キミが笑えば

☆一話ずつ投稿していた物語を一つにまとめて再投稿したものです☆

キミが笑えば


目次


キミが笑えば
一、雨の月曜ジョッキー
二、トーベくん、走る。
三、ミューズの加護


※ 登場人物
        三上雨(みかみあめ)    北橋中学二年
        藤部礼(とうべれい)    向北中学二年
        石川賢人(いしかわけんと) 北橋中学二年

        古崎和歌(ふるさきわか)  北橋中学二年
             町田周子(まちだしゅうこ) 北橋中学二年
        横手朝子(よこてあさこ)  北橋中学二年
        古崎和之(ふるさきかずゆき)大学二年
        及川曜子(おいかわようこ)

        日野百合葉(ひのゆりは)  向北中学二年
        磯山(いそやま)      向北中学二年
        白塚(しらつか)      向北中学二年
        堤(つつみ)        向北中学二年
        豊津(とよつ)       向北中学二年
        藤部典(とうべてん)    小学四年

        甲野こずえ(こうのこずえ) 中学一年
        石川悟(いしかわさとる)  高校二年
        甲野かほる(こうのかほる) 大学二年
        
        男子生徒、女子生徒、教師、ディスクジョッキー、他



一、雨の月曜ジョッキー





♯ 北橋中学

雨。
学校裏手の土手とフェンス。
運動部の部室棟。
木造校舎全景。

〈タイトル・雨の月曜ジョッキー〉

♯ 北橋中学・二年三組  

木造校舎一階の教室。
黒板の前に教師と転校生。
転校生に視線を集中させる生徒達。詰襟とセーラー服。
教師が黒板に転校生の名前を書く。
生徒達の間からくすくす笑い。
黒板の文字。『三上雨』。
教師が三上を紹介し、三上も挨拶するが、その声はほとんど雨に消されている。
北海道から…の件がかろうじて聞き取れる
三上、教師に指示されて窓際の一番後ろの席に着く。
国語の授業。
前方からプリントが配られてくる。
三上の列、一枚足りない。 
隣の列の少女のプリントが一枚多い。
少女、三上にプリントを渡す間際、三上の顔を見る。 

古崎   「私…貴方を知ってるわ」

三上もきょとんとして少女を見るが、少女は何事もなかったようにプリントに視線を落としている。
断髪の横顔。

教師    「…日本を代表する作家、国民的小説家、夏目漱石ですが、一生涯に残した小説は短いものを合わせても三十作くらいしかないんです。意外と短命だし、デビューも遅かったしね。今日はその中から何篇か紹介したいと思います。こないだの『坊っちゃん』も清との件なんかわたくしは大好きなのですが、このプリントも粗筋というよりは、いろいろな小説のさわりを載せてみました。まあ気に入ったのがあったら読んでみて下さい。今じゃなくても、十年後にでも思い出してね。漱石先生は絶対なくなんないから。それじゃ一個ずつ読んでもらおうかな…」

前列から順番に立ち上がって朗読していく。
『三四郎』『夢十夜』『吾輩は猫である』『こころ』『草枕』…
少女が立ち上がる。

古崎    「『凝る雲の底を抜いて、小一日空を傾けた雨は、大地の髄に浸み込むまで降って歇んだ。春はここに尽きる。梅に、桜に、桃に、李に、かつ散り、かつ散って、残る紅もまた夢の様に散ってしまった。春に誇るものは悉く亡ぶ。…』」  

三上、少女の閉じられた国語の教科書の裏表紙を見ている。
『古崎和歌』と名前が書かれている。

三上    「(モノローグ)古崎和歌…?」

♯ 北橋中学・二年三組(同日・昼休み)

三上、頬杖をついて窓の外を見ている。土砂降り。

三上    「(モノローグ)よく降るなあ…」

三上、教室内を見渡す。賑やかな生徒達。  

三上    「(モノローグ)箱舟みたいだ…」

三上、机の上のノートを開いて『箱舟』と書く。
ちらりと隣を見る。
古崎、教室内の喧騒と裏腹に静かに片肘を突いて座っている。

三上    「(モノローグ)古崎和歌…」

三上、顔を上げると目の前の席にクラスメートの石川賢人が後向きに座っている。

石川    「三上くんギター弾ける?」
三上    「(反射的に)うん」
石川    「テニス部入んない?」
三上    「(きょとんとして)テニス部?」
男子生徒  「石川さっそく勧誘してる」
男子生徒  「三上くんさ、前部活なんだったの」

いつのまにか、三上の周りを何人かの生徒達が囲んでいる。         女子生徒も参加し、さわさわ。こちらは北海道に興味がある様子。        気がつけば、教室の賑やかしさの中心。
石川、三上のノートの落書きを見て、鉛筆で『→虹』と書き加える。

石川    「『救済の舟・約束の虹』」

三上、もう一度古崎を見る。群衆に交わらず姿勢も変えずにいる。

♯ 北橋中学・二年三組(同日・放課後)

三上、学生鞄に荷物を詰め、カチンとふたを閉める。
座ったまま、古崎の方に顔を向けて。

三上    「ごめん。一日考えたんだけど、わかんない」
三上    「(モノローグ)おもしろそうな宿題だったけど。降参」
古崎    「(俯いたまま)『三上雨』ってペンネームだと思ってた」  三上    「(一瞬きょとんとした顔をするが、急に)えええ?」 
古崎    「(俯いたまま)」  
三上    「(ハイテンション)月曜ジョッキー。聴いてるんだ。及川曜子の。ここでも聴けるんだ。そーか。入るんだ。届くんだ。キミ、聴いてるんだ。ここで。キミも及川さんのファンなんだ」
古崎    「(俯いたまま)ファンなんかじゃないわ」
三上    「(静止)」 
古崎    「(俯いたまま)及川曜子なんか大キライ」
三上    「(即答)なんで?」

古崎、立ち上がる。三上を見おろす視線で。

古崎    「私は、雨が降ると必ず三上雨くんのハガキを読む、くだらない、及川曜子が、大キライ」

見上げる三上。降り注ぐ土砂降りの雨音。 




♯ 三上の部屋(同日・夜)

三上、勉強机の前でラジカセ相手に格闘している。アンテナを伸ばしたり縮めたり、握ったり放したり…。最終的にラジカセの周波数のところに油性マジックで印をつけている。したり顔。嬉しそう。
その光景にかぶせる様に、月曜ジョッキー(数日後)。

 DJ    (ナレーション)

「及川さんこんばんは.
これはボクがリアルタイムで出す最後のハガキです.転校するんです.だけど放送はトーベ(友人.プレッシャーかけた)に録音してもらって聴く.つもり.だけどいつか聴かなくなるかもしれない.そんなことまでして聴かなくなるかもしれない.でもこれはひとつのキッカケだけど.遠くになんか行かなくても及川さんの放送を聴かなくなる日はいつか来るんだろう.と思う.それはたとえば.精神的な余地がなくなったり.生活のペースが変わったり.それとも興味の対象が他のものに移ったり.そうして.何となくだったり.ばっさりだったりして.いつか全く聴かなくなるんだ.

でもね.3年たったらボクはたぶん高校2年.だけど5年たったらもう.何だかわかりゃしない.そんな5年後のある日.何にもなくてつまんなかったり.あるいは何かあってつまんなかったりする日曜日の夜.もうすぐ月曜日の午前0時って時に.急に及川さんのことを思い出す.そうしてなにげにチャンネルを合わせてみる.その時に及川さんのタイトルコールが聴こえたら.ボクはきっと幸せになるだろうと思う.それは顧みるのではなく希望みたく.だから.どうか.ずっと.番組続けて下さい.いつまでも.リクエスト.フキノトウ.アメフリ.三上雨。」

(一呼吸置いて) 

「ダケドとデモの多い手紙はどんな内容でもちょっとさみしい。」

 ♪【ふきのとう・雨降り】  

♯ 三上の家・廊下(放送終了後の深夜)

三上、毛布を被って電話している。防寒ではなく防音の体勢。  

電話の声・藤部 「すげーテンション高い手紙だった」  
三上    「うん」
電話の声・藤部 「(笑っている感じ)」
三上    「いつもとおんなじ様なの書いて、あとであれが最後だったんだ、そういえば…ってのがよいんでしょ。わかってんだけどなあ」
電話の声・藤部 「うん。でもホントはそっちの方がナルシストだな」  三上    「うん」
電話の声・藤部 「引っ張るぶんね」
三上    「うん。暖めるぶんね」
電話の声・藤部 「(笑っている感じ)」
三上    「なんかガランとした部屋でさ」  
電話の声・藤部 「(聞いている〉」
三上    「ハガキとマジックひっぱり出してさ」
電話の声・藤部 「(聞いている)」
三上    「床の上で書いてたらさ」 
電話の声・藤部 「(聞いている)」
三上    「視力検査みたいにだんだん字がちっちゃくなってっちゃってさ。最後の方はもうミクロ」
電話の声・藤部 「よかったじゃん。そっちでも聴けて」
三上    「うん」

♯ 向北中学・二年B組(回想)

朝、三上と藤部、立ち話をしている。

藤部    「オレ、手紙ってダメだ。書けない」
三上    「(藤部の顔を見ている)」 
藤部    「(早口で)電話もだめだ。会って話すのみだ。沈黙とシリキレトンボが許されるからだ。でも仕方ない、電話するよ、オレは、絶妙のタイミングでかけるぞ、朝しよう、日が昇る前に、オマエは夜しろ、そしたらもっと遠くに行った様な気になるなあ、時差があるみたいな」 
三上    「(ちょっと泣きそうな顔になる)」
三上    「(モノローグ・ナレーション)藤部はその後はもういつもと変わらなかった」

♯ 向北中学・二年B組(回想・数日後)

藤部が三上に小さな紙袋を渡している。

三上    「(モノローグ・ナレーション)せん別にキッチンタイマーをくれた。スヌーピーがウッドストックをhugしている」

藤部    「九十九分まで測れるが、身を持ち崩さないためには半熟卵くらいだ」
三上    「(モノローグ・ナレーション)ゲームのルールを説明するみたいに云った。」

♯ 三上の部屋

勉強机の上に置かれたキッチンタイマー。
頬杖をついて見ている三上。

三上    「(モノローグ)彼らが友情のオーソリティだと知っていたら藤部はこれを選んだだろうか」

勉強机の上に置かれたキッチンタイマー(アップ)。

三上    「(モノローグ)それとも―」

♯ 向北中学・二年B組(回想)

クラスメートを交えて談笑する三上と藤部。

三上    「(モノローグ・ナレーション)中学二年の三週間だけ一緒のクラスだった」


♯ 北橋中学・廊下(~校庭へ)(翌日・朝)

生徒たちがわらわらと校庭に向っている。
三上も何かわけがわからないまま、流れに身を任せている。
軽快な音楽。

三上    「(モノローグ)(流され乍ら)教えてもらうこと、自然に知ること、まちがった教え、思い込み、取捨選択、感化…」

少し前を古崎が歩いている。三上、追いつく。

三上    「なにがあるの?」
古崎    「定期朝礼」
三上    「(モノローグ)教えてもらった」
古崎    「月曜だけ」
三上    「古崎さんてずっとこっち?」
古崎    「うん」
三上    「放送聴いた?」
古崎    「(沈黙)」
三上    「(モノローグ)消滅しちゃうのかな」
古崎    「(前を向いて)すごいハイテンション」
三上    「(モノローグ)これって万人の評価か」
古崎    「(前を向いて)恥ずかしくないのかな」
三上    「次の日ラジオ聴いてるやつに会うとかないもん」
古崎    「(前を向いて)向うで聴いてるわ」
三上    「会わないし」
古崎    「(前を向いて)私が聴いてたわ」
三上    「一人なら言い訳できる」
古崎    「(前を向いて)機会を与えちゃったわ」

古崎、自分の立ち位置に向おうとする。
直前に三上の方を向いて。

古崎    「あれじゃ最終回だわ。貴方の。お別れの挨拶をしてからまた会うの?」

♯ 北橋中学・校庭

三上の立ち位置を決めるため、三上と生徒達と背中合わせになって背比べをしている。
男子も女子も巻き込んで楽しそう。
三上、真中より少し前の位置に落ち着く。
古崎は斜め前に静かにたたずむ風情。

三上    「(モノローグ)スキにもキライにも理由なんて要らない。大スキだってなんとなくでいい。でも―」

♯ フラッシュ

教室で三上に『大キライ』と云った時の古崎。

♯ 北橋中学・校庭

続き。
静かに佇む古橋。それを見ている三上。

三上    「(モノローグ)大キライには理由があっていいだろう」


♯ 北橋中学・音楽室(数日後)

掃除が終った後の音楽室。
背筋をピンと伸ばし戯れるように演奏する少女(横手朝子)。
ピアノに凭れ眠るような姿勢で古崎がそれをきいている。
二人向い合わせの位置だが、お互いは死角。

古崎    「いいなあ」
横手    「(演奏し乍ら)何?」
古崎    「朝ちゃんはいいなあ。ピアノが弾けて」

横手、軽快に演奏を続けている。

古崎    「何か、全てのコンプレックスを肩代りしてくれるような気がするわ」

町田周子、小柄の体で格闘するように木製のごみ箱を抱えて入ってくる。

町田    「当たってるかもしれない」
古崎    「あ、たのもしいな」
町田    「私もうらやましいもの。ずっとずっと一生」

横手立ち上がり、二人にソングブックを渡す。

横手    「何でもリクエストしなされ」

『とんぼちゃんソングブック』
古崎と町田、頭を突っつき合わせページをめくっている。
さわさわと楽しそう。
古崎がそのうちの一曲を選んで町田にうかがっている。
横手がソングブックを受取りスタンバイする。

町田    「古崎さんこないだ『虞美人草』朗読したよね」
古崎    「(なんだっけという表情)」
町田    「国語の授業」
古崎    「ああ…同じ花?」
町田    「うん」

♯ 北橋中学・廊下

三上と石川、肩を並べて歩いている。
音楽室からピアノの演奏が聞こえてくる。

三上    「とんぼちゃんの『ひなげし』だ」
石川    「ピアノでやる曲じゃないよな」
三上    「オレ、前の学校軽音でさ、これやった。すげーやった」
石川    「こっちじゃやんないの」
三上    「うん」
石川    「この沿線のさ、高架下にさ、ポピーの花畑があるんだ」  三上     「(聞いている)」
石川    「随分遠いなー。でも辿っていけば確実に着くぜ」
三上    「石川くん、ロマンチストだね」
石川    「エイエンノトモダチにしたくなったろう」
三上    「(モノローグ)なった」
三上    「一緒に軽音入んない?」
石川    「オレはさあ、好きな方を遊びにするんだ」

♯ 北橋中学・放課後のグラウンドの光景

クラブ活動の様子。石川と三上の姿も見える。

♯ 北橋中学・テニス部部室

三上と石川、座り込んで話している。
他の部員達は帰った様子。

石川    「グループ組んでたんだ」
三上    「うん」
石川    「名前とかあったの?」
三上    「ドロップ」
石川    「rain dropsか」
三上    「(びっくり)ああ、すごい」
石川    「(不思議そうな顔)」
三上    「絶対あめだまって云われる」
石川    「ダブルミーニングじゃないの」
三上    「ないの。トモダチがレイっていうの。共通項でつけたの。だから」

三上、軟式ボールを弄んでいる。

三上    「二年になったら新歓コンサートや文化祭に出られるからさ、そこで使うつもりだった。でも、日の目を見なかった」
石川    「お前が云うと駄洒落みたいだな」
三上    「(笑う)」

♯ 屋外(数日後・日曜日)

三上、自転車で散策している。
川沿の道を軽快に飛ばしている。

三上    「(独り言)平らな町…」

移り変わる風景。

三上    「(独り言)ののきたばし…ちどりばし…のぼりばし…」

移り変わる風景。

三上    「(独り言)お花畑は遠いんだっけ」

三上、はたと自転車をとめ思案。

♯ フラッシュ

石川    「この沿線のさ、高架下にさ―」

♯ 屋外

続き。
考え込む三上。
脳裏に北橋中学を中心に川と高架がクロスする簡易な図が浮ぶ。

三上    「(独り言)90度違う」

雲行きが怪しくなってきたのに気づく三上。
雨がぱらぱらと落ちてくる。
三上、自転車の向きを変え、アーケード街に潜り込む。


♯ 三上の部屋(同日・深夜)

三上、ベッドの上に寝ころがってラジオを聴いている。

DJ    (ナレーション・雨音からフェードイン)

「桜見ず寝る春ねずみ楽さ.桜を見損ねたねずみの捨て台詞です.リクエスト.カグヤヒメ.アビーロードノマチ.三上雨。」

 (一呼吸置いて) 

「たいへんよくできました。…桜の花びらいっぱい。です。」

 ♪【かぐや姫・アビーロードの街】

♯ 三上の家・廊下/藤部の部屋(放送終了後の深夜)

毛布にくるまって電話をしている三上。
同じく毛布にくるまって電話する藤部の姿。
藤部は自分の部屋に電話機を引っ張り込んで、布団の上で話している。

藤部    「たぶん個人的事情だ」
三上    「(聞いている)」
藤部    「放送が嫌なら聴かなきゃいい。でも排除できない」
三上    「知らない世界の話?」
藤部    「そう。その子と及川さんが住んでる。介入すると嫌なことあるかも。キミに」
三上    「(聞いている)」
藤部      「その子にもね」
三上    「じゃあなんで声かけてきたかなあ」

藤部、そうだねえって表情。

藤部    「オレも作った回文」
三上    「どぞ」
藤部    「猫と函館見てた子は何処ね」
三上    「返歌みたいだな」
藤部    「忘れないうちにね」
三上    「個人的事情ってどんなだ」     
藤部    「フルサキワカがオイカワヨウコなんだ」
三上     「(沈黙)」
藤部    「未来からタイムスリップしてきて帰れなくなったんだ」     
三上    「ホントに個人的事情だな」
藤部    「SFにおける未来は一九七〇年代だ」
三上    「その線も残しとくよ」


