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映画『オッペンハイマー』試写会!

先日、3月29日公開予定の映画『オッペンハイマー』を試写会で観てきた。実は、1月の段階でも配給元から市ヶ谷の試写会に招待されていたのだが、都合が合わずに行けなかった。結果的に、マスコミ関係者のために公開されたTOHO日比谷シネマの第4スクリーン(IMAX)の最前列席で観ることができたので、臨場感は抜群だった。招待してくださった早川書房と関係者の皆様に感謝したい。

上映時間は3時間だが、『バットマン』や『インターステラー』で知られるクリストファー・ノーラン監督の作品らしく、息も付かせない展開が続くので、あっという間に終わる。時系列で続くオッペンハイマーの人生の描写の合間に、量子運動から広大な銀河団の描写のようにファンタスティックな映像が登場する。とくにオッペンハイマーの科学上の研究業績である「ブラックホール」が抽象化された映像は美しい。トリニティ実験の場面では、凄まじい光線と地響きの鳴り渡る大音響の迫力に圧倒される。

最近封切られている印象の薄い映画の数々と比べても、明らかに抜群に優秀な作品であり、ゴールデングローブ賞最多5部門受賞、アカデミー賞最多13部門ノミネートという評価も頷ける。視聴後の感動も奥深いので、どなたにもお勧めできるエンターテイメントといえる。とくに若い世代の学生諸君に観てほしい作品である。

天才科学者を描くのは難しい!


以下、映画『オッペンハイマー』を観た方と感想を共有したいので、まだ観ていない方は、鑑賞を終えてから読んでください!

この映画を「ノーラン監督のオッペンハイマーという人物に対する一つの解釈」として、エンターテイメントとして楽しむのであれば、それはそれで構わない。しかし、歴史的にも人物描写的にも、少し偏った見解ではないかと思われる場面がある。

そもそも非常に残念なのは、オッペンハイマーという偉才と同時代を生きたにもかかわらず、まったく正反対の思想に到達して、よく比較対照される天才科学者ジョン・フォン・ノイマンが、まったく登場しないことである。

ノイマンは、1903年12月28日にハンガリーのブダペストで生まれた。オッペンハイマーは、1904年4月22日にアメリカ合衆国のニューヨークで生まれているので、ノイマンより約5カ月年下ということになる。両者とも裕福なユダヤ家系の出身である。

同年代の2人の生涯は、まるで螺旋状に絡まるように何度か交差して、互いに反発し合いながら、目の前に現実の危機が迫ると、互いに助け合った。その興味深いエピソードの数々については、『オッペンハイマー』(中巻)ハヤカワ文庫の「解説:オッペンハイマーとフォン・ノイマン」に詳述したので、そちらを参照していただけると幸いである。

ここに、その一部を紹介しよう。

1945年8月6日と9日の原爆投下による日本の被害を知り、放射線被爆を受けた犠牲者の写真を見て、アインシュタインをはじめとする良心的科学者の多くが、恐れおののいた。オッペンハイマーが、ヒンズー教の経典から「我は死に神なり、世界の破壊者なり」という言葉を引いて、その恐怖を表現したことは、よく知られている。

ただし、このオッペンハイマーの発言は、研究所の科学者からは大変な悪評だった。原爆がロスアラモスの無数の科学者・技術者・労働者の共同作業で完成した成果であるにもかかわらず、彼が「我」を主語にして、あたかも自分一人で原爆を生み出したかのように表現したからである。ノイマンは、「『原爆の父』オッペンハイマーは、罪を自白して自分の手柄にしたというわけさ」とジョークを飛ばして、皆を笑わせた。

戦後、ノイマンは、ソ連を先制核攻撃すべきだとトルーマン大統領に進言した。彼は「ソ連を攻撃すべきか否かは、もはや問題ではありません。問題は、いつ攻撃するか、ということです」と主張し、「明日爆撃すると言うなら、なぜ今日ではないのかと私は言いたい。今日の5時に攻撃すると言うなら、なぜ1時にしないのかと私は言いたい!」と叫んだ。この発言によって、彼は「マッド・サイエンティスト」の代表とみなされるようになった。

さらにノイマンは、水素爆弾も早急に開発すべきだと公言した。なぜなら、アメリカこそが常に「世界で最大の武器を保有するべき」だからである。彼は、良心的科学者たちからの道徳的批判に対しても「いっさい躊躇してはならない」と平然と答えている。

一方、オッペンハイマーは、水爆開発には猛反対の立場を取った。原爆は10万人単位の死傷者を生み出すが、その数千倍の威力を持つ水爆は、100万人から1000万人の一般市民を瞬時に大量殺戮する。水爆は、もはや人類を滅亡させるための最終兵器であり、その開発に科学者は加担すべきでないと主張したのである。

高橋昌一郎「解説:オッペンハイマーとフォン・ノイマン」
『オッペンハイマー』(中巻)ハヤカワ文庫、pp. 418-419.

