本、アマゾンでかなり高い値段で売られている。
この本のなかで、わたしは高齢化と身体の老化の問題をいろいろな角度から取り上げた。性の問題とか、歩くことの重要性とか、自分で取材していても考えをあらためさせられることが多かった。
一番、切実に面白いと思ったのは[歯]の問題で、これまで、昭和の時代の老人たちというのは、歯槽膿漏や歯周病などの影響で、だいたい60歳くらいから、歯が抜け始めて、70歳くらいになると、だいたいの人が総入れ歯になる、というのが日本の男の口の中の相場だったのである。そういえば、うちの親父もいつの間にか総入れ歯になってしまったな、と思い出す。とにかく、歯を大事にしなくちゃナと思った記憶がある。
司馬遼太郎は壮年時代まではしっかりした構成の社会の全体像を描きながら歴史小説を書く人だったが、ある日、突然、週刊誌の連載だった『街道にて』という旅のエッセイを書き始めてから、長編の歴史小説を書くのを辞めてしまった。エッセイと小説では、必要なエネルギーの量が全然違うのである。わたしは細かく調べたわけではないのだが、司馬さんの作家としてのこの変身には、[歯]の問題が絡んでいるのではないかと思っている。口のなかが入れ歯ばかりになってくると、原稿を書いたり取材で人に話を聞いたりする時の踏ん張りがきかないのだ。
年をとると人間が円くなり、温和になるというが(そういう人ばかりではないだろうが)わたしはそのことと、歯やペニスが戦闘能力をダウンさせることとが密接に関係していると思っている。気力の衰えの問題である。七十過ぎてもエネルギーを落とさずに生きていくために、どうすればいいか。若い娘を追いかけ回すわけにはいかないが、歯磨きして、無精ヒゲはキチンと剃って、身ぎれいにして、女たちに嫌われないようにしなければ、と思う。
わたしも別に自分がどうでも長生きしなければと考えているわけではないが、できるだけ形良く、あと10年くらいはこの世で生きていたいとは思う。

この原稿、ここまで。

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