♯ 北橋中学・通学路(朝)

小降りの雨。
登校する三上。校門を抜ける。自転車置場を過ぎる。
目の前をキレイなオレンジ色のカサ。
三上、小走りに追いつく。

三上    「きれいな色のカサだねえ」

石川、振向く。二人肩を並べて歩き出す。

石川    「カサがステイタス・シンボルの社会だったら、(カサをくるくる回す)ま、たいていは晴れてるからさ。初対面の人に聞く。どのようなカサをお持ちですか。もしくは、雨の日に驚く。そのようなカサをお持ちとは」

三上    「オレのトモダチが同じ様なこと云ってたな。耳あてがステイタス・シンボル」
石川    「まあ実際、車とか、カバンとか、時計とか、有りだからな」

# 向北中学・通学路(回想)

三上歩いている。自転車の藤部、すうっと追いつく。
二人、グレーのスクールコート。
藤部、サーモンピンクの耳あてをしている。

三上    「どうしたの。それ」
藤部    「いつかオレが悪い方の魔法使いにヒキガエルに変えられた時の目印だ。沼の葉陰にいるから見つけてくれ」
三上    「冬にカエルに変えられたらソッコーで眠くなりそうだな」

♯ 向北中学・軽音楽部部室(回想)

三上と藤部、横並びにしゃがんで座っている。
藤部の手元にはサーモンピンクの耳あて。

 藤部    「(前を向いて)今は耳あての話をするだろう。でも十六になったら、二十になったら、人はオレに耳あてのことなんかきかないだろう。実際十二の今でさえウチやオヤだけがWHATの対象の人がいる。自分で何とかできる範囲のことならきかれてもオレは譲歩するだろうか。それは周りを納得させる能力ってことか?ああつまんないなあ。耳あてラビリンスだ」

♯ 北橋中学・下駄箱置場

続き。
三上と石川。

石川    「(上履きに履き替え乍ら)そいつ、優等生だろ」
三上    「ユートウセイ?」
三上    「(モノローグ)星の名前みたいだ」
石川    「(前を向いて)そうじゃなきゃカッコつかないだろ」
三上    「(石川の顔を見ている)」
石川    「(三上の方を向く)障害物競走でさ、難関をヒョイヒョイ越えてさ、ピカピカのゴールの前でぼーっとする。本当はここに来たかったんじゃないんだ、どうしようか、あたりを見まわす、わからない。うん、やっぱラビリンスか」
三上    「耳あては必要でしょ」
石川    「絶賛と羨望にか」
三上    「うん」
石川    「誘惑はアウトドロップだけじゃない。か」

♯ イメージ

鬱そうとした森。沼。
近づくとホテイアオイの葉の陰にサーモンピンクの耳あてをした灰色のカエルが眠っている。

三上    「(モノローグ・ナレーション)冬の王子さま。元に戻すのは母親?恋人?」


♯ 北橋中学・下校風景(数日後)

石川と別れる三上。
石川は自転車。軽快ななりで駆け抜けていく。
三上、校門を出たところでふと思い立ち、学校の外壁に沿って歩く。        学校裏手はこんもりとした土手になっており、その上にはフェンス。        三上、もう一度校門から学校に入り、土手とフェンスを学校側から見てみようとする。

♯ 北橋中学周辺・風景

校庭から、高架の上を鈍行電車が走っていくのが見える。        逆に、電車の窓から見える風景。
校庭の一辺の隣に土手があり、降りると川原。
女子生徒たちが何人か、土手に腰掛けたり、川原に降りたりしてはしゃいでいる。
校舎の裏手の背景は広大な工場地帯。

♯ 北橋中学・裏手

物珍しげに歩く三上。
日が傾き始め、フェンス裏の工場地帯に灯りがともり始めている。        三上、土手の上の人影に気づく。

三上    「(見上げて)何してんの」

フェンスに凭れ体操座りの古崎。
セーラー服の白いスカーフがない。

古崎    「クラブ」
三上    「何?」
古崎    「陶芸」
三上    「トーゲー?」
古崎    「うちの学校、窯があるのよ(軽く目線を美術室の方へ向ける)」
三上    「へー(感心)」
古崎    「もうすぐ焼きあがるって云うから待ってるの」

古崎、立ち上がり、スカートの周りをくるりと点検する。        降りてきてから、白いスカーフを手品の仕込の様に取り出し、拡げてぱんぱんと扇ぐ。
スカーフを装着してから、小走りに美術室に駆けていく。
後ろ姿を見送る三上。 

三上    「(モノローグ)天女の羽衣。白いスカーフ」

古崎の後姿。

三上    「(モノローグ)彼女は何故及川さんの放送を聴くのだろう」

♯ 向北中学・軽音楽部部室(回想)

三上と藤部。腰掛けて二人ギターを鳴らしている。

三上    「藤部はなんで及川さんの番組を聴くの?」
藤部    「(スコアブックに目線を落とし乍ら)三上くんが読まれるから」
三上    「(ちょっと不満そう)」
藤部    「(目線を落としたまま)ホントだよ。いつかすげーケンカした時にキミは及川さんにハガキ出してオレに秘密の暗号で謝るのさ。及川さんもラジオ聴いてる人も誰も気がつかない。オレだけ気づく。それを聴き逃したら一生仲直りはできない」
三上    「別の機会に謝るよ」
藤部    「(目線を三上に向ける)だめなんだ。時を逃すってそういうことだよ」
三上    「じゃあオマエが謝るのをきき逃さないようにする」

そのままギターを鳴らしている二人。
インストゥルメンタル。

三上    「(モノローグ・ナレーション)月曜ジョッキーの母体は北海道ローカルの深夜放送番組ミッドナイトジョッキーだ。後にこの枠に全国ネットの番組が導入されたのだが、ローカル枠が日曜から金曜までの深夜と変則だった為日曜深夜だけが残された。プリンをパワーショベルですくい取った様に。月曜ジョッキーは当時からの通称。一時間だった放送時間は四十五分に短縮された」

藤部    「(目線を落としたまま)昔、全国ネットの番組で苦境にいる子のハガキを紹介したのを聴いたことがある」
三上    「(聞いている)」
藤部    「(目線を落としたまま)それは波紋を呼んでね、全国から応援の声が寄せられてさ、他のメディアとかも巻き込んだ。オレは、何か、すごくメゲちゃった。それはオレが享楽的でさ、そんな世界垣間見たくなかったんだと思う。
何かしよう。何かできる。放送を通じて。力を合わせて。心を合わせて、か。何も間違っていないよね。ましてはヨケてるオレよりはね。存在するのは善意だけだしさ。無償の。でも、その元気づけられたか、救われたか、の子の話聴きながら、世の中に同じ様に苦しい目にあってる人がいたらどんな思いなのかな、自己投影して幸せになれるのかなって思う。オレは何かするなら完璧であってほしい。網の目からは何もこぼさないでほしい。
大きなことをしようとすればリスクって必ずあるじゃない。静かな何か、何処かを乱しているかもしれない。反動とか、犠牲とかじゃなく、もっと遠く。見えないところ。無理やり目覚めさせられたように。誰かが喜ぶ向うで、余計につらくなっちゃうこともあるかもしれない。えらいと思うよ。必要とさえいえる。わかるんだ。だけど、オレは何もできない。とても、こわい」

三上    「(演奏を止めて)だから及川さんなんだ」
藤部    「うん。(演奏し乍ら)意気地なしなんだな。欲しいのは、あったかいお茶…」
三上    「(聞いている)」 
藤部    「例えばキミのハガキが読まれる。キミのハガキと及川さん。及川さんと聴いてる人。キミのハガキと聴いてる人。トルネードは起こらないでしょう」
三上    「(再び演奏を始める)秘密の暗号が含まれているかもしれないけどね」
藤部    「うん(笑う)」
三上    「(モノローグ・ナレーション)それから二人、喧嘩をシュミレーションしてわくわくしていた。中学一年の秋の終わりのことだった。苦境を具体的に云うことさえできない藤部をおそろしいくらい繊細だと思った」


♯ 北橋中学・校庭(一週間後)

放課後のグラウンドの風景。

♯ 北橋中学・テニス部部室(同日)

帰り支度をしている三上と石川。   
部室の壁にギターが二本立てかけられている。
三上不思議そうな顔でそれを見ている。

石川    「たいていの部室にあるんだ」
三上    「(聞いている)」

石川、一本を手に取る。

石川    「何か音楽室にあった大量の中古ギターをばらまいたとか」

石川、最初軽くつまびいていたが、突然演奏。
チューリップの『銀の指輪』。
ワンコーラス歌って軽快に終る。

石川    「チューリップで、これが一番好き」

三上にギターを渡す。
ギターの裏側。白いマジックで『WE ARE river-side-kids』の文字。

♯ 北橋中学・裏手(同日)

土手に体操座りの古崎。見上げる三上。

古崎    「ろくろじゃなくて、手びねりなの」
三上    「へー(よくわからない)」
古崎    「あっ町田さんが五月の花びん作ってる」
三上    「五月の花びん?」
古崎    「一個ずつ作って十二個並べるんだって」 
三上    「(独り言みたく)文系の発想だな」

♯ 藤部の部屋/三上の家・廊下(同日・深夜)

毛布にくるまり電話している二人。

藤部    「随分軟化したなあ」
三上    「そうかしら」
電話の声・藤部 「そうさ」 
藤部    「たぶん待ってたんだな。軟化させてくれるのを」 
三上    「なんかこないだ云ってたのと百八十度違わないか」
藤部    「専門家じゃないもん。ケーススタディ」
三上    「エキスパートになる日が来るんじゃない?」 
藤部    「まさか」 
三上    「チューリップで何が一番好き?」
藤部    「『風車』」
電話の声・三上 「おお『君のために生まれかわろう』
藤部    「ごめん、やっぱり『青春の影』」
三上    「(聞いている)」
藤部    「でもね、禅問答みたいにきこえるんだ。歌詞が」
三上    「(聞いている)」
藤部    「解る日が来るのかしらね」
三上    「うん」
三上    「(モノローグ)エキスパートになったら解るだろうか」


♯ 北橋中学・美術室(一週間後)

古崎と町田、机を並べてまな板のような正方形の板の上で白い土をこねている。
二人ともセーラー服のスカーフがない。

古崎    「(こね乍ら)五月の花びんは出来た?」
町田    「(こね乍ら)うん」
古崎    「(こね乍ら)じゃあ六月に着手だ」
町田    「(こね乍ら)うん」
古崎    「(町田の方を向いて)フライング?」
町田    「(こね乍ら)うーん。どうしようかなって思って」
古崎    「(手を止めて町田を見ている)」
町田    「(こね乍ら)太宰治の小説にね」
古崎    「(ちょっとびっくり)」
町田    「(こね乍ら)『トカトントン』ていうのがあってね」
古崎    「(聞いている)」
町田    「(こね乍ら)よしっなんかしようて思うと、トカトントン、トカトントン、て音が聞こえてきて、やーめたって思っちゃうの。何かそんな感じ」  
古崎    「(聞いている)」
町田    「(こね乍ら)何か、今すごく大事にしてることとか、大事に思ってることってオトナになったら何の意味もなくなっちゃうんじゃないかな」」
古崎    「(こね乍ら)確かなものはピアノだけよ」
町田    「(古崎のほうを向いて・笑って)象徴的だね」」
古崎    「(こね乍ら)でもいいんじゃないかなあ。後からへーこんなこと一所懸命してたんだって思うのも」
町田    「(聞いている)」
古崎    「(町田の方を向いて)町田さんは大丈夫だよ。才気煥発だもん。いつか過去の自分を見たら、きっと未来の才能の開花の片鱗を感じるようになってるんだよ」
町田    「(とまどい)」
古崎    「(ちょっとあせる)すごい。私が町田さんを励ましてる」  町田    「(古崎の顔を見る)」
古崎    「(町田の顔を見る)え、あ、なんか、励まされる方かと思って…」
町田    「じゃんけんだ」
古崎    「じゃんけん?」
町田    「うん。ぐーとちょきとぱあ。古崎さんが私を励まして、私が誰かに発破かけて、誰かが古崎さんを元気付ける。きっと」
古崎    「(笑う)」
町田    「(笑う)」
古崎    「太宰治はすごいなあ」
町田    「読んだわけじゃないのよ」
古崎    「(ええーっていう顔)」 
町田    「国語去年も高田先生だったの。『走れメロス』の時にいろんな作品のプリント作ってきた」
古崎    「太宰は大人になっても待っていてくれるって云ってた?」  町田    「(笑って)云ってた」

♯ 北橋中学・裏手(同日)

古崎、裏手の土手に向ってとぼとぼと歩いている。

古崎    「(モノローグ)私が町田さんを元気づけ、三上くんが私をあやす。三上くんは誰に甘えるのかな。世の中はぐーとちょきとぱーだけじゃないから、ネックレスみたいな輪ができるわ。」

古崎、ゆっくりと土手に腰を降ろす。

古崎    「(モノローグ)(両膝を抱えて)ちゃんときれいな輪になったらいいけど、誰も救えなくてぷらんってぶら下がっちゃったらどうしよう。…それとも、いろんなとこ困らせて、くちゃくちゃに絡ませちゃうかもしれない…」

古崎、顎を膝にのっける。

古崎    「(モノローグ)あの日は釜で焼くの初めてで、心配で、楽しみで待っていたの。いつもここで待ってるわけじゃない。困ったやつだな。私は。話をきいてほしくて、でも話さないで、周りをぐるぐるまわって、捕まえてくれるの、待ってる」

三上の姿が見える。

古崎    「(モノローグ)いつか恋する日が来たら、それはきっと面倒くさいんだろうな」

♯ 北橋中学・裏手

三上と古崎。三上は立っている。

古崎    「三上くん記憶喪失の人って見たことある?」
三上    「(急にでびっくり)ない」
古崎    「ないよね」
三上    「(わけがわからないまま)」
古崎    「(膝の上で頬杖をつく)ドラマとかではよくあるのに」  三上    「(急に元気)ドカベンが記憶喪失になるんだ。フェンスに激突して記憶が戻るの」
古崎    「(頬杖をやめて)クリーンハイスクール戦」
三上    「(ますます元気)殿馬が喜んでさあ」

# イメージ

漫画の一場面。

♯ 北橋中学・裏手

続き。
楽しそうに話している二人。

三上    「よく知ってるな」
古崎    「お兄ちゃんがね、全巻持ってる」

空模様が怪しい。
紺色の雲がフェンスに届きそうなところまで降りてきている。

古崎    「ねえ、私よくわからないの、何を忘れるのかなあ、全部忘れちゃったらどうなるの、それでも言葉とかは覚えてるの、一部だけ忘れるの、イヤなことだけ忘れるの、お父さんもお母さんも忘れてもどうして言葉を覚えてたりするの、言葉よりもお母さんを先に覚えるじゃない」


♯ 街の風景(一週間後)

長く降り続ける雨。

♯ 北橋中学・テニス部部室前(同日)

各クラブの部室は長屋の様に棟続きになっている。
その前にカサをさして立っている三上と石川。
部室と平行して花壇が並んでいる。
それを見ている三上。

三上    「(石川の方を向いて、尋ねる様な表情)」
石川    「(花壇をの方を向いて)花とギターだ」
三上    「(石川の方を向いて)花とギター?」
石川    「生まれた時から支給されていたんだ」
三上    「(花壇を見ている)」
石川    「(三上の方を向いて)正しいだろ。この国は」  
三上    「(石川を見て)うん」

石川、花壇沿いに歩き出す。

石川    「(カサのない方の手を拡げて)ここまでが、バトミントン部だ。ラディッシュだ」  
三上    「(見ている)」
石川    「ここまでがバレー部(何もない)」
三上    「(見ている)」
石川    「ここがハンドボール部。ネムノキ」
三上    「ネムノキ」
石川    「うん。おじぎ草。かわいくて、強くて、面白い。晴れたら遊んでもらいな」

# イメージ

ネムノキを触って遊ぶ運動部員。

♯ 北橋中学・テニス部部室前

続き。
何人かのクラブの仲間が寄ってくる。先輩の様子。

男子生徒 「(石川に)俺たちもなんか蒔くか。次期部長」

♯ 北橋中学・下校風景(同日)

雨が降り続いている。
三上、自転車置場に向う石川を見送る。
しばらく思案しているが、裏手に向って歩き出す。

三上    「(モノローグ)もうすぐ中間考査。来週は部活は休み」

土手を見上げる。無人。

三上    「(モノローグ)冬の夜みたいだ」

三上、いるわけないなって表情で帰ろうとする。
真正面の美術室の方を見て、佇む古崎に気づく。
そばに釜があり、温度差のせいか古崎の周りの空気はゆらめいている。        三上、そばまで歩いていく。
三上が近づくと、古崎、正門に向って歩き出す。
三上、少し遅れて一緒に歩く。

古崎    「(俯いて)初めて及川曜子の放送を聴いた日、あの人はオープニングに貴方のハガキを読んだの」 
三上    「(聞いている)」
古崎    「(俯いて)内容は覚えていない。クラスの流行り物だったかなあ」
三上    「(聞いている)」
古崎    「(俯いて)リクエストがオフコースの『雨の降る日に』でね。こっちも雨が降っててイントロと雨音がぼんやりと重なった」
三上    「(聞いている)」

話し乍ら古崎の歩調はどんどん早くなる。

古崎    「(前を向いて)私は歌を聞き乍ら泣いちゃった。すごくすごく泣いた。悔しかったなあ」

古﨑の歩調はほとんど小走りになり、泥濘をぱちゃぱちゃいわせながらそのまま走り去る。
逆に三上の歩調はどんどん遅くなり、何もないところで立ち止まってしまう。

三上    「(モノローグ)何をしたらいいんだろう。話をきいてほしいだけなのか。違うんだろ?週に二度の授業の様に彼女のつぶやきと及川曜子の放送を聴き、そうして靄がかかった様な気分で何か特別な意味を捜している。それは存在するのかしら?気まぐれ?すごく、すごく、泣いたって?」

【♪オフコース・雨の降る日に】

(雨音からフェードイン・次の場面導入時にフェードアウト)


⑪              

♯ 北橋中学・二年三組(数日後)

席で片肘をつく古崎の横顔。
気になる三上。
黒板に『自習』の文字。
生徒達はおのおのグループに分かれ、机をくっつけて学習している。
教えっこの様な風景。
中間考査前の少し浮き足立った様子。
三上と古崎は隣同士のグループ。
古崎のグループには石川・町田・横手。

横手    「(机に片耳をくっつけた姿勢で)数学のない国に行きたいわ」  石川    「(ちゃんと勉強している体)避けられないだろ。この国では」三上    「(自分のグループでおとなしく自習しているが)(モノローグ)石川くんはよく『この国』って云い方をする。『日本』じゃなくて『北橋中学』ことだ」 
横手    「役に立つのかしら」
町田    「(横手と対照的にきちんとした姿勢)役に立つよ。そう思った方がはかどるよ」
石川    「なんだ。洗脳か。本末転倒してないか」
町田    「数学ってこういうもんだってことを知っとくのよ」
石川    「どんなもんなの」
町田    「情がない」
横手    「(笑う)」
石川    「ヤマかけてよ。町田さん」
町田    「(プリントの最後の方を指差し乍ら)これ出る」

グループのみんな、町田の指先に頭を寄せる。
古崎も気になる様子。

石川    「なんで?」
町田    「これって一見むつかしそうだけど、基本を抑えてれば、あとはひらめきでしょ。(指差し乍ら)これをここに持ってくっていう。こういう洒落た問題って教師は好きなのよ。数字を変えたバリエーションも作りやすいし。もうひらめきの部分はここで種明かししてくれてるから、それをちゃんと今頭に入れとけば解ける」
横手    「すごいな。心理戦じゃん」
町田    「人の子が作ってるからね」
石川    「なんかでも、さっきと云ってること矛盾してないか」

グループみんなでさわさわと笑っている。 
古崎も楽しそう。

三上    「(モノローグ)この国は、よい国だ」
男子生徒(三上のグループ) 「(三上に)地理の範囲北海道だ。フランチャイズだな」
三上    「(笑い乍ら、うーんでもなあっという仕草)」
女子生徒(三上のグループ) 「(少し古崎のグループに顔を向け乍ら)古崎さんのお兄さんって北海道だよね」

三上、覚醒の様子。ぴょこんと首を上げる。

三上    「(モノローグ)オレはサバンナの草食動物か」
横手    「そうなの?(うらやましそう)」
石川    「おれ南小でずっと一緒だったけど知らないぞ」
女子生徒  「歳離れてるから重なってないんだよ。(遠くから呼ぶように)大学生だよね」
古崎    「(片肘をついて、相手の方を向き)うん」

再び石川たちのグループ。さわさわと楽しげな雰囲気。
古崎は町田の方を向いて、勉強に戻ろうとする素振。
あちこちが賑やかな中、勉強する姿勢に戻る三上。

三上    「(モノローグ)藤部くん、タイムスリップの線はなくなったみたいだよ」


♯ 街の光景(翌日曜・深夜)

深夜の雨の光景。

DJ    (ナレーション)

「中間テストです.ボクは数学って好きです.最小限のヒントでたった一つの答えを導き出す.かっこいい.かくありなんって思います.判然としない問いかけをいくつも並べられて正答を見出さなきゃならないとしたら.それはゴウモンみたいなものだと思います.リクエスト.ニューサディスティックピンク.アメハニアワナイ.三上雨。(少し笑っている)」

(一呼吸置いて)

 「ごめんね。リクエストと合っていて少し笑ってしまいました。数学と終っちゃったこと以外はそんなことばかりかも。でもゴウモンばかりじゃないよ」

 ♪【NSP・雨は似合わない】

♯ 三上の部屋(同日・明け方)

目が覚める三上。まだ薄暗い。

三上    「(モノローグ)藤部からの電話は来なかった」

ベッドに転がったまま。机の上のキッチンタイマーを見る。

三上    「(モノローグ)随分長い間藤部のことをほったらかしにしている気がした」

部屋の隅に立てかけたギターを見る。

三上    「(モノローグ)アイツは新歓コンサート誰と組んだのだろう。オレが心配したらアイツは笑うんだろう。アイツと組みたいやつなんていくらでもいるだろう。オレを含めた誰もがそう思っているだろう」
三上    「(独り言)空想形が三つ。これじゃ安心が作れない」
三上    「(モノローグ)去年の秋の遠足」

♯ 向北中学・廊下(回想・中学一年)

なにやら楽しそうに話している三上と藤部。

三上    「(モノローグ・ナレーション)目的地に着いたら一緒に行動しようと約束した」     

♯ 遠足の風景・向北山(回想)

ジャージ姿で周りと談笑しながら山を登る三上。
緩やかで道も広く、山というよりは遊歩道。

三上    「(モノローグ・ナレーション)藤部はA組だったが、オレのクラスは最後尾だった」

三上、やっと頂上に到達する。他のクラスの生徒達はほとんどビニールシートを広げてくつろいでいる。三上はその中に藤部がいると思い、しばらくその光景を見渡している。それからふと、目線を反対側に移す。木の柵に凭れて前屈みに景色を眺めているトーベに気づく。

三上    「トーベ」

藤部、振向く。学校の廊下で会ったような顔。それから、ああ、座る場所捜さなきゃねという表情で、生徒達のいる方へ三上を導く。適当な場所を見つけビニールシートを広げる二人。

三上    「(モノローグ・ナレーション)出入りの多い客間みたいに人はたくさん来た」

他の生徒たちと談笑している二人。

三上    「(モノローグ・ナレーション)でも」

他の生徒たちとはしゃぐ藤部。

三上    「(モノローグ・ナレーション)どうしてだろう。その時思った」

他の生徒たちとはしゃぐ藤部。それを見ている三上。
ふと、藤部が気づき、どうしたのっていう表情。笑っている。

三上    「(モノローグ・ナレーション)これからも藤部とたくさん約束をしよう。そして、破るまい。と」

遠景。羊の放牧のような生徒達。夕暮れの向北山の風景。

♯ 三上の部屋

続き。
気がつけば、外がだんだん明るくなっている。

三上    「(モノローグ)水曜日にはテストが終る」

朝の陽射し。 

三上    「(モノローグ)地面がどんどん乾いていく」

♯ フラッシュ・夜の光景

DJ    「(ナレーション)判然としない問いかけをいくつも並べられて正答を見出さなきゃならないとしたら.それはゴウモンみたいなものだと思います.」

♯ 三上の部屋

続き。
三上、ベッドの上に手足を投げ出す。

三上    「(モノローグ)これは私信だ。あの雨の日帰って書いた彼女への手紙だ。藤部が電話をよこさないわけだ」


# 北橋中学(数日後)    

三上と古崎。
古崎は立っておなかの辺りで両手の指を組んでいる。独唱のよう。
三上は軽くからだを傾けて、何かに凭れているよう。
学校のどこかであるが、背景は薄暗く判別できない。
三上と古崎の位置、距離感もわからない。
回想以外はこの光景。
(会話というよりは独白。独白というよりはモノローグ)

古崎    「私、思ってたのよ。学校でノーシントーかなんかおこして倒れちゃうの。三上くんのせいでね。(三上、オレの?っていう顔)それでね、保健室に様子を見に来た三上くんに打明け話をするの。でもね。何もおこらないね。静かな国。(三上、ちょっとびっくりした表情)

そうだよ。私は三上くんに話したいの。三上くんは、私のクラスの、私の隣に来たんだもの。もっと別のパタンもあったかもしれない。別のクラスかもしれない。一学年下かもしれない。それくらいの時間や空間のひずみはあるかもしれない。
(三上、またびっくりした表情)
でも、そしたら私は、三上くんを探す。見つける。そうして云うの。

『ワタシ、アナタヲシッテルワ』」

# フラッシュ

初めて三上に声をかけた時の古崎。

♯ 北橋中学

古崎    「兄が高校の時にね、家庭教師に来た女の人がいてね。うん、それが及川さん」

♯ 古崎家(回想)

学生時代の及川曜子。キャンパス地のバックにたくさん冊子を入れてやってくる。

古崎    「(情景にかぶせて)たぶん地元の大学生で、センターか何かの紹介で、その頃私小学生で、両親働いててね、いつもお兄ちゃんにくっついてた。及川さんが来てる時もね、いっしょの机で宿題したり、いつもよりちょっと豪華なおやつを食べたり、そうでなければ部屋の隅で本読んでたり、及川さんはきっと私に話しかけたわ。でも覚えてない」

畳の部屋の飯台の上で、参考書とノートを拡げる及川と古崎兄(和之)。
二人とも雑談する様子もなく、熱心。飯台の上にはシュークリーム。
壁に凭れ、膝の上に本を置いて、ぼんやりとそれを見ている小学生の古崎。

♯ 古崎家(回想)

古崎    「(情景にかぶせて)ある日、すごくよく晴れたつんとくる様な天気の日にね、お兄ちゃんの学校が代休だか創立記念日だかでお休みだったのね」

古崎の家の前に車で乗り付ける及川。
それを見つけて笑顔で走ってくる和之。

古崎    「(情景にかぶせて)いつもは電車で来る及川さんが車でうちに来てた。何か約束してたんだと思う。ドライブ。午後だし、誰も知らなかったから、そんな遠出じゃなかったと思う。思う、思う、だね」

ランドセル姿で家に向って歩いてくる古崎。二人に気づく。
和之、助手席に乗り込む。

古崎    「(情景にかぶせて)私、ちょうど帰ってきた時に二人が出るのに出くわした。私、車の前に飛び出しちゃったの。とおせんぼするみたいに」

ぼんやりと車の前に出てくる古崎。それをよけようとする車。派手な音をたててコンクリート塀にぶつかる。ぼんやりと見ている古崎。終始無音。突然スイッチが入ったように、周りの様子も音も騒がしくなる。

古崎    「(情景にかぶせて)私は無傷。ぼーっとしてただけ。最初から、最後まで。知らない大人が私を守るようにどこかへ連れて行って、そのあともすごく大事に扱われた。お兄ちゃんはたいしたことなくてね、その日のうちに帰ってきた」

♯ 古崎家(回想)

ふとんにくるまって大きく目を開いている古崎。
そっと部屋に入ってきて、古崎の枕元に座る和之。

和之    「和歌、何も心配しなくていいよ、曜ちゃんはみんな忘れた、和歌も忘れな」

暗闇の中、そっと布団の中から外を伺う古崎。
古崎の目に飛び込む和之の手の白い包帯。

古崎    「(情景にかぶせて)暗い部屋の中にお兄ちゃんの手の包帯がぽっと白く浮んでた。そうしてお兄ちゃんの言葉は、悪い呪文の様に私の耳にいつまでも残った」


♯ 北橋中学

古崎    「タイムとラベルで過去に行き、君を殺す。現在に戻れば、君は存在しない。そんな風に扱われる人がいる。最初からいなかった。うちでは及川曜子がそうだった」


♯ イメージ

きちんとした制服姿で、快活そうな和之。

♯ 北橋中学

古崎    「お兄ちゃんは、すっと私のいいお兄ちゃんだったけど、高三になってからは目に見えて勉強して、東京とか大阪とかに行っちゃうんだなと思ってたら北海道に行っちゃった。どちらにしろ私には変らなかったけど。なにか解放した様な気持でいた」

♯ アーケード街(回想)

セーラー服姿の古崎。本屋の店先で音楽雑誌を見ている。
ふとそばにあるラジオ雑誌(『ランラジオ』)を手に取る。

古崎    「(情景にかぶせて)ある日、たまたま手にしたラジオ雑誌のー」

古崎、頁をめくると全国の放送局のタイムテーブル表が並んでいる。各放送局毎に一頁。巻頭の北海道×××ラジオの頁を熱心に見ている古崎。兄のことを思い出したのか楽しげな様子。が、突然固まる。

古崎    「(情景にかぶせて)タイムテーブルの番組の中に、及川曜子の名前を見つけたの」

開いた頁。ミッドナイトジョッキー。及川曜子。
欄外にもローカル番組のピックアップとして紹介され、小さな写真まで載せられているが、画像が荒くよくわからない。    

♯ 古崎家(回想)

古崎の部屋。
ラジオのダイヤルを合わせる古崎。
ラジオ雑誌と顔をつつき合わせている。

時間経過・夜。

古崎    「(情景にかぶせて)私はそれから日曜日の夜を待ってダイヤルを合わせ、貴方のリクエストした『アメノフルヒニ』を聴いて泣いたの」

机の前に座っている古崎の後姿。泣いているのはわからない。

♯ 北橋中学

古崎    「私は及川さんとお兄ちゃんに意地悪しようとしたわけじゃないの。ちょっとびっくりして覗き込んだだけなの。そうしてそのことはみんなわかってるの。私が云わなくても。あの時のこと知ってるすべての人が。新しくて柔らかい生き物みたい。傷がつきやすくて、でも、跡形もなく直ることが可能な。そんな風に私に接した。お兄ちゃんを筆頭に。お兄ちゃんに何がきける?」

♯ 北橋中学・二年三組

夕刻の教室。三上と古崎の二人だけ。 
古崎は教壇の側面に背中をつける形で出口の方を向いて立っている。
三上は教室の出口に首をかしげる形に凭れかけて立っている。

古崎    「(三上を見て)でも私は知りたいの。彼女のこと。どうしてるの。どうなったの。ただそれだけ。毎週四十五分。彼女は話す。そして、彼女は話さない。いらいらし乍ら、放送を聴くのよ」


# 三上の家(外観)(数日後)

日曜日の朝の風景。雨が降っている。

# 三上の部屋

雨音で目を覚ます三上。ぼんやりしている。  

三上    「(独り言)石川の天気予報は当たった」

♯ 北橋中学・部室前の花壇(回想)

三上、花壇の前にしゃがんで座っている。
石川、スコップで花壇を掘り起こしている。

石川    「週末は雨だ。六月の雨のように丹念な給水を、六月の雨がしてくれるだろう」
三上    「(手元の百日草の花の種の袋を見て)どうしてこれにしたの?」
石川    「(作業をし乍ら)明るくて悲しい歌。たくましくて可憐な花」
三上    「(手伝い乍ら、ほおーっていう表情)」
石川    「(笑って)なんてね。駅前で配ってたんだ」

♯ 三上の部屋

続き。
三上、伸び上がって枕元のラジオのスイッチを入れる。
ラジオの声 「九州四国地方の梅雨入りが発表され―」

♯ 北橋中学・部室前の花壇(回想)

丁寧に作業を続ける三上と石川。

三上    「梅雨はまだなの?」
石川    「北海道って梅雨ないんだっけ」
三上    「うん」
石川    「まだみたいだな」
三上    「(作業し乍ら聞いている)」
石川    「あやふやなんだよな。何か目印があればいいのにな。月がカサさすとかさ」
三上    「どうして梅雨の始まりと終わりを決めるの?」
石川    「終わりがなきゃ次にいけないだろ。夏に。それには始まりが必要。逆算。あとづさりだな」

♯ 三上の部屋

続き。
ラジオを切ってベッドの上に寝ころぶ三上。

三上    「(モノローグ)お兄さんの北海道行で及川曜子のことが終わっていないのを思い知らされちゃったんだな。周りに助けられて、守られて、終わったと自分自身でも信じ込ませて、でも自分の中ではずっと続いていて、そのことに気づいてもいて」

寝返り。

三上    「(独り言)忘却は人に与えられた最も有効な治癒機能なのに」

♯ 北橋中学・部室前の花壇(回想)

作業を続ける三上と石川。

三上    「(向うの花壇を見て)あのムラサキ色は何だろう?」
三上     「(モノローグ)聞きたいことだらけだ」
石川    「ワスレナグサ」
三上     「(石川の方を見て)有名な花なんだね」
石川    「ワスレグサってのもあるらしいぜ」
三上    「(尊敬の表情、作業の手は止まる)」
石川    「(作業をし乍ら)そっちの方が必要だと思わないか。そりゃたいていのことは忘却の方向へ向かってるんだけどさ。流れに逆らった感情ってのは強いもんだからさ。忘れられないことを忘れるって一番エネルギー要りそうじゃない」

♯ 三上の部屋 

続き。
ベッドの上に寝ころぶ三上。

三上    「(独り言)忘れないでってのはまちがってるんだ」

寝返り。

三上    「(モノローグ)人は忘れる。そして人は忘れない。他人の意志は関係ない。それなのに」

♯ フラッシュ 

古崎。

♯ 三上の部屋

続き。
ベッドの上に寝ころぶ三上。

三上    「(モノローグ)律儀だな、アイツは。及川曜子次第か。でも、及川曜子が忘れてたら不安になるんだろう?そうして覚えていたからってそれがなんになるっていうんだろう」

♯ フラッシュ 

白い包帯を巻いた古崎和之。

♯ 三上の部屋

続き。
ベッドの上に寝ころぶ三上。薄暗い部屋で天井を見ている
絶え間ない雨音。

三上    「(独り言)厄介な呪文だな。出口はあるのか?」


♯ 街の光景(日曜・深夜)

深夜の雨の光景。

DJ    (ナレーション)

「引越したんだけどハガキだけ前の住所で出そうかな.北海道に.変わらず放送を聴いて.変わらずハガキを出す.自分を置いておこうかな.そういい乍ら転居お知らせ用のハガキでかいてるけど.目立とうと思って」

(一呼吸置いて)

「キミの新しい住所を最初に見た時、私はその町の沿線の高架下に拡がるポピーのお花畑を思い出しました。実のところそのお花畑には行ったことなくて、ただとてもきれいだと伝えきいていて、行きたかったし行こうともしたのだけど行けずじまいでした。でもいつか行ける。思い出した。ぱああっとね。行きたかったことを。そういうのってなかなかよいものです。思いを馳せる場所にしたまえ。何か一曲プレゼントして下さいということなのでこの曲にしてみました。」

 ♪【井上陽水・FUN】

♯ イメージ

高架下。川沿に広がるポピーの花畑。

♯ 北橋中学・テニス部部室

帰り支度をする部員達。
三上、窓から外を覗く。眼下には花壇。

三上    「ケンちゃん、何か出てるよ」

石川、三上の隣に並ぶ。

石川    「(花壇を見下ろして)おお、縦列行進」    

♯ 北橋中学・下校風景

♯ 北橋中学・裏手

三上、遠目に土手の風景を見る。
土手一面に背の高い薄紫の花や背の低いピンクの花。
ところどころに月見草。
フェンス越しには夕焼。

三上    「(独り言)きれいだなー。放課後の名所だな」

古崎、土手に体操座り。夏服。白いカッターシャツにプリーツスカート。
三上、ゆっくりと古崎の方へ行き、真正面で止まる。

古崎    「(膝を抱えた姿勢で)センチメンタルな転校生」
三上    「(モノローグ)忘れてた。あの時の気持を。もう」
古崎    「私、お兄ちゃんに電話したの。『こないだの月曜ジョッキー聴いた?』って。そしたら云うの。『月曜ジョッキーって何?』。私きょとんとしちゃったわ。でも教えてあげたの。及川さんのこと。『すごいなー』ってお兄ちゃんは笑った。お兄ちゃんは及川さんとひなげしを見に行こうとしたのかな。わかんないね」

古崎、立ち上がり、プリーツのぐるりを点検。
土手を駆け降りる。
少し振り向いて土手の方を見る。
周囲が薄暗くなり、工場地帯にイルミネーションがぽつぽつ点り始める。         絶景化が加速。
古崎、美術室の方に小走りに駆け出す。
途中で振り向いて、三上にえへへって笑顔を見せた。
三上、ぼんやりとそれを見ている。

三上    「(モノローグ)忘却でも執着でもない記憶の未来形がある。特別ではない。平凡なもの」

♯ 三上の家・廊下/藤部の部屋(同日・深夜)

藤部、相変わらず毛布にくるまっている。三上はもう毛布はない。

三上    「今頃気づいた」
藤部    「(聞いている。穏やかな表情)」
三上    「オレ、及川さんが北海道の人なのかもしらない。結婚してるかどうかも。トシも」
三上    「(モノローグ)その人のことを何も知らない。でも、何でも知ってる」
藤部    「貴重な身の上話だったね」
三上    「そうだろー(得意気)」
藤部    「あのハガキいつ書いた?」

三上、ドキッとしたような表情。

三上    「(少しためらってから)こっちきてすぐ」
藤部    「(聞いている)」
三上    「わかるか」
藤部    「わかるさ」
電話の声・藤部 「あんな潔い別れの手紙出したのに、いきなりローテンションだもの」

♯ 道端(五月初め)

通りすがりのポストにハガキを入れる三上。
赤茶けたおんぼろポスト。これ集配来るのかなーって言う表情でポストのぐるりを見る三上。

♯ 三上の家・廊下/藤部の部屋

続き。

藤部    「及川さんが一生懸命キミをなぐさめてたのに気がつかなかった?」        

三上、参ったなという表情。
藤部、笑っている。

三上    「そっちは何か変わったことないの?」
藤部    「そうだな―」

  ♪【とんぼちゃん・生活】

   ~エンディング




二、トーベくん、走る。


♯ 向北中学・全景

一面の雪景色。まだ一つの足音もついていない。

 〈タイトル・トーベくん、走る。〉

♯ 藤部の家・屋外

夜明け前。家の屋根を伝って雪が滑り落ちている。
ドサッドサッという音。

♯ 藤部の部屋

朝。だが明るくならない。
藤部、ふとんに包まって眠っている。
雪の落ちる音。

藤部    「(モノローグ)ああ…雪だ」

♯ イメージ 

鉄道の高架からの様な目線の街の風景。
一面雪で真白。
一辺が長い三角定規の様な形の屋根の家が並んでいる。屋根の色はカラフル。
平地は道なのか原っぱなのか雪でわからない。何の動物がつけたのかわからない足跡がてんてんとある。

♯ 藤部の部屋

眠っている藤部。
突然目を開き、少し思案してから起き上がる。
近くにあった半纏をはおり、ストーブをつける。
部屋を出て、玄関の電話機をストーブのそばまで引っ張ってくる。

♯ 藤部の部屋/三上の家・玄関

毛布に包まって電話している三上。周りは既に明るい。

電話の声・藤部 「三上くん、雪だ」

三上の家の壁のカレンダー、十一月。

三上    「こっちは紅葉もしてないぞ」
電話の声・藤部 「でも初雪なんてノスタルジックな響きとは程遠いな。ドッカンドッカン降ってる」
三上    「うん。十分懐かしい」
電話の声・藤部 「では行ってきます。強行突破一番手」
三上    「行ってらっしゃい」

藤部、受話器を置こうとする。 

電話の声・三上 「あっトーベ」
藤部    「(あわててもういちど受話器を持ち直す)」
電話の声・三上 「それ、溶けるから」 
藤部    「(えって表情)」
電話の声・三上 「無理しないように」
藤部    「(きょとんとしたまま)了解」

切れた受話器を持った三上。

三上    「(独り言)無茶しないように」

♯ 藤部の家・玄関先

藤部、ダークグレーのレインコートを着て、ゴム長靴の中ににズボンの裾を押し込んでいる。少し迷う素振を見せるが、サーモンピンクのイヤーパッドをつける。

藤部    「(モノローグ)迷っているものに教えてあげよう。冬だ」

玄関を開けて黒いカサをさす。
いきなり吹き付ける雪。ブリザード状態。
数歩歩いてつぶやく。

藤部    「(独り言)とんでもないな」

♯ 道

雪に応戦しながら歩き続ける藤部。

三上    「(モノローグ・ナレーション)ずっと自転車通学だった藤部が徒歩で学校に行くようになったときいたのは、今年の九月のことだ。手放し運転をしていて、壁にぶつかって、自転車を壊したと云っていた。
向北中学の学区内は坂が多い。藤部の家も高台にあるのだが、だからといって行きに上り続けたり、帰りに下り続けたりするわけのではない。たいした坂を上ったり下ったりする。いったいどうなっているのだろう。納得のいく視点から見せて欲しい町だ。
藤部は考えるともなく考え事をし乍ら、つまりはぼんやりと、腕組みで運転をしていて、庁舎前の坂を快速で滑り降り、石壁に激突。両手を放していたのが幸いしてか、すっぽりと投げ出された。

♯ 庁舎前(二ヶ月前)

地面に座り込んでぼんやりとしている藤部。
離れたところに無残な自転車。

♯ 藤部の部屋(二ヶ月前)

電話する藤部。片足に大きな湿布を張っている。

藤部    「実際これを持って帰るのがつらかったって」

♯ 庁舎前(二ヶ月前)

自転車を引っ張り出して、なんとか引いて帰ろうとする藤部。

♯ 藤部の部屋(二ヶ月前)

電話する藤部。

藤部    「道標みたいにぽたぽた汗が落ちた」

♯ 道

雪に応戦しながら歩き続ける藤部。バスとすれ違う。

三上    「(モノローグ・ナレーション)自転車壊したこと聞いてもあんまし驚かなかったけど」

♯ 藤部の部屋(二ヶ月前)

電話する藤部。

藤部    「見せたい。あの自転車。手先の器用な怪獣が指でちょいってつまんだみたいになった」

♯ 道

雪に応戦しながら歩き続ける藤部。バスとすれ違う。

三上    「(モノローグ・ナレーション)汗だくの藤部は珍しいと思った」

♯ 藤部の部屋/三上の家・玄関(二ヶ月前)

電話する藤部/三上。

三上    「それでどうするの」
藤部    「歩く」
三上    「新しいの買ってもらえないの」
藤部    「だめなんだ。テンちゃん号がもうすぐ来るんだ」

♯ イメージ

ぴかぴかの銀色の自転車。
その隣に藤部の弟・典(小学校四年)。

♯ 藤部の部屋/三上の家・玄関(二ヶ月前)

電話する藤部/三上。

三上    「おおっ典ちゃん。十歳か」
藤部    「うん。十月十日で」

♯ 藤部の家・庭先(一ヶ月前)

ぴかぴかの銀色の自転車。
その隣に典。    

典     「兄さん。時々使ってもいいですよ。不便でしょう」

♯ 藤部の部屋/三上の家・玄関(二ヶ月前)

電話する藤部/三上。

三上    「バスは?」

♯ イメージ

高台を少し降りたところにあるバス停。

♯ 藤部の部屋/三上の家・玄関(二ヶ月前)

電話する藤部/三上。

藤部    「バス?」
三上    「うん」
藤部    「中学校にバスで行くなんておかしい」
三上    「(聞いている)」
藤部    「中学校ってのはさ」
三上    「(聞いている)」
藤部    「この世に何か起こった時にさ、途方にくれることなく、みんなが自力で集まれる場所にあるんだ。そうしてみんなで考える。どうしようか」

♯ 向北中学・校門

やっとたどり着いた様子の藤部。
空が明るくなってきて、陽が射してくる。

藤部    「(独り言)三上くんの云ったとおりだ」

朦朧とした様子で空を仰ぐ。

日野    「おはよう」

藤部、覚醒。
クラスメートの日野百合葉が立っている。

日野    「よくこの雪の中歩いて来るねえ。私あのバスに乗ってたんだよ。藤部くんに併走」
藤部    「(独り言の様に)そっか」
藤部    「(モノローグ)何台ものバスに追い越されたと思っていた。一台のバスとすれ違い続けていたんだ」


♯ 藤部の部屋(同日・月曜夜)

藤部、机に向ってラジオを聴いている。勉強している様子。

DJ(男性) 「―という訳で、今月のお便り募集のテーマですが、もうこういう時期になったんですね。『僕の、私の、一九七六』ということで、ワタクシの年表の一九七六年にはこれを書くぜって出来事をお願いします。すごーく有名な作家さんの年表の中に、『この年、京都で遊ぶ』なんてあったりして、妙に味わい深かったりするんですよね。でも既に出来上がっている自分の年表があるとしたら、恐いな。見る勇気あります?―」

藤部    「(モノローグ)一九七六年終る。それから、十三歳終る。そして、中学二年終る。締切りを少しずつ延ばしてくれてるみたいだ。締切り…」

少し考え込む。

藤部    「(モノローグ)何も起こらない自分の為に」

♯ 向北中学・二年B組(休み時間)(翌日・火曜)

藤部、一番後ろの席で音楽雑誌(『新譜ジャーナル』)を読んでいる。
日野が後黒板を黒板消しで掃除している。

日野    「(チョークを一本手にして)このチョーク緑色だ。すごいね。使うのもったいない」
藤部    「(話しかけられたことにやっと気づき、振向くというより後に伸びをしたような体勢で)ほんとだ」

♯ 向北中学・下駄箱置場(朝)(翌日・水曜)

上履きに履き替えている藤部。後から来た日野が話しかける。

日野    「藤部くん、昨日の火曜歌謡見た?」
藤部    「(ちょっときょとんとして)見た」
日野    「豪華だったよね」

日野、さっさと上履きに履き替えて行ってしまう。
藤部、ちょっといぶかしげな表情。

藤部    「(モノローグ)フォークデュオ特集。三上に電話しようと思ってたんだ」

♯ 藤部の部屋/三上の家・玄関 (同日・水曜夜)

二人、毛布に包まって電話している。

藤部    「三上、ヒノユリハって覚えてる?」
三上    「(しばらく考えてから)知らない」
藤部    「覚えてないか」
三上    「B組?」
藤部    「うん」
三上    「覚えてないなあ」
藤部    「月曜日初めてしゃべったんだけど」
三上    「雪の日?」
藤部    「うん」
三上    「(聞いている)」
藤部    「それから毎日話すんだ」
三上    「毎日」
藤部    「話しかけてくる」
三上    「星占いじゃない?」
藤部    「(?)」
三上    「今週のラッキーイニシャル・R」
藤部    「ラッキーカラー・サーモンピンクか」

♯ 三上の部屋

三上、机の引出しから、小さな冊子を取出す。
表紙には『forever』の文字。サイン帳のよう。
ぱらぱらとめくっている。探していた頁を見つけ、しばらくそれを見ている。神妙な顔。

頁のアップ。
『とても残念。わたしたちみんなそー思ってます。三上くん行っちゃうから。でも三上くんはいいこといっぱい待ってるね。むこーの人ともども。三上くん来るから。きっと。百合葉。』

ごちゃごちゃとたくさん描かれている頁の隅に小さく控えめに描かれている。
三上、ちょっとすまなそうな表情。

♯ 向北中学・廊下(休み時間)(翌日・木曜)

藤部一人でゆっくりと歩いている。
向いから、社会科で使う大判の地図を二つ抱えて、よろよろ歩いてくる日野に出くわす。
日野、藤部に気づいてはっとした表情をするが、すぐ俯いてしまう。

藤部    「(モノローグ)先生に頼まれたんだろうな。そんで先生は頼めば誰か友達誘って二三人で持ってくるって思ったんだろうな。想像力の欠如だよ。簡単にそういうの頼めない人種があるのに」
藤部    「(軽く)一つ持とうか?」
日野    「(少しためらってから)ありがとう」

日野、遠慮して小さい方の地図を渡す。藤部それを小脇にひょいと抱える。

藤部    「二つとも持てるや。ちょーだい」

藤部、地図を二つ抱えてひょいひょいと歩く。少し遅れて日野が歩いている。地図が何かにぶつからないように、さりげなく藤部をかばって歩いている。

藤部    「(モノローグ)なんだろう」

俯いて歩く日野。恐縮している様子。

藤部    「(モノローグ)やっぱりおかしい」  

♯ 向北中学・二年B組(放課後)(翌日・金曜)

男子四名・女子二名。黒板の前に机を六つくっつけて座っている。
藤部・白塚・堤・豊津(男子)。日野・磯山(女子)。
黒板には『クリスマス会について』の文字。
藤部、向いに座っている日野を見て、妙に落ち着かない心境。

藤部    「(モノローグ)やっぱりおかしい」

あまりモチベーションが上がっておらず、だらだらと雑談している模様。

磯山    「(独り言の様に)はじめよ」

立ち上がり、黒板を指す。位置は自分の席。

磯山    「二学期最後のホームルームでお楽しみ会をやろうってさっきのホームルームで決まって、そんで決まってるのはそれだけです。そんで各班から選ばれた私たちクリスマス委員でその段取りを決めていきます」  堤     「委員じゃなくて係だろ」
磯山    「(軽く受け流して)十一月中にだいたいの段取りを決めちゃいましょ。十二月に入ると期末があるからさ、試験の一週間前はクラブといっしょ、お休み。クリスマス会は期末の…三日後?じゃあその前の二日間で物理的な準備をしましょう」
堤     「物理的ってなんだよ」  
磯山    「カザリツケよ」

白塚、藤部、豊津、日野笑ってしまう。

白塚    「来週のホームルームで各班で企画出してもらって、それを持ち寄ろうよ」

藤部、日野ちょっとほっとした表情。  

磯山    「そうだね、まだ日もあるしね」

磯山、ストンと席に座る。

堤     「終りか」
磯山    「うん」
白塚    「(藤部に)三上と連絡取ってるの?」
藤部    「(ちょっと意外そうに)うん。たまに」
堤     「電話代かかるだろ」
藤部    「うん。丑三つ時にしてる」
日野    「(独り言の様に)誰にも邪魔されない時間だね。ご飯とか、お客とか、通過とか…」
磯山    「元気?」
藤部    「元気」
堤     「アイツならどこでもうまくいくだろ」
豊津    「誰からも愛される。正義と善意の人」
藤部    「なんか。ムーミンみたいだ」
豊津    「オマエはスナフキンか」
藤部    「うん。スナフキンがいいな。ギター持ってるし」
日野    「原作では横笛なのよ。(云ってから少しトーンダウン)テレビではギターだけど」
堤     「ムーミン博士がいるよ」
日野    「原作のムーミンってもっときついのよ」
白塚    「人間的なの?」
磯山    「その云い方、何か変」
日野    「きついっていうのは違っているかもしれない。何か、人間みたいなまどろっこしいものを取り除いた表現をするの…」

日野、みんながちゃんと聞いていることにちょっとあせった様子。

日野    「おさびし山の歌知ってる?」
磯山    「え?何」
堤     「知ってる」
白塚    「(はてな顔の磯山に)聞いたら絶対わかるよ」

白塚、藤部の方を見て同意を求める表情。

藤部    「うん」

週末で、部室から家へ持って帰るギターが傍らにある。
藤部、促されていることに気がつき、ギターをケースから出す。
軽く『おさびし山の歌』をつま弾きだす。  

磯山    「ああ、それかあ。スナフキンのテーマ…」
豊津    「♪雨に濡れ立つおさびし山よ…」
堤     「えっ何それ」
豊津    「(びっくりして)えっこのこと云ってたんじゃないの?」
磯山    「知らないよー歌詞あるなんて。なんでそんなの知ってるの」

豊津、藤部の方を見る。ちょっと救いを求める感じ。

藤部    「(笑って弾き乍ら)知らない」

日野、笑っている。

藤部    「(弾き乍ら)教えてよ」

豊津、抵抗したが、結局三番まで歌わされている。ムーミン話で盛り上がっていつまでも賑やか。教室の外はすっかり暗くなっている。

♯ 帰り道

一人で歩き乍ら『おさびし山の歌』を口ずさむ藤部。

♯ 藤部の家・廊下(同日・夜)

藤部、典の部屋の襖を軽くノックする。

藤部    「典ちゃん」
典     「(中から声)どうぞ」

藤部、襖を開ける。典は机に向かっている 。

藤部   「ムーミン貸してくんない?」

典、立ち上がり、本棚の本を見てしばらく思案した後、一冊の本を引き出し、藤部に渡す。
藤部、受取って表紙を見る。

『楽しいムーミン一家』

藤部    「お薦め?」
典     「初心者向け」

藤部、巻頭のムーミン谷の地図を眺めている。

藤部    「ムーミンはムーミン谷を出てもやってけるかなあ」
典     「ムーミンはムーミン谷にいるものです」
藤部    「鍋のふたと鍋みたいなもの?」
典     「(眉間にしわ)なんかずれてる」
藤部    「(聞いている)」
典     「ムーミンがいれば、そこはムーミン谷なんです」
藤部    「そっか」

藤部、本をこめかみの辺りに上げる仕草。

藤部    「(モノローグ)ありがと、典ちゃん」

藤部、典の部屋を出る。


♯ 北橋中学・二年三組(昼休み)

弁当を食べた後か、一緒に近くの席に座っている三上と石川。

石川    「(思い出したように)あっアルバム持ってきた?」    三上    「(あっ覚えてた?って表情)うん」

カバンの中から小冊子を出す。

三上    「卒業してないからアルバムじゃないんだけど…」

冊子をめくると巻頭から何頁か写真が貼られている。
学校内の様子や行事風景、三上がみんなと写っている記念写真。
女子生徒が何人か集まってくる。

女子生徒  「これ前の学校の制服?」
女子生徒  「かわいい!公立だよねえ」

女子生徒たちうらやましそう。

三上    「でもオレ、転校しなかったら一生詰襟着ることなかったよ」   石川    「(記念写真を見乍ら)転校ってなんか憧れない?」
女子生徒  「ええ?ちやほやされるのそんときだけじゃん」

みんな軽く固まる。三上に失礼じゃないかと思った様子だが、当の三上は気づいていない様子。

石川    「いや、今までの自分をリセットできるってのがさ」
女子生徒  「石川くんがそんなこというなんて意外だわ」

♯ 北橋中学・二年三組(同日・放課後)

夕刻の教室。三上と石川。
石川、もう一度三上の小冊子を見ている。
写真の後は様々なメッセージ。
教師や部活の仲間の寄書も載せられており、凝った作り。        ぱらぱらとめくっていくと妙に余白の多い頁が一枚。

石川    「これ、すごいよな」
三上    「(軽く視線を落とす)」

真っ白い頁の隅に藤部のメッセージ。

石川    「後から誰も侵入できなかったんだな」
三上    「(見ている)」
石川    「思慮深い国だ」

頁のアップ。
『1976年4月。三上、転校。我等の年譜に記されり。なんてね。DROP/藤部礼』

♯ 向北中学・二年B組(放課後)(一週間経過)

クリスマス委員会の面々。
各班から出された企画を検討している。
人数が少ないので、板書するのをやめて、大学ノートを広げ、そこに意見を書き出して、頭をつつき合わせている。

藤部    「(モノローグ)なんか悪だくみしているみたいだ」
磯山    「(ノートを指差して)『飲み物』出しましょう」
堤     「シャンパン」
白塚    「新聞沙汰になるよ」
豊津    「ああ。版型が出来てるな」
磯山    「牛乳だな」
堤     「おいっちょっと待てよ(牛乳に拒否反応を示した様子)」
磯山    「ノスタルジックじゃない」
堤     「ノスタルジィってのは年食ってから今ぐらいの時期を思って語るもんだ」
藤部    「でも、ノスタルジィって郷愁だろ。あながち遠くないよ」  堤     「藤部、味方するな。オマエ説得力あるから」
白塚    「でも、ジュースと紙コップの方が無難だよね」
堤     「(やった!って表情)」
磯山    「(白塚くん、そっちにつくのって表情)」
日野    「(笑い乍ら、ノートに書き込み)ジュースと紙コップ。磯山さんだけ三角パックね」
磯山    「三角パックじゃなくてもいいよ」
豊津    「ノスタルジィなんだろ」

このあたりになると雑談に紛れてきている。飲み物の話が一段落したところで。

磯山    「(再びノートを指差して)『プレゼント交換』はずせないね」
堤     「いくら?」
磯山    「三百円」
堤     「三百円だな」
藤部    「(モノローグ)効率的だな」
豊津    「王道に如くものはなしだ」
藤部    「(ドキッとした顔で豊津を見る)」
日野    「歌とか歌ってまわすんだよね」
磯山    「何にする?(藤部の方を見る)」   

藤部、また?って表情だが、素直にギターを出してくる。
磯山と日野、クリスマスソングを歌いながら、おちゃらかほいの様に筆箱を交換しあっている。
『きよしこの夜』『ジングルベル』『赤鼻のトナカイ』『諸人こぞりて』『ホワイトクリスマス』…結局『きよしこの夜』に落ち着いた様子。

堤     「クリスマスの定番ソングってないよな。日本に。『ホワイトクリスマス』みたいなの」
磯山    「『十二月の雨』」
堤     「クリスマスソングじゃない」
磯山    「クリスマス出てくるよ」
堤     「クリスマスぅって感じじゃない」
白塚    「そこがいいんだけどね」
日野    「いつか出来るんだろうね」
豊津    「でも狙っちゃダメなんだ」
白塚    「気がついたらあるんだな」
磯山    「悲しい歌かな。(ちょっと間を置いて)日本人だから」  日野    「その時思い出す、今を。そんな感じ」

 ♪【荒井由実・十二月の雨】(途中からフェードインし、二番から)

♯ 向北中学・帰り道

藤部、日野、磯山。同じ方向。
日野は自転車を引いている。歩きの磯山に途中まで付き合っている様子。        藤部、日野。別れ道で磯山を見送る。
日野も自転車にまたがろうとする。
藤部、一人になるのが少し安心な様子。

日野    「(発進しようとするが、急に止まり)あの」
藤部    「?(内心ちょっとびっくり)」
日野    「ヒノユリハって変な名前でしょ」

藤部、ふいをつかれてわけがわからない。
日野は少しだけ藤部のリアクションを伺ったが、自転車をすうっと発進していってしまう。 
藤部、ぽかんとそれを見送る。

藤部    「(モノローグ)ミカミアメほどじゃない」

♯ 藤部の家・玄関先

藤部、自宅前で少し振返る。典が自転車で向ってくるのが見える。        夕焼け。紺色のセーター。銀色のテンちゃん号。

藤部    「(モノローグ)地球は球形だな」

近づいてくる典。銀縁眼鏡をかけている。

藤部    「(モノローグ)最近典は眼鏡をかけ始めた」

近づいてくる典。

藤部    「その姿を見ると、なんとなく苦しくなった」

近づいてくる典。

藤部    「(モノローグ)ライナスヴァンペルトが眼鏡をかけた時、胸を痛めたルーシーヴァンペルトの気持がわかる気がした」
藤部    「(独り言)ルーシーはチャーリーブラウンにそのことを絶対云わないでって云ったんだよな」

自転車を降りる典。

藤部    「(モノローグ)だけど」

追いつく典。

藤部    「遅いじゃない」
典     「(少し笑う)」
藤部    「(モノローグ)なんだ。メガネ、カッコいいじゃん」


♯ 藤部の家・廊下(数日後・日曜)

 藤部、典の部屋の前に立っている。

藤部    「(襖を開けて)典ちゃん、こたつ入ったよ。来ない?」  
典     「(机に向かっている)今年は兄さんがこたつ当番でしたっけ」
藤部    「はい」
典     「宿題そっちでします」
藤部    「オレがいて気が散らない」
典     「兄さんがなんか云うと覚わるんですよ」
藤部    「(モノローグ)オレは独りにならないと、本も読めない」

♯ 藤部の部屋

二人、小さなこたつを囲んでいる。
典はもくもくと宿題の書取をしており、藤部はみかんを食べている。

藤部    「(ドリルをさかさまから見て)『喜怒哀楽』…」

宿題を続ける典。

藤部    「むつかしい?」

怒と哀を鉛筆で丸く囲む。

典     「こっちがむつかしいかな」

藤部、みかんをむいている。

典     「現実と逆ですね」

藤部、ぎょっとしてみかんをむく手を止める。

典     「人間て割と簡単に、怒ったり、泣いたり、笑ったりするけど」

典、みかんを一つ取る。

典     「実際のところは、悲しませたり怒らせたりするより、笑わせる方がむつかしくありません?」

藤部、ぽかんとしている。
典はみかんを手に取る。

藤部    「すごいなあ」

二人でドリルに落書きしている。
『喜怒哀楽』の他の候補を捜している様子。
ドリルには『悲』『淋』『苦』『恥』『寂』の文字。
こたつの上にはみかんの皮の山。

♯ 向北中学・二年B組(放課後)(二週間後・土曜)

一人机でガリ版原稿を作っている藤部。
日直を終えた様子の日野が入っている。

日野    「何してんの?」
藤部    「(作業し乍ら)『みんなで一曲』の歌詞カード作ってるんだ」

♯ 向北中学・二年B組(短学活《ホームルームの短いもの》)(その一週間前の土曜)

教壇の前に立っている磯山。
隣に投票箱の様な箱を持って日野。

磯山    「(みんなに向って)今度のクリスマス会でみんなで一曲歌を歌おうということになりまして、その歌をみんなの投票で決めたいと思います。あそこ(手で差す)にこの箱(手で示す)を置いときますので月曜の帰りまでに投票お願いします。一人一票ね。そんで上位五曲を選んでまた来週決戦投票します。宜しくお願いします」

磯山ぺこんと頭を下げる。それに合わせて日野も頭を下げる。

♯ 向北中学・二年B組  

置かれた投票箱と投票用紙。

♯ 向北中学・二年B組(放課後)(月曜)

投票箱をひっくり返すクリスマス委員会の面々。
周りに一緒にのぞいているクラスメート数人。
いろいろな曲名が書かれた投票用紙。
それを見乍らみんなであれやこれやと喋っている様子。

♯ 向北中学・二年B組(短学活)(火曜)

教壇の前に立つ磯山。
日野は選出された曲を板書している。
『二十二歳の別れ』『サボテンの花』『遠い悲しみ』『黄色いカラス』『眠れぬ夜』
みんなに決戦投票の段取りを説明している様子の磯山。

♯ 向北中学・二年B組(放課後)(金曜)

クリスマス委員会の面々。
既に曲目は決定していて雑談している様子。
藤部はギターを抱えている。
選外の曲を会話に合わせてちょろちょろと爪弾いている様子。

堤     「オレは『LovlyEmily』の方がいいなあ」
磯山    「あ―」
白塚    「これも好きだけど(『娘が嫁ぐ朝』の用紙)」
磯山    「あー」
堤     「なんだよそれ」
磯山    「賛同してるのよ」
堤     「ふきのとうは何が一番多かったんだっけ」
白塚    「『雨ふり道玄坂』」
磯山    「あー」
日野    「(笑って聞いている)」
豊津    「オレこれ(『ささやかなこの人生』の用紙)」
堤     「あー」
藤部    「(笑って)軽音の吉見がさ、出だしのメロディ間違えて覚えててさ」
豊津    「どんな風に」
藤部    「(ギターを弾き乍ら歌って見せる)」
堤     「いかん。やめてくれ。それうつる」
磯山    「(歌ってみて)ホントだ」
藤部    「抜けないでしょ」

♪【風・ささやかなこの人生】

♯ 向北中学・二年B組(その翌日・再び土曜の放課後)

続き。
ガリ版原稿を作る藤部。覗き込む日野。

日野    「まめだねえ。藤部くん」
藤部    「(作業をし乍ら)すげー有名な曲だけどさ、知らないやつだっているだろ。早目に行き渡った方がいいだろうし。どっちにしろ当日には必要だし。日もないし。オレ、クラブでよく作ってるから慣れてるし」
日野    「それから?」
藤部    「(作業の手を止めて、んっていう表情)」
日野    「たくさん理由があるねえ。こりゃやらない訳にはいかない」藤部    「(作業に戻って)オレ、何にもしてないし」
日野    「(あせる)ごめん。やってくれてるのに」
藤部    「(モノローグ)(作業をし乍ら)まいったなあ。(上を向いて)好きなんだよ。このカリカリ。それが一番の理由」

日野    「私も好き。(藤部の手元の音楽雑誌を見て)あっこの『GUTS』今月号だ。見せてね」
藤部    「(モノローグ)立ち直った。かな」
日野    「(雑誌を見乍ら)秋の遠足の時にね。遠足委員の子がね」 藤部    「遠足係か」
日野    「歌集作っててね。そんで好きな曲一曲入れさせてもらったの、そこだけ自分で書かせてもらっちゃった、カリカリで」
藤部    「(再び作業にとりかかる)」
日野    「でも、誰も歌わなくてね」
藤部    「(作業をし乍ら)自分で歌えばいいじゃない」
日野    「(とんでもないって表情)」
藤部    「(モノローグ)(作業をし乍ら)自己主張と引込思案。日々は仮想と後悔の繰り返しか」
日野    「そしたら帰り際にね、藤部くん歌ってくれたの、嬉しかったな、周りの子にもよかったねって云われちゃった、藤部くん後ろのほうにいたから知らないだろうけど」

♯ バスの中・向北中学・秋の遠足(回想・二ヶ月前)

藤部、最後列の窓側に座っている。
同じく最後尾の列に、自前のギターを持ってきたやつがいて、かき鳴らし、バスの中を盛り上げている。がむがむの『青い空はいらない』。       藤部、窓に凭れる様な姿勢でのんびりと聞いている。

藤部    「(モノローグ)三上が転校する前にみんなで演ったのもがむがむだったな」

♯ 向北中学・音楽室(回想・春)

軽音楽部全員でがむがむの『卒業』。中心にいる三上。プレゼントされた小冊子を抱えている。藤部は一歩下がった場所で演奏している。三上のクラスメートたちが対面で椅子を扇状に並べて見学している。演奏側も見学側も女子は半泣きの様相。廊下側の窓の外で見ている生徒もいる。

♯ バスの中

ギターの男 「(突然ギターを藤部に押し付け)いかん。やばい」
藤部    「(ぼんやりしていたのでびっくり。きょとんとする)」
ギターの男 「(顔色がよくない)ほんと、やばい。藤部、替われ」
藤部    「(やっと状況に気づいた様子)大丈夫?」
ギターの男 「(伸びきって)後は任せた」

藤部、ギターを軽くつまびいて、譜面入りの雑誌を見ていたが。

藤部    「(独り言)こりゃ確かにやばいかも。目で追ってるとバス酔いしそうだ」
前列の男子生徒 「(振り向いて)藤部、何かやれよ」

女子生徒達も一緒になって声をかけてくる。
藤部、遠足歌集をぱらぱらとめくってみる。

藤部    「(小さく独り言)あっこれなら見なくても弾ける」

藤部、演奏を始める。 
バスの中、みんなで手拍子で歌う様子。
バスの外、一面のコスモス畑。

 ♪【かぐや姫・眼をとじて】

♯ 向北中学・二年B組(土曜の放課後)

続き。

日野    「一年の時は向北山だったよね」
藤部    「(作業し乍ら)ありゃ近かった。ある意味斬新だ」
日野    「土壇場で変わったんだよね。南向山行く予定だったのに」
藤部    「(作業し乍ら)南向橋が破壊したからな」
日野    「(笑う)」 
藤部    「(作業し乍ら)(ほとんど独り言)復旧するまで南向山のキツネさんとタヌキさんとシカさんは、毎日宴会…」

日野、ぼんやりと立っている。何か考え込んでいる様子。


♯ 向北中学・帰り道(一週間後・金曜)

夕刻。クリスマス委員会の六人で歩いている。
堤と日野は自転車。

磯山    「あったかいね」
日野    「(自転車を引き乍ら)うん。あったかい」
堤     「(自転車を引き乍ら)こう坂が多いと自転車も良し悪しだな。(少し間)どうなってんのかね。この町は」
藤部    「なんか、卵のパックみたいな町だって云ってたな」

# イメージ 

 六個入り卵パック。

♯ 向北中学・帰り道

 続き。

藤部    「三上が」
豊津    「おもしろいよな。アイツは」
堤     「オマエたちさ、再会してさ、オレたちが散ったらさ、曲作れよ、エッグ・パック・シティ…(少し考える)メモリー」
磯山    「ださい」
堤     「セレナーデ」
磯山    「甘い」
堤     「レクイエム」
磯山    「意味解って云ってんの?」
堤     「(ころっと話題を変えて)お前自転車どうしたんだよ」   藤部    「(急に振られて、えって表情)」
堤     「一学期は乗ってただろ」
藤部    「壊れたんだよ」
堤     「どーして」
藤部    「塀にぶつかったんだよ」
堤     「よそ見でもしてたのかよ」
藤部    「手放ししてたんだよ」
豊津    「小学生かよ」
堤     「おまえ、何かボーっとしてるからな」
白塚    「ケガしなかったの」
藤部    「すげー青アザ作った」
磯山    「私知ってる。(ちょっと興奮)陸上競技大会のさ、クラスリレーの時さ、私藤部くんの後ろで待機してたもん。短パンで立膝ついてるの、まじまじ見ちゃった。思い出したあ」

# 向北中学・校庭(秋)

陸上競技大会。
リレーの順番を待つ藤部。
半袖半ズボン。立膝をついている。太ももにすごい青アザ。
後で待機している磯山。あまりじろじろ見ない様にしているが、気になってしょうがない様子。

♯ 向北中学・帰り道

続き。

わいわい楽しげに歩く面々。
幸せそうな表情の藤部。

♯ 文房具店

店先で色紙を選んでいる面々。
磯山と日野が盛り上がっている様子。

磯山    「(ポラロイドカラーの色紙を手に取って)わー懐かしい」  堤     「(覗きこんで)何に使うんだそんなの」
日野    「(横から、別の色紙を手にして)ねえ、セロファンもあるよ」     

♯ 帰り道

文房具屋の前。
堤の自転車の籠に色とりどりの色紙の入った袋。
堤、籠の中身を躍らせながら走り去っていく。
白塚と豊津も別方向へ歩いていく。
藤部、日野、磯山が残される。
日野は磯山との別れ道まで自転車を引くのがお約束のよう。        三人で歩き出す。

磯山    「(俯きがち)私ね、ホントは、これでいいのかなーって思ってるの」
日野    「(びっくり)何が?」  
磯山    「一人であれこれ仕切っちゃって」
日野    「(びっくりのまま)どうして。みんな感謝感心だよ」
磯山    「そうかな。藤部くんも日野さんも本当はもっといい考えとか持ってて、それでもまあいいかって云わないでいるんじゃないかって、私、心配で」
日野    「(慌てている・身振もつけて)そんなことないよ。何か意見あったら絶対云うよ。云ってる」
藤部    「オレも」
藤部    「(モノローグ)そうじゃなきゃ貴方に恥ずかしいでしょう」  磯山    「(ちょっと回復)私長女だからかなあ。気がつくといつもこんな。藤部くん兄弟いる?」
藤部    「小学生の弟が一人」
磯山    「ふーん。何か、お姉さんとかいそうに見えるのにな」
藤部    「(モノローグ)今日、周りからどう見られているか学習した」
磯山    「日野さんは?」
日野    「今は一人」
磯山    「(きょとん)今は?」
日野    「お姉ちゃんいたんだけど、生まれて、すぐに」
磯山    「(すごく慌てる)ごめん」
日野    「(こっちも慌てる)いいのよ、だって、私だってヒトゴトみたいなんだよ。(反り返るような格好で大きく伸びをする)私、クリスマス委員してよかったな。磯ちゃんは編物教えてくれたし、藤部くんは理科Ⅰの講習してくれたし。来週の期末も、三学期の家庭科も、わたしの未来はばっちり。一番楽しい一ヶ月だったかも。十一月、大好き」

♯ 帰り道

ニコニコ笑って手を振る磯山を見送る藤部と日野。

日野    「(自転車を引き乍ら)私、双子だったの。お姉ちゃんが百合花。私は百合葉。親は私を百合ちゃんって呼ぶわ。私は二人分なのよ」

自転車に片足をかけ、発進する日野。
後姿をぼんやりと見送る藤部。

藤部    「(モノローグ)オレにも楽しいことを云って去ってくれ」

♯ 藤部の家・典の部屋(同日・夜)

藤部、典の部屋で縮こまって体操座りをしている。
典は机に向かっている。

藤部    「(典の背中に)典ちゃんはどうして敬語で喋るんだ」

典、しばし机に向かっていたが、椅子をくるりと回転させて、藤部の方を向く。

典     「(腕組をして)前住んでたところの横手に妙な草っぱらがあったでしょう」
藤部    「あった」
典     「草の背が高くて未だにボクはその広さを把握できていません」
藤部    「それは典ちゃんが小っちゃかったからだよ。(懐かしそうに)基地を作ったね。第一ササノハ基地、第二ススキ基地、第三…」
典     「第三キショウブ基地。未完成です」
藤部    「そうそう、コールタールみたいな沼地でさ、典ちゃん足突っ込んでズボンどろどろにしてさ…」
典     「どんなに叱られても何をしたか口を割りませんでした。(少し間)秘密基地ですから」
藤部    「そうだったねえ。男らしい」
典     「あそこの奥に無花果の大木がありました」
藤部    「あったあった、一度早い台風来た年にすごい鈴生りになって…」
典     「大木の下も沼地でした。菖蒲なんか生えていない、もっとおどろおどろしい」
藤部    「あの木すごい生え方してたよね。横向きに生えてるんじゃないかっていう…」
典     「秋。いっしょにあそこに行きました。昼でもとても暗い場所でした。兄さん枝だか幹だかを伝って無花果の実を取りに行った。のぼるっていうより渡るみたいに。片手にビニールの袋を持って。そうして、ボクを呼んだ。『テンも来いよ』」
藤部    「(聞いている)」
典     「でも、ボクは行けませんでした。怖かったんです。わけのわからない木も。遠いんだか近いんだかわからない沼地も」
藤部    「(聞いている)」
典     「『いいです』ボクは云った。『兄さん行ってきて下さい、お願いです、いいです、気をつけて下さい』言葉を挟む余地がないくらいまくしたてました」
藤部   「(聞いている)」
典     「兄さんは黙って遠ざかり、ひょいひょいと実をもいでビニール袋にいれ、片手でいとも簡単に帰ってきました」
藤部    「(聞いている)」
典     「帰り道ボクは口をきけませんでした。そうして口を開いた時にはこの有様でした」
藤部    「(少し考えてから)もう一度あそこへ行こうか」
典     「(聞いている)」
藤部    「呪いを解きにさ」
典     「虫の多いところはキライです」
藤部    「そっか」
典     「真に受けないで下さい。思いつきです。この話し方が一番ラクなんです。だからです。兄さんは気が滅入るといつもボクに同じ質問をする。『ナゼケイゴヲツカウノ』そうでしょう?ボクの今までのバリエーション覚えてますか」

藤部    「(膝にほっぺたをくっつけて)うん」
典     「(困った顔)」
藤部    「バツ…フクシュウ…」
典     「(困った顔)」
藤部    「もっと明るいの考えてよ。オマジナイとか。ジンクスとか…」
典     「次回作で」

典、椅子をくるりと回転させて背を向ける。

♯ イメージ

秋の沼。灰色の大木。枝の上で凭れる藤部。

藤部    「(モノローグ・ナレーション)おいてけぼりだ」


♯ 藤部の部屋/三上の部屋

電話での会話だが、場面は会話の後。(場面に会話が流れる)双方期末試験の勉強をしている光景。
藤部は半纏でこたつ、三上は机に向かっている。

三上    「こっちも降った。初雪」
藤部    「ひとつき遅れだねえ」
三上    「なんかさ、大喜びなの。いつもより早いんだってさ」
藤部    「へえ…カルチャーショックだね」
三上    「こっちの制服さ、男子は学ランだから着膨れするだけなんだけどさ、女子のセーラー服の上に着るカーディガンがさ、五色くらいあって、自由に選べるみたいでさ、こないだ教壇の上から見たら何か、お花畑みたいだった」

♯ 北橋中学・教室

色とりどりのカーディガンを着た女生徒たち。

♯ 藤部の部屋/三上の部屋

続き。
(現在の光景に電話の会話がかぶさる)

藤部    「人文字が書けるねえ」
三上    「うん」
藤部    「ああっこっちも降ってるや…」

藤部、立ち上がって窓のカーテンを開ける。
静かに降る雪。

藤部    「(モノローグ)お花畑にもエッグカップシティにも雪が降る…」


♯ 向北中学・二年B組(放課後)(期末試験が終った翌日で半ドン・昼下り) 

クリスマス委員会の面々。物理的作業。
色紙のわっかを作っている。

日野    「はい」

日野、堤に赤いセロファンと緑色のモールで作った花を差出す。

堤     「(受取り乍ら)なんだこれ」
日野    「委員の特権よ。胸に飾りましょ」

そう云い乍ら、豊津にはレモン色の花を渡す。

豊津    「委員の特権、係の印」

豊津、そう云い乍らもまんざらでもなさそうに花を胸に挿す。        日野、藤部にはうすむらさきの花を渡す。

藤部    「(モノローグ)やさしい薬みたいな色だ」

日野、白塚にはピンクとオレンジの花。

白塚    「二本、何で?」
日野    「女の子には男の子から渡すのよ」

白塚、磯山にピンクの花を渡す。
日野はその間に自分の胸にうすみどりの花を挿している。
みんな、作業に戻る。

日野    「(作業し乍ら)私ね、あさってね、クリスマス会の日、お誕生日なんだ」
磯山    「へーそうなんだ。(突然作業の手を止め)じゃあこの際だから、みんなでその日ハピバスデも歌っちゃわない?」
日野    「(びっくりして)だめだめ、絶対だめ」
磯山    「(日野の方を見て)どうして」
日野    「(磯山の方を見て)そんなことしたら私どんどん小さくなって消えちゃう」
磯山    「(作業に戻って)そっか…(なんとなくわかった表情)」
藤部    「(もくもくと色紙を二センチ巾に切り乍ら)雪合戦やんない?」
堤     「(顔を上げて)何急に」
藤部    「(作業し乍ら)だってクリスマス会終わったら帰るだけじゃない。しようよ。みんなで」
豊津    「(作業し乍ら)雪が積もってて空が晴れてたらな」
藤部    「(作業し乍ら)明日の夜から降るよ。(顔を上げて)あさっての昼まで」
白塚    「(手を止めて)おもしろそうじゃん。雰囲気次第だけどさ。できたらやろうよ」
磯山    「(大学ノートを開いて)持ってくるものの項目に加えておこう。三百円以内のプレゼント。手袋」

♯ 向北中学・帰り道

磯山を見送る藤部と日野。
藤部、日野もそのまま自転車を発進させると思い、さよならモード。        だが、日野は自転車をきいきい転がして歩いている。

日野    「(少し遅れて自転車を引き乍ら)藤部くん、私聞いてほしいことあるんだけど、歩き乍らでいいから聞いてくれるかなあ」

藤部は少し振り返ってから、ひとまず歩調を緩める。

日野    「私のお姉ちゃんの百合花ちゃんはね、生きてたらすごく活発な女の子になっていたと思うの。私と違って」
藤部    「(ちょっと困った)根拠は」
日野    「百合花ちゃんが私に話しかけるようになったの」
藤部    「(モノローグ)自転車、強奪して、逃げようか」
日野    「(かまわず続ける)百合花ちゃんの心は死んではいなかったの。息をひそめてひっそり生きてたの。そうして私の陰に隠れていっしょに大きくなっていったの。だけどある日私に話しかけてきたの。一念発起したの。私見ててね」
藤部    「(モノローグ)名前をつけてあげよう。ヒトリカイワだ」  日野    「お休みの日にはよく自転車で向北山まで行ってね。百合花ちゃんと話すの。柵に凭れて。初めて喋った場所なの。一年の秋の遠足の時。藤部くん、一人で南向山見てたでしょ。あの時。あの場所。(少し間)私遠足とかって苦手なの。何していいかわかんないじゃない。休み時間より授業中の方が楽。あの時もね、ビニールシートに自分の居場所確保できて安堵のため息ついてたの。そしたらきこえたのよ」

♯ 向北山(一年前・秋)

ここから、場面、日野の説明する光景。
ビニールシートにほっとした様子で座っている日野。

声     「もったいないなあ。ノルマみたいに時間を使わないでよ」

はっとする日野。

日野    「(情景にかぶせて)びっくりして顔を上げた私の視界に藤部くんの後姿が入ってきてね、そのままずーっと見てた、ぼーっとして、でも心臓ばくばくさせて、そのまま。堂々とポツンとしている藤部くん。走ってくる三上くん。ああ、A組さんがF組さん待ってたんだって思った。二人が行っちゃった後ポンと背中押されるみたいにそこへ行ったの。そしたら見晴らしがよくてね。『BCDEの間紅葉見てたんだ。有意義ってもんだね』って私が云ったら、『まあね』って彼女は云った。百合花ちゃんだって思った。当たり前みたいに。知ってたみたいに。それが最初。それからずっと」

♯ 向北中学・帰り道

薄日の射す道をとぼとぼと帰る藤部と日野。 

藤部    「(モノローグ)(ぐらりとした様子)『まあね』…!」  日野    「そのうち私考えるようになったの。私もう十三年間幸せに生きてきたから残りの時間をそっくり百合花ちゃんにあけ渡しちゃおうかなって」
藤部    「(かろうじてリアクション)残りの時間?折り返しにはずい分早いんじゃないか」
日野    「(強気になってきている)二十五過ぎたら夭折じゃなくなるわ」
藤部    「(モノローグ)めちゃくちゃだ」
日野    「それにね、人生の目盛が七十あったとしても、私の支点は十四あたりなの」

藤部、立ち止まって振り返る。少し憤慨。

藤部    「正直云ってさ、すごく、すごく、主観的で、個人にどかんと到来した話で、オレ、よくわかんないんだ、意表を突かれた上になし崩しに云われるとそっちの云うことすごくもっともにきこえるし」
日野    「相談じゃないの。打明け話なの。ひとつき前の初雪の日にカウントダウンし始めたの。もう決めたの」
藤部    「百合花はなんて」
日野    「あきれてる。(少し間)私だって。でも何だかいやになるの。自分が。何だか。時々。こんな風に漠然と。でも、すごく。これは機会かもしれないって思うの。藤部くんの様に非の打ち所のない人にはわかんないかな」
藤部    「(モノローグ)女の子を初めて呼び捨てにし、そうして手痛いしっぺ返しをくらった」
日野    「十三才最後の日に私タチは向北山へ行く。そうしてね、夕陽が南向山に沈んだら、もう百合花ちゃんは隠れなくていいの。私がそっと隠れるから」
藤部    「(固まっている)」
日野    「(急に元気)おわり。何かね、急にさびしくなっちゃったの。やっぱ、誰も気がつかないんだろうなーって思ったら。変なハナシしてごめんね。明日学校ではまだ百合葉だよ。バイバイ」

自転車を発進させる日野。
たちつくす藤部の後姿。

♯ 藤部の家・典の部屋(同日・夜)

藤部、典の部屋で縮こまって体操座りをしている。
典は机に向かっている。

藤部    「(典の背中に)典ちゃん、オレのクラスの女の子でさ、双子のかたっぽがいてさ、お姉さん生まれてすぐに死んじゃってさ、最近その子の意識に侵入するんだって。その子は替ってやろうかって云ってる。どう思う?」
典     「(藤部の方を向いて)妄想ですか?」
藤部    「すごいことば知ってるな。(間)亡くなった女を想うか」  典     「ストーリーテラーとは云えないですね。既視感は否めないでしょ」
藤部    「うん。(丸まってしまう)(もぞもぞと)典ちゃんむつかしいことば知ってるね…」
典     「三上さんにきいたら?」
藤部    「とめろっていうだろうな」
典     「(やれやれって表情)そうしたらいいじゃないですか」  藤部    「彼女じゃなくてオレを心配してさ」
典     「(聞いている)」
藤部    「彼女の立場の意見をききたかったんだ」
典     「(聞いている)」
藤部    「弟に」
典     「(神妙な顔)」
藤部    「なんてね(笑う)」


♯ 藤部の部屋(翌日・昼下り)

藤部、頭の下に腕を組んでこたつに寝ころんでいる。

♯ 向北中学・二年三組(回想・その日の午前)

黒板に大きく『大掃除』の文字。
各班の割付が書かれている。
藤部、窓枠に腰掛けて窓を拭いている。
すっぽりと窓枠に収まって、動作は緩慢。

藤部    「(モノローグ)カンガルーの袋。小鳥の巣。猫の、猫が自分で決めた、自分の好きな場所…」

眼下の中庭に日野と磯山の姿が見える。
磯山は長いサライ、日野は大きなチリトリを持っている。

藤部    「(モノローグ)(見乍ら)ほらね。何にも変わらないじゃない」

日野と磯山、じゃれあっている。楽しそう。

藤部    「(モノローグ)明日の天気の心配だけしていよう」
堤     「いつまで同じとこやってんだよ」

藤部、不意をつかれた様子で、ぴょんと窓枠から降りる。
二、三歩歩いたところで、水の入った金のバケツをひっくり返す。

堤     「何やってんだ」

堤、水の上に雑巾を何枚か重ねて、水を吸わせてから、持っていたモップを上からかぶせる。冷静で丁寧な対応。
藤部はぼんやり。 

堤     「(モップで拭き乍ら)世話がやける」

♯ 藤部の部屋(同日・昼下り)

藤部、こたつの上に突っ伏している。

♯ 向北中学・二年三組(回想・同日放課後)

クリスマス委員会の面々。最終打合せ。

磯山    「(大学ノートを見乍ら)…あとは二時間目が終ったら、ばあーっと飾りつけね」
日野    「(緑色のチョークをくるくる回し乍ら)ツリーの絵、描こ」

藤部、日野をチラッと見て不服そうな表情。

白塚    「オレ、このアンケートクイズ好きだな。(紙の束を見乍ら)将来の夢…好きなテレビ番組…お金で買える欲しいもの…お金で買えない欲しいもの…」

藤部    「何かセツナっぽいよな」
堤     「オマエが云うと、すごく難しくて、すごく重くて、すごく高尚で、すごくむなしくきこえる」
藤部    「(紙の束を見乍ら)そーかな」
豊津    「どの設問に対する答えも十年後に見たら笑っちゃうってことだろ」   
日野    「二十三―四かあ」
磯山    「今よりももっと幸せなの。偶然押入れの中から見つけてね、笑うの」
堤     「何だ、ノイローゼかよ」
磯山    「(ノートを閉じ乍ら)幸せのグラフが放物線の形してたらつまらないじゃない」

