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【ネタバレ】猫は猫をかぶらない――「化け猫あんずちゃん」レビュー&感想

不思議な不思議な「化け猫あんずちゃん」。化け猫と猫かぶり少女の物語は、私達を化かす究極の嘘を教えてくれる物語である。


1.逆化け猫かりんちゃん

あんずちゃんは37歳の化け猫である。池照町の草成寺の住職に拾われるもなかなか寿命が訪れず、気付けば化け猫となった彼は按摩の仕事をするなど人間同様の生活を送っていた。そんなある日、長らく家出していた住職の息子・哲也が突然寺を訪れ娘のかりんを預けていく。世話を頼まれ「りょうかいまんにゃー」と気楽に返事をしたあんずちゃんであったが……

いましろたかしの漫画を久野遥子と山下敦弘の共同監督、シンエイ動画とMiyu Productionsによって映像化した「化け猫あんずちゃん」。タイトルからしてフィクション感あふれる作品だが、鑑賞して感じたのはむしろ主人公のあんずちゃんの「嘘のなさ」であった。いや、「こいつ人のバイト代をパチンコに使ってるじゃん」とツッコまれそうだが、この「嘘」というのはそういう嘘ではない。

あんずちゃんはしょうもない化け猫である。原付きで按摩のバイトをしていたが無免許なのがバレて自転車を使わざるを得なくなったり、焼いていたイカが落ちて泥がついても「火が通ってれば平気だろ」と七輪に載せ直したり、くだらないダジャレを口にしてくっさい屁をこく……原作は20年近く前の作品だが、いわゆる「おっさん」のイメージが凝縮されていると言っていいだろう。そして逆に言えば彼にはフィクションのキャラクターが持つ格好良さがーー嘘くささがない。実際、彼は劇中で大見得を切って何かを叫んだりはしないのだ。気がつけば私達を「あんずちゃんみたいな化け猫がいれば実際こんな感じなんだろうなあ」と半ば倒錯した感覚に陥らせるリアリティが、「嘘のなさ」が彼にはある。そして、嘘に着目した場合もう一つ見逃せないのが映画オリジナルのキャラクター、もうひとりの主人公とも言えるかりんの存在だ。

劇中でもあんずちゃんに言われるように、かりんは嘘つきな少女である。彼女は自分がどう振る舞えば同情や好意を寄せてもらえるかをよく知っており、住職や町の少年、劇中に登場する妖怪達の前での振る舞いは健気で可憐そのもの。借金で首が回らなくなった父親に一人置いていかれるような生活をしていればこれくらい抜け目ないのも無理はないが、すなわち彼女は他人の前では「猫をかぶって」過ごしている。いかにもマンガチックな池照町の住人に比べ垢抜けたデザインも含め、「おっさんが着ぐるみを着ているような」あんずちゃんと対照的に造形されているかりんは、ここではいわば逆化け猫とでも呼ぶべきアンリアルな妖怪なのだと言えるだろう。


2.猫は猫をかぶらない

あんずちゃんとかりんは片方がリアルになればもう片方がアンリアルに陥る、対極的な存在である。あんずちゃんはかりんの猫かぶりに鼻白むし、また彼女はあんずちゃんにだけは面と向かって悪態をつきもする。けれどだからといって二人が、対照的なリアルとアンリアルが相容れないかと言えばそれも誤りだ。

かりんは中盤、母の命日のため故郷の東京へ戻るが、借金によって事実上東京を追放された彼女はもはやここでは過ごせない。家は借金取りの脅迫状まみれ、納骨堂は料金未納で使用不能、ボーイフレンドとはもう話が噛み合わない……途方に暮れた彼女を母と再会させたのは、あんずちゃんが見つけた貧乏神の手引きで地獄に向かうという東京としてはあまりにアンリアルな解決法であった。また地獄の住人達は見た目こそあんずちゃん達よりだが、亡者を管理し責め苦を与えるのが仕事の彼らには愛嬌はほとんど見られない。表情を変えずに恐ろしいことを言う閻魔大王を筆頭に、母を連れ出してしまったかりん達を追いかける際の彼らのやり口はコミカルさからは程遠く、むしろリアルな恐怖をゆっくり感じさせるものとなっている。

終盤の鬼達からの逃走で、あんずちゃんが具体的にできたことは何もない。地獄に行けば元の猫の姿に戻ってしまうし、母を連れての逃走劇でも結局は捕まってたんこぶだらけになってしまう。当然だろう、化け猫と言ってもあんずちゃんは「おっさんが着ぐるみを着ているような」存在に過ぎない。リアルとアンリアルが倒錯したような本作の状況でも、彼の無力さはまったく変わることはない。けれどその一方、何もできないことはあんずちゃんにできることをリアルに照らし出してもいる。それは隣にいることーー猫がそうであるように、ただかりんの隣にいてやることだ。

私は猫を飼ったことはないが、よく聞くのはその気ままさである。犬のように健気に尻尾をふるのではなく、あくまでも自然体……そういう意味で、中身がおっさんでもあんずちゃんはやはり間違いなく猫だ。いや、むしろ普通の猫よりも猫らしいくらいかもしれない。前節で触れたように彼は大見得を切って何か説教したりしたわけではないし、閻魔大王が母を連れ戻すのを阻止したわけでもない。けれどそれでも彼はいつもかりんの隣にいたし、その事実は不思議に彼女の心を融かしてしまう。何の力もないはずなのに化かして・・・・しまう。それは私達がフィクションをフィクションと知りながら心動かされたり、実写で撮影したものをアニメ映像に描き直すロトスコープに独特の感覚を覚えるのと同じリアルとアンリアルの倒錯だ。そして人は時に、こうした倒錯を支えに生きる力を取り戻すことができる。かりんが母との二度目の別れで見せたのは涙ではなくようやくできるようになった逆立ちだったし、全てが終わった後で一緒にいるのを選んだのは血の繋がった父ではなくあんずちゃんの方だった。そしてそのどちらの場面でも、かりんには当初周囲に見せたような嘘くささはない。猫をかぶる必要はもう、今の彼女にはない。猫のように心のままに、かりんは素直に振る舞っている。

猫は猫をかぶらない。人を化かす究極の方法とは、自分の心に嘘をつかないことなのだ。


感想

以上、化け猫あんずちゃん映画レビューでした。ボンボン育ちの私ですが、休刊時は児童ではなかったのでこちらの原作は未読。よく見つけてきてくれたものだなと思います。基本的にあんずちゃんとかりんに絞ったレビューを書きたかったのですがともすると話が脇にそれがちで、文章にするのに予想以上に時間を食いました。池照町→東京→地獄→池照町の舞台の変化にはリアル/アンリアルに関してもっと語れそうな気がしますが、そのあたりは他の方にお任せしたいと思います。

存在自体が自然体の、猫のように不思議な作品でした。スタッフの皆様、素敵な作品との出会いをありがとうございました。

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普段はTVアニメのレビューを1話1話ブログに書いています。2024年夏は「負けヒロインが多すぎる!」「しかのこのこのここしたんたん」「真夜中ぱんチ」の3作をレビュー中。


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