さて、プリンストン高等研究所やロスアラモス研究所の実態を調査し、天才科学者の生き方を描写する何冊かの著作を上梓してきた私としては、ニールス・ボーア、アルベルト・アインシュタイン、ハンス・ベーテ、エドワード・テラー、レオ・シラードといった科学者たちの人物描写に違和感を覚える場面もあった。

せっかく登場している天才物理学者リチャード・ファインマンも、ボンゴを叩いているだけの役割しか与えられていない。「とんでもない物を造っちまったんだ」とふさぎ込む物理学者のボブ・ウィルソンも描かれていない。ファインマンは、次のように述べている。

「僕をはじめ、周囲の皆は、自分たちが正しい目的のためにこの仕事を始め、力を合わせて無我夢中で働いて、それがついに完成したのだ、という喜びでいっぱいだった。そしてその瞬間、考えることを忘れていた。…...ただ一人、ボブ・ウィルソンだけが、その瞬間にも考えることを止めなかったのである」

実は、ファインマンは、自分が「大量殺戮兵器」の製造に加担していることに対して、内心で強い罪悪感を抱いていた。ところが、フォン・ノイマンと散歩をしながら会話を交わしたファインマンは、楽になったという。「我々が今生きている世の中に責任を持つ必要はない、という興味深い考え方を僕の頭に吹き込んだのが、フォン・ノイマンである。このフォン・ノイマンの忠告のおかげで、僕は『社会的無責任感』を強く感じるようになった。それ以来、僕はとても幸福な男になった」

このファインマンとフォン・ノイマンとウィルソンのエピソードも、映画には描かれていない。

また、ルイス・ストローズ、レズリー・グローブス、ヘンリー・スチムソンといった軍人の行動や言動にも疑問符が付くことが多かった。一例を挙げると、原爆投下地点の標的委員会の議論について、拙著『フォン・ノイマンの哲学』では、次のように説明している。

ノイマンが強く主張したのは、京都への原爆投下だった。ノイマンは、日本人の戦争意欲を完全に喪失させることを最優先の目標として、「歴史的文化的価値が高いからこそ京都へ投下すべきだ」と主張した。

これに対して、ヘンリー・スチムソン陸軍長官が、「それでは戦後、ローマやアテネを破壊したのと同じ非難を世界中から浴びることになる」と強硬に反対した。彼が新婚旅行で京都を訪れていたことも、その反対の一因だったかもしれない。

高橋昌一郎『フォン・ノイマンの哲学』講談社現代新書、pp. 176-177.

このエピソードで注目してほしいのは、標的委員長を務めたヘンリー・スチムソン陸軍長官が、京都を「ローマやアテネ」と同格に認識していたという事実である。彼は、ナチス・ドイツがパリを占領した直後にアメリカの参戦を促し、日米開戦直後には軍統制による日系人の強制収容という強硬な反日政策を実施した人物である。アメリカ合衆国に対する忠誠心と愛国心に満ちた彼は、戦後アメリカが世界から非難されることを強く怖れた。だからこそ「歴史的文化的価値」のある京都への投下に反対したわけである。

ところが、映画では「京都への目標は外しておいた。私が新婚旅行で訪れたすばらしい文化遺産だからね」という一言で終わっている。これでは、まるでスチムソンが個人的感傷に基づいて標的を変更したように映る。この部分の描写は、完全な虚構とまでは言えないので、わかりやすく表現するためのエンターテイメントとして許容されるギリギリのラインかもしれない。しかし、戦後に世界から評価されるアメリカを見据えていたスチムソンの戦略的大局観が、これでは完全に打ち消されてしまう。

映画全体において、このようなタイプの違和感を何度も味わった。率直に言って、この当時の状況や人物をよく知れば知る視聴者であるほど、この映画の描写には違和感を感じざるを得ない部分が多くなるだろう。

もちろん、限られた時間の映画にすべてのエピソードを組み込むことはできない。だからノーラン監督は、おそらく「両雄並び立たず」の格言に従って個性の強すぎるフォン・ノイマンを思い切ってオッペンハイマーの人生から全面的にカットしたのだと思う。また、おそらく被爆した日本人の心情に配慮して、広島と長崎への投下場面も映像化しなかったのだろう。

一方、ノーラン監督があえて「オッペンハイマー」をテーマに映画を製作したこと自体は、高く評価されるべきだと思う。現在の地球上には、地球そのものを何度も破壊できるだけの数の核兵器が存在する。なぜそんなバカげたことになったのか。その原点となる原爆開発の背景を知るための入門的なエンターテイメントとしては、すばらしく視聴者を引き込む映画といえる。

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