♯ 藤部の部屋(同日・昼下り)

藤部、こたつに寝ころんでいる。

♯ 向北中学・廊下(回想・同日帰り)

ばらばらと歩いているクリスマス委員会の面々。
藤部、軽音楽部の仲間達から声をかけられる。
みんなと別れ、彼らと合流する藤部。

♯ 商店街(回想・同日帰り道)

クリスマスソングがガンガン流れている。
仲間達と店でレコードを見ている藤部。

藤部    「(モノローグ・ナレーション)帰り道がいっしょにならなくてなんだかほっとしていた」 

♯ 藤部の部屋(同日・昼下り)

藤部、こたつに突っ伏している。
典が、お盆の上にたいやきと牛乳とガラスのコップを二つ載せて入ってくる。

典     「おやつの時間です」

藤部、壁の時計を見る。午後三時近く。
典、こたつに入ってコップに牛乳を注ぐ。コップには氷が入っている。

藤部    「(頬杖をついて)典ちゃんはたいやきが好きだねえ」
典     「大人になって、泣くようなことじゃないけどすごく悲しいことがあった日に、たいやきを買って帰るボクがいます。きっと」
藤部    「お兄さんが慰めてあげるよ」
典     「(藤部の顔を見る)」
藤部    「(なんだよって表情)」
典     「そんな隙を見せるようなことしない」

藤部、憮然とした表情。
氷がきゅうきゅう音をたている。

藤部    「(こたつの上に片方の頬をくっつけて)氷が泣いてるねえ…」  
典     「(ぱくぱくとたいやきを食べている)」

♯ 藤部の部屋(同日・昼下り)

再び藤部一人。
藤部、こたつに寝ころんで、典から借りた本を読んでいる。

藤部    「(モノローグ)典の本にはところどころに落書きがある」

目次のタイトルの上に○や△。

藤部    「(独り言)隙だらけじゃない」

頁のあちこちに線が引いてある。 

藤部    「(モノローグ)小学生の蔵書、かくありなん」  

『楽しいムーミン一家』挿絵。

藤部    「(モノローグ)マホウノボウシに姿を変えられたムーミントロール。ママが救った」

『楽しいムーミン一家』『なにがおこったって、わたしにはおまえが見わけられたでしょ』に傍線。

藤部    「(モノローグ)典ちゃんもここが好きかい。オレもここが一番好きだよ」

藤部、壁にかけられたグレーのブレザーを見る。胸にうすむらさきの花。        藤部、こたつに突っ伏す。

藤部    「(独り言)なにがおこったって、わたしにはおまえが見わけられたでしょ…」

♯ フラッシュ 

雪の朝、藤部に声をかけた日野。    

♯ 藤部の部屋(同日・昼下り)       

藤部、こたつに突っ伏している。

藤部    「(モノローグ)アイツは一ヶ月前から決めていた…変わってしまった時に気がついてもらいたくてオレに声をかけ続けた…」

♯ フラッシュ 

クリスマス委員会の日野。   

♯ 藤部の部屋(同日・昼下り)       

藤部、こたつに寝ころんでいる。

藤部    「(モノローグ)なんでオレに…」

♯ フラッシュ 

ガリ版作りをする藤部を見ている日野。

♯ 藤部の部屋(同日・昼下り)       

藤部、こたつに突っ伏している。

藤部    「(モノローグ)なんでオレが…」

♯ フラッシュ

帰り道・藤部に打明話をする日野。

♯ 藤部の部屋(同日・昼下り)       

藤部、こたつに寝ころんでいる。

藤部    「(独り言)オレが引き寄せたのかな…」

藤部、目をつぶる。

藤部    「(モノローグ)自意識。自覚。自惚れ。自己嫌悪…とても安全な場所に居乍ら、自分を護るのに一生懸命…現状維持と引き返せる冒険が好き…むやみに気消えてしまいたくなる恥ずかしさ…同じ因子…」

目を開ける。
壁の時計を見る。四時。

藤部    「(モノローグ)家に着いてから―昨日から、ずっと繰り返していた、この一ヶ月間を。最後に辿り着こうとすると回想はふりだしに戻る。もうやめなくちゃ。気がつかなくちゃ。結論まで辿り着かなくちゃ…」

♯ 藤部の家・廊下

藤部、典の部屋の襖をぱんっと開ける。

藤部    「典、自転車貸して」
典     「(椅子を回転させて藤部の方を向き)どうぞ」

藤部、ろくに返事も聞かず玄関へ走る。

♯ 藤部の家・玄関先

典、玄関を出て、外を見る。
藤部は既に自転車を発進させ、すごい勢いで下りにかかっている。        トレーナー姿。
典、その後姿に向って。

典     「(大声で)兄ちゃん急げよ。がんばんないと間に合わないぞ!」

典、暫く見送っていたが、ブルッと震えて玄関の方にくるりと回る。


♯ 道

薄日の射す道を自転車で一目散に走る藤部。
庁舎前の道。コンクリートの壁。
向北中学。スクールゾーン。
商店街。
建物が閑散となり、道沿いにまばらに民家がある蛇行した道。
藤部、遊歩道の入口に到着し、急ブレーキ。
自転車を降り、それを枯れ枝の中に乱暴に立てかける。

藤部    「(自転車に向かい)テンちゃん号、ごめん」

藤部、坂道を一気に駆け上ろうとする。

藤部    「(モノローグ)この道は、あの時も歩いた」

♯ フラッシュ

一年の秋の遠足。藤部、坂道をひょうひょうと歩いている。

♯ 向北山・坂道

坂道を走る藤部。

藤部    「(モノローグ)のんびりと歩いた。のんびり歩いている自分を意識していた。何事にも動じない様なふりでいたかった。いつだって。でも、内心はふらふらしていた。早く、誰かに、追いついて欲しかった」    

♯ 向北山・山頂

藤部、たどり着いて、はあはあ息を切らしている。
広場。のどかな風景。
閑散とした売店。遊ぶ近所の子どもたち。
柵に手を掛け、遠くを見ている日野の後姿。  

藤部    「(モノローグ)(当の藤部はただはあはあ息を切らしている)彼女は夕陽を見ているのか、それともアイツが夕焼を見ているのか…」

藤部、深く息を吸い込んでから。

藤部    「(叫ぶ)待ってやれよ!」

日野の後姿。動かない。

藤部    「二十過ぎまで待ってやれよ。そしたら。いいとこどりだぞ。プレッシャーつきの勉強も終わってるかもしれないし。ちやほやされるシーズンに突入してるかもしれない。いいことばかりだ。そうだろう?そうだよ。まだいいだろう?待ってやれ…」

日野、ゆっくりと振り返る。
藤部、固まっている。おでこが全開。額からすうっと汗が流れる。
日野、首だけ振り向いた姿勢で、藤部の顔を見て、つぐんだ口元に静かに笑みを浮かべる。


♯ 町の風景

夜。静かに降る雪。

♯ 向北中学・全景

一面の雪景色。(オープニングと同じ光景)

♯ 藤部の部屋/三上の家・玄関(翌日・夜)

深夜。二人毛布に包まって電話している。

藤部    「(ぐったりした様子)三上くん、オレはかつがれたのだろうか」
三上    「(しばし考えるが)わかんない」
藤部    「(ため息をついている)」
三上    「典坊にはしょっちゅうおちょくられてるけどなあ」
藤部    「(ええ?って表情)」
三上    「なんて云ってとめたの」
藤部    「心にもないこと」
三上    「ふーん(笑っている)」
藤部    「次の日クリスマス会でさ。雪合戦したんだ。男子VS女子で」
藤部    「(モノローグ)頼みの雪はドカドカ降った」

♯ 藤部の部屋(回想・同日明け方)

眠っている藤部。
雪がドサッドサッと落ちる音にうなされる様に寝返りを打つ。

藤部    「(モノローグ)デジャ・ブだ…」

藤部、がばっと起きる。時計の日付を見てほっとした表情。

藤部    「(モノローグ)もう一度、あの朝から始まるのかと思った」

藤部、枕を抱きしめて、首をブンブン振る。

♯ 藤部の部屋/三上の家・玄関

続き。

藤部    「オレさ、気がついたら、日野狙って投げてんだよ」

♯ 向北中学・校庭(回想・同日)

二年B組、雪合戦の光景。
(このあと藤部の台詞に合わせて、雪合戦の様子。日野、藤部の様子) 

藤部    「(情景にかぶせて)アイツ、誕生日だってんで色紙のレイかけてもらってんの。ポラロイドカラーのさ。ぴかぴか反射してさ。目印だよ。それめがけてさ、ちきしょー、えいっえいってさ」 

♯ 藤部の部屋/三上の家・玄関

続き。

三上    「なんか楽しそうだなあ」
藤部    「(穏やかな表情)ホント、楽しくって、嬉しかったね。おかしいね」

 ♪【ちゃんちゃこ・放心】

 ~エンディング




三、ミューズの加護


①    

♯ 庭先

朽ちた木のベランダの上。手足を投げ出して眠る猫。

〈タイトル・ミューズの加護〉

♯ 北橋中学・階段踊り場(掃除の時間)

〈字幕・一九七六年二月〉
モップを持ってふざける男子生徒三人。うち一人は石川。
階段の下から箒を持った女子生徒が見上げている。

女子生徒  「(見上げて)こら、男子。ちゃんと拭く」

石川、その言葉に反応して首を向ける。
そのとたん、がくんと体勢を崩す。
おかしな体勢で力を加えたモップが踊り場の床をぶち抜いている。        慌てる男子たち。駆け上ってくる女子たち。

♯ 北橋中学・階段踊り場

椅子と机でバリケードの様に囲まれている穴のあいた場所。        『近づくな!危険!』の貼紙。

♯ 北橋中学・一年教室(同日)

理科の授業。黒板にフレミングの法則の絵。
そろそろと戸を開けて入ってくる石川たち三人。
とたんにざわめきだす生徒たち。
最後に入ってきた石川に拍手喝采。
席に着く石川にあれこれ声をかけている様子。
石川は大丈夫という手振。
波が引くように静かになる。

教師    「このフレミングの右手の法則は、イギリスの物理学者ジョン・フレミングによって考案されたものだけど、発見したことに自分の名前をつけるってのは何というかロマン、だよね。みんなは将来の夢とかある?」

生徒たち、軽く固まる。

教師    「(手前の女子生徒を指して)じゃあ、この列」  
女子生徒  「(立ち上がって)イラストレーター」
女子生徒  「(立ち上がって)オーケストラに入りたい」

前から順番に答えていく女子たち。軽くリアクションする生徒たち。        片肘をついて聞いている石川。

石川    「(モノローグ)答が職業に流れちゃったな」

答が続いている様子。

石川    「(モノローグ)幻想と現実の端境期なのにな」

淡々とした雰囲気になってきている。

石川    「(モノローグ)白い曼珠沙華を見に行くとかじゃだめなのか」

女子が最後尾まで来たところで。 

教師    「じゃあ隣、石川」

石川、不意をつかれた感じでばっと立ち上がる。

石川    「(前屈みに机に両掌を突いて)詩人」

一瞬の静寂のあと、教室中からどっと笑い声。
石川、きょとんとした顔で周りを見廻している。
そのまま立ち上がっていて何か云いたげな素振を見せるが、あきらめてストンと席に着く。
賑やかな教室。授業に戻ろうと静める教師。

石川    「(モノローグ)洗脳した人物はいた」

♯ 石川家・手前(同日)

自転車で帰宅する石川。薄暗い。
家の前に隣家の長女(甲野かほる・大学一年)が立っている。

かほる   「(石川に気づき)あっケンちゃん、おかえり」
石川    「(自転車を止めて)早いじゃん」  
かほる   「うん。もうほとんどお休みよ」

家の中から、石川兄(悟・高校一年)が猫(ブカロ)を抱えて出てくる。 

悟     「ほい(ブカロをかほるに渡す)」
かほる   「ありがと」

かほる、ブカロを抱き直してから、石川の方を向き。  

かほる   「こずえね、立聖合格したの」
石川    「おおっよかったじゃん」
かほる   「自分で云いにくればいいのにね」
石川    「まあ、照れるんじゃない」
かほる   「悟ちゃんいろいろありがとうね」
悟     「(無言で返事)」

場面、少しずつ引き、石川家と甲野家の全景に。
新しく瀟洒な石川家と砂利道を隔てて隣接する木造平屋の四軒屋のうちの一軒の甲野家。

石川    「(モノローグ)オレたちが、ここに引っ越してきた時から、かほるの偶像崇拝の対象は、アイドルでも、漫画の主人公でもなく」

♯ イメージ

セーラー服(北橋中学の制服)姿のかほる。
ランドセルの悟、石川、こずえ。

♯ 石川家・手前

ブカロを抱くかほる。

石川    「(モノローグ)『詩人』だった」

悟と話しているかほる。

石川    「(モノローグ)今のオレたちは、キレイに、大学生と高校生と中学生と小学生に仕分されて、一緒に通学することもないのだが、それでもコミュニケーションがとだえないのは」

かほるの腕の中のブカロ。

石川    「(モノローグ)甲野家の猫・ブカロが頻繁にうちに出入りしているからだ。実際のところ、もはや所属は曖昧」

悟の横顔。

石川    「(モノローグ)のみならず」

♯ 石川家・悟の部屋(回想・春先) 

悟、椅子に座っている。石川、悟のベットに座っている。

石川    「立聖?また無謀な」
悟     「そうでもないんじゃない」
石川    「いや、学力よりも、なんか雰囲気がさ」
悟     「(少し納得)」
石川    「(モノローグ・ナレーション)私立の中学を受験するというこずえの家庭教師を悟ちゃんが引き受けた」
石川    「かほるが教えりゃいいじゃん。国立受かったんだし」
悟     「まあそうなんだけどさ。オレの方が現役近いしさ」
石川    「(聞いている)」
悟     「身内より他人の方がいいみたいだし」
石川    「(モノローグ)愚問だった」
悟     「あまのじゃくだし」
石川    「(モノローグ)引き受けたいんだ」

♯ 甲野家・姉妹の部屋(回想・春先)

木枠のガラス戸を空けたところ、
内側が姉妹の部屋(畳)、外側がベランダ(木)。
ガラス戸を大きく開けて、ちゃぶ台で悟がこずえに勉強を教えている。
石川、ベランダに座ってブカロにかまっている。

かほる   「(中から顔を出して)ケンちゃん、ケンちゃん」
石川    「何?」
かほる   「今日から私もケンちゃんに指南してあげる」
石川    「何?(警戒)」
かほる   「詩人の心得を」
石川    「(びっくり)」

悟とこずえも手を止めてかほるを見る。

かほる   「だって、ケンちゃんは詩人なんだもの」

屈託のないかほるの表情。憮然とする三人。

♯ 北橋中学・体育館

体育の授業。男子はバレーボール。
男子生徒が石川にボールをトス。

男子生徒   「ほれ、詩人」

石川、それをきれいにアタック。

男子生徒(複数)「詩人アタック―」

石川、チームのみんなとハイタッチ。

♯ フラッシュ 

かほる   「(人差指を立てて)詩人が、この世で生きていくのは大変なことなの」

♯ 北橋中学・体育館

続き。
みんなに囲まれて笑っている石川。

石川    「(モノローグ)詩人が、この世で生きていくのは大変みたいだ」

♯ 石川家・庭先

〈字幕・一九七六年三月〉 
自転車で登校しようとする石川。
家の前をのろのろと歩いているこずえと出くわす。
こずえは、立聖中学の制服姿。赤いベレー帽、とても可愛い制服。        (こずえのはっきりとした登場はここが初めて)
石川、自転車を止める。
こずえも立ち止まる。

こずえ   「今日、卒業式なのよ」
石川    「そっかあ。南小、中学の制服で卒業式するもんなあ。かっこいいじゃん。目立つぞ、それ。ほとんど北橋だから」
こずえ   「(俯いて)私も北橋がいい」
石川    「(びっくりするが、すぐあきれた様子で)勉強したのに」  こずえ   「(俯いている)」
石川    「(モノローグ)さびしくなっちゃったか」

石川、何か助け舟を出そうとするが、その矢先。

こずえ   「(俯いたまま)セーラー服が着たかったの」
石川    「(予想外)」
こずえ   「(俯いたまま)私、一生セーラー服着られないね」
石川    「水兵さんになれよ」
こずえ   「(上目遣いで見る)」
石川    「原点だ」
こずえ   「(上目遣い)」
石川    「(両家の間の砂利道を片手を伸ばしてさっと切って)今年からここに新しい学区の境界線ができたんだ。どっかにあるんだよな。本物。こんな平らな町。何で区切るんだろうな。川か。橋か」
こずえ   「(上目遣い)」
石川    「おめでと。云ってらっしゃい」

石川、すうっと自転車を発進させる。
こずえ、しばらくそれを見ていたが、とぼとぼ歩き出す。
逆に石川は曲がり角で自転車を止めて、それを見る。
こずえの後姿。制服の大きさが目立つ。

石川    「(モノローグ)制服に操縦されてるみたいだな」 


♯ 石川家・悟の部屋

〈字幕・一九七七年一月〉
ジャージ寝巻姿の悟。
カーテンを少し指で開けて、外を見下ろしている。
階段をバタバタと駆け上る音を聞いて、ベッドの上に寝ころぶ。
扉をパンと開けて石川が入ってくる。

石川    「悟ちゃん、まだ寝てるの?もうみんな出てっちゃったよ」

卓上の時計、一月四日。十時十五分。
悟、毛布を胸元まで引っ張り上げる。

石川    「かほるが着物着てた」
悟     「(気がなさそうに)ああ。今年成人式だったな」
石川    「初めて見た。別人みたい」

石川、また慌しく階段を降りていく。
残された悟。ぼんやりしている。

悟     「(独り言)別人…かほると。それともオレたちとか」

再び階段をバタバタと駆け上る音。石川が入ってくる。

石川    「こずえが美術館行かないって。行かない?」
悟     「(寝ころがったまま)行かない」

石川、部屋を出て行く。
悟、そのまま寝ころがっているが、枕元の本が手にあたり、仰向けからうつ伏せの体勢にくるりと変わる。暫く本の頁をめくっていたが、そのまま顔を枕に沈める。

悟     「『林檎みどりに結ぶ樹の下におもかげはとはに眠るべし…』」

♯ 駅

石川とこずえ。
石川、切符を買っている。
こずえ、改札で定期券を出す。石川、もの珍しげ。       

♯ 電車の中

入口に凭れて立つ二人。
こずえの手元に定期入れ。PEANUTSの柄。

石川    「(膨れた定期入れを見て)なんかいろいろ入ってるな」  こずえ   「うん。入れ物があると中身ができるんだ」

石川、ポケットから生徒手帳を出し、開く。カバーに千円札と小銭が挟まっている。荷物はそれだけ。再び生徒手帳をポケットに納める。

石川    「(モノローグ)学校嫌いのサリーブラウン」

定期入れのアップ。HAHAHAと笑っているサリーブラウン。

石川    「(モノローグ)だけどもいつも楽しそう」

外を見ているこずえ。

♯ 駅前通

美術館までの道を歩く石川とこずえ。

こずえ   「(びっくりして)えっ県美初めてなの?」
石川    「うん」
こずえ   「珍しい」
石川    「そりゃ、こずえはずっと美術部だからさ」
こずえ   「だって、デートの定番だよ」
石川    「(びっくりするが、急に)ああ、それでか」
こずえ   「(何?って顔)」
石川    「悟ちゃん来なかったの。なんかトラウマあったのかも」
こずえ   「それはないよ」
石川    「(そうですかって顔)」
こずえ   「そんなのあったら、今日行って上書きするよアノヒトは」

♯ 美術館

アンリ・マティス展。
ゆっくりと見ている石川とこずえ。会話はない。

♯ 美術館

常設へとつながる場所。
ベンチに座ってジュースを飲む二人。

こずえ   「(おしゃべり解禁のように)絵って損だわ」
石川    「損?」
こずえ   「音楽だったら好きじゃなきゃきかないけど、絵は好きだって思わなくても評価やそれに伴う金額で手に入れられちゃったりするじゃない。音楽は独占されないけど、絵は所有されちゃうもの」

石川、しばらくジュースを飲んでいたが、突然立ち上がる。

石川    「オレも所有しよ」

石川、売店の方へ行く。
ポストカードを選んでいる。
こずえ、ぽかんとして見ている。
石川、戻ってきてストンと座る。

石川    「(ポストカード・袋に入っているので中は見えない・をひらひらさせて)この人は、オレに所有されて幸せだと思うけどなあ」

こずえ、ぽかんとしている。

こずえ   「ケンちゃん、変わったね」
石川    「(へって表情)」
こずえ   「ケンちゃんはもっとその身を憐れむタイプだと思ったけど。とことん。私に負けないくらい」
石川    「ネガとポジのネガの方か」
こずえ   「そう(ちょっと満足げ)」
石川    「(ポストカードの包みを見乍ら)感化されたのかな」

♯ フラッシュ

三上。

♯ 美術館

続き。

こずえ   「(石川の顔を見る)」
石川    「転校生がいてさ」
こずえ   「(聞いている)」
石川    「北海道からなんだ。寸断だ。でも大丈夫なんだってさ。物理的変化は化学的変化に如かないんだって」
こずえ   「(聞いている)」
石川    「(モノローグ)忘れていた」
こずえ   「(石川の顔を見ている)」
石川    「(モノローグ)八ヶ月もだ〕
こずえ   「(石川の顔を見ている)」
石川    「(モノローグ)こずえに話したかったことを」
こずえ   「(立ち上がって)私も買ってこよ。絵葉書」

♯ 帰り道

石川とこずえ、駅までの道を歩いている。

こずえ   「私、北橋がよかったの」
石川    「(モノローグ)北橋が、かよ」
こずえ   「でもね。勉強会、楽しかったし」
石川    「(聞いている)」
こずえ   「(石川の顔を見て)受かったら悟ちゃんのせい。落ちたらケンちゃんのおかげ」
石川    「(なんなんだよって顔)」
こずえ   「(少しの間)(俯いて)ほめられたかったのよ」
石川    「(応戦の体勢だったのにくじかれる)」
こずえ   「なんかでも、結局困らせてる。かほるちゃん、晴着いらないって云ってたのよ。もともとそういうものずっと我慢してきた人だったし。当たり前みたいにさ。興味ない振りしてね。大学もね。東京の私立の推薦枠勧められてたの。有名なとこ。国立受かったときに親が話してたの聞いちゃったんだよね。夜。パパとママと二人で。ほっとした様子で」
石川    「(聞いている)」
こずえ   「私ばっかりになっちゃうからさ。かえって頑張っちゃった。うちの親」
石川    「いっしょに着られるからいいじゃん。晴着」
こずえ   「うん」

こずえ、気が晴れた様子、軽く伸び。石川もちょっと安心。

こずえ   「悟ちゃんは悟ちゃんでなんかややこしいし」
石川    「(えって顔)」 
こずえ   「晴着ひとつとってもね。何なんだろうね。過敏。すねてるって云うか。それで、そんな自分見て傷ついてる。プライドぴかぴかだから。で、何事もない振りしてる。馬鹿にしたみたいに。ややこしいわ。アヤツは」
石川    「(聞いている)」
こずえ   「みんな二年になっちゃて。だんだん落ち着いて。でも知ってるところからは遠ざかる…」     
石川    「(モノローグ)何だか懐かしい気持になっていた。こずえはいつも一人で喋り続ける。ほんとだ。オレたち、久し振りなんだな」
こずえ   「(突然思い出して)あっでも、感化はダメだよ」
石川    「(急に、びっくり)」
こずえ   「ケンちゃんは詩人なんだから」
石川    「(固まっている)」 
こずえ   「最初からそうだったの。それを呼び起こされただけ。その人に」
石川    「(固まったまま)」
こずえ   「晴着は、きれい。それが、詩人」      

♯ 石川家・石川の部屋(朝・数日後)

ストーブの前で着替える石川。窓の外を見る。
薄暗い中、こずえが出て行くのが見える。

石川    「(モノローグ)学校が始まる」

石川、曇ってきた窓ガラスを手で拭う。

石川    「(モノローグ)末っ子姫の国は遠い」

♯ 両家の間・砂利道(朝・数時間前の様子)

家を出るかほる。真暗。白いもの(犬や花)だけが見える。

石川    「(モノローグ・ナレーション)第一王女は真っ暗闇の中を出て行った」

♯ 石川家・一階階段そば(朝・現在) 

学生服の石川。降りてくる悟と会う。悟は私服。

石川    「おはよう」
悟     「(半分寝ている)おはよう」


♯ 北橋中学・二年三組(数日後・昼休み)

教室入口を覗き込んでいる男子生徒。手には教科書。
三上が声をかける。

三上    「ケンちゃんならいないよ」
男子生徒  「どこいった?」
三上    「部長会議。体育館」

教壇の周りには数人の女子生徒。色とりどりのカーディガン。

女子生徒  「部長会議…」
女子生徒  「会社みたい…」  

さわさわと笑っている。
男子生徒、三上に教科書を渡す。

男子生徒  「これ、返しといてくれる?詩人に」
三上    「詩人?」

教壇前の女子生徒たち。反応してさわさわ。

女子生徒  「三上くん、知らないんだ」
女子生徒  「テンコウセーだから」
女子生徒  「えっ私も知らない…」

♯ 北橋中学・二年三組(同日・午後の授業の前)

三上、石川に預かった教科書を渡している。

三上    「石川くん、詩人なの?」
石川    「うん」

三上、そのまま席に戻ろうとする。
石川、少し慌てて、呼び止めるように。

石川    「詩人ってさ…火星人とか、そんなのと同じなんだ」
三上    「へー」

♯ 甲野家・姉妹の部屋(回想・石川、中学一年)

ちゃぶ台を囲んでいる四人。
ガラス戸は全開。勉強は小休止の様子。

かほる   「森じゃなくて林なの」
石川    「(よくわからない)」
悟     「主食はビスケットか」
かほる    「うん。ちょっと固めの」
こずえ   「何か野生動物の習性みたい」
かほる   「そう。(石川の方を見て)生まれつき、なの」

石川、きょとんとしている。
悟とこずえ、参考書を開く。
ベランダの朽ちた木のところに手を掛けて伸びているブカロ。

石川    「(ブカロににじり寄って)オマエ、ここばっかだな…」

かほる、石川の隣に来てしゃがみ込む。

かほる   「ブーのいる所はいつも違うのよ」
石川    「(はてな顔)」
かほる   「(ブカロに)私のそば。こずえのそば。私とこずえの間。ケンちゃんと私の間」

♯ 北橋中学・二年三組(午後の授業の前)

続き。 

三上    「(石川の顔を見て)石川くん、詩人なんだ」
石川    「うん」

♯ 駅前通(美術館のある駅)(数日後・夕方)

霧の様な細かい雨が降っている。
石川、本屋を出てカサを開く。部活の用事を済ませた帰り。制服姿。

かほる   「ケンちゃん?」

駅の階段の前。晴着姿のかほるが立っている。

かほる   「やっぱりケンちゃん。男の子でそんな明るいオレンジのカサ持ってる子いないもの」
石川    「成人式」                               
かほる   「うん。北橋の同級生とぜんざい食べてきた。着物だとそうなっちゃうね。様式美だね。ケーキじゃないね」

かほる、そこまでまくしたててから、ふーっと息をつく。

かほる   「雨だねえ。足元からじわじわ来るわ」
石川    「車でばーんと送ってくれるやつとかいないのかよ」
かほる   「(少し笑ってみせてから)北橋の制服。ずいぶん遠くに来ちゃったなあって。思ったのよ。今日。でも目の前にいるんだもん。中学生。キミはそこにいるんだものね。まやかしみたいね」
石川    「(モノローグ)晴着は、きれいだ」


♯ 石川家・玄関(数日後・夜)

電話のベル。走ってきて電話を取る石川。

電話の声・悟 「ケンか」
石川    「うん」
電話の声・悟 「(慌てているというよりは、ほっとした様子で)オレさ、終電乗り遅れちゃってさ、帰れないんだよ」
石川    「(ちょっとびっくりした顔)」
電話の声・悟 「信じられねえ、十時二十分最終だって」
石川    「どうするの」
電話の声・悟 「映画館行く」
石川    「わかった」
電話の声・悟 「始発で帰る」
石川    「わかった」

石川、電話を切る。切ったところでもう一度コールされる。

石川    「(電話をとって)何」
電話の声・こずえ 「ケンちゃん?」
石川    「(悟じゃなかったので驚いて)何だ。どしたの」
電話の声・こずえ 「ちょっと降りてきてくれないかな」

石川、玄関からつっかけで外に出る。
砂利道の真中に花柄のちゃんちゃんこを着たこずえが立っている。

こずえ   「ブーが帰ってこないのよ」
石川    「うちにはいないよ」
こずえ   「かほるちゃんも今日帰らないのよ」
石川    「ふーん」
こずえ   「サークルの新年会だって。二次会の後部室で泊りがけで三次会だって」
石川    「こないだも新年会だって出てかなかったっけ、あの、正月の、着物着てた時」
こずえ   「あれはOB会って云ってた」
石川    「大学のサークルってのは賑やかしいんだなあ」
石川    「(モノローグ)かほるのサークルが思い出せない。中学校のときから逐一報告を受けていたのに。何かしら。着物がないと淋しいのかな。これじゃまるで…」
石川    「悟ちゃんも今日帰んないんだ」
こずえ   「(目が醒めたみたいに)どうして」
石川    「コンサート行ったんだけど、終電乗り遅れたって」
こずえ   「それってすごいわ」
石川    「そうか?」
こずえ   「悟ちゃんがそういうのって(少し間を置いて)変。あのソツのないヤツが」
石川    「そうでもないよ。悟ちゃんだって。嗜好も変わるし。行動パタンも変わる。今日だってさ、オレ全然知らない人の。ライブハウス。オレと同じLP知らずに買っちゃうことももうなくなっちゃった」

空に冬の三日月。
どこからかブカロがやってきて二人の間に座り込む。

石川    「今日は誰かが帰らない日なんだ。なんでも名前をつけちゃえばたいしたことじゃなくなるんだって。ミルポワルの町の人たちも云ってた」
こずえ   「かほるちゃんの本だ」

♯ 光景(数年前)

甲野姉妹から本を受取る悟。
二段ベッドの上の段で読んでいる悟。
読み終えて石川に渡す悟。しきりに解説している様子。
モーリス・ドリュオン『みどりのゆび』表紙。

石川    「(モノローグ・ナレーション)ミルポワルの町に神出鬼没に花が咲く。おえらい人たちが調べても、原因はわからない。慌てる大人たちに名案。ミルポワルの名前を『花の町ミルポワル』に変える。そして一安心」

挿絵『花の町ミルポワル』。

♯ 両家の間・砂利道

続き。
こずえ、屈み込みブカロを抱き上げる。

こずえ   「(ブカロに)どこ行ってたの?迷ってたの?捜してたの?」

♯ 北橋中学・二年三組(数日後・放課後)

夕刻の日が伸びる教室。
三上と石川。

石川    「三上くんが詩を書くんだ。(少し間)ドロップは」
三上    「うん。(少し間)藤部くん、恥ずかしがりやだもの」
石川    「はばむもの、だな」
三上    「詩なんて誰にでも書けるよ」
石川    「故郷、悲しみ、電車、恋か」
三上    「議事録だって曲付ければ詩さ」
石川    「(聞いている)」
三上    「でも、詩人は違うんだろ?」
石川    「(びっくり・愕然)」 
三上    「詩人が詩を書くのは、全然別のことだろう?」

♯ フラッシュ

かほる   「(人差指を立てて)詩人はホカノヒトと違うの」     

♯ 北橋中学・二年三組(放課後)

続き。
石川、三上の前で立ちつくしている。
廊下を歩いていたテニス部の後輩たちが、二人に気づいて覗き込む。

男子生徒  「寒くないんですか?」

気がつけば、空が群青色。暗くなっている教室。


♯ 石川家・悟の部屋(数日後・深夜)

悟、部屋で机に向かっている。勉強。
石川、軽くノックして入ってくる。

石川    「起きてた?これ、オレの方に混じってた」

洗濯物のスポーツタオルを渡す。
外から車の音。
石川、カーテンを少し指で開けて窓の外を見る。

石川    「かほるちゃん、午前様だ」
悟     「(タオルを片付け乍ら)ダラクしたよな」

石川、困った顔で悟を見る。悟は無関心の体で机に戻る。

石川    「(モノローグ)楽しいことが、増えたのだ」

石川、カーテンを閉じる。

石川    「(モノローグ)かわいいこと、おいしいこと、楽しいこと、きれいなこと、それらを自分の周りに置こうとすることはとても正しいことだと思う」
悟     「(参考書から目を上げずに)車もう行ったか」
石川    「まだ止まってる」

♯ 石川家・悟の部屋(翌日・日曜の朝) 

悟が脱ぎ捨てたカーディガンの上で寝ているブカロ。
カーディガンは昨夜悟が寝巻きの上に羽織っていたもの。

# 石川家・玄関(同日・午前)

ブカロを抱いて玄関を出ようとする石川。
悟が、二階から降りてきて呼び止める。

悟     「ブーを返すなら、こいつもいっしょに返してきてくれ」

悟、石川に文庫本を渡す。

悟     「かほるに」

石川、窮屈な体勢で文庫本を持ち乍ら、その表紙を見る。
 『一月の新刊』の帯。

石川    「(モノローグ)こんなのいつ借りたんだろ」

♯ 甲野家・庭先

ベランダの前にブカロを抱いて立っている石川。
こずえがベランダから出てくる。

こずえ   「かほるちゃん、今起きたとこなのよ」

こずえ、何かの仕返しの様にガラス戸を大きく開ける。
ちらりと姿が見えたかほる。奥に逃げ込む。

こずえ   「あっ逃げた。連れてくるね」

ブカロと共に取り残される石川。
ベランダから手を伸ばせばすぐのところにスケッチブック。 

♯ 美術館(回想)

展示の中盤。
石川とこずえ。絵から離れた部屋の中央で。

こずえ   「この絵を描いた人はとても幸せだったんだって」
石川    「幸せ?」  
こずえ   「仕事は成功。家庭は平穏。長生きだし」
石川    「ふーん」
こずえ   「珍しいよね」
石川    「そうかなあ」
こずえ   「そうだよ」
石川    「敢えて取り上げられないだろ。なんもなかったら」
こずえ   「ねえ、どうして人は作品に背景を求めるかなあ」
石川    「背景?」
こずえ   「過程の不幸。未来の破滅」
石川    「仕方ないんじゃない。二重に味わうっていうかさ。厚みが増すっていうか」
こずえ   「(上目遣い)」
石川    「(ちょっと不満)オレ、今上手いこと云わなかったか」
こずえ   「(上目遣い)」
石川    「あとづけ、ってのもあるし。なんかあるんじゃないかって、やっきになって捜す。傑作だったらさ」
こずえ   「私そういうの好きじゃないな」
石川    「(聞いている)」 
こずえ   「作品が全て」
石川    「(聞いている)」
こずえ   「完璧な完成品だけ見せつけられたい」

♯ 本屋(回想)

片手にオレンジのカサ、片手に音楽雑誌の石川。
マティスの本を見つけ、手に取る。

石川    「(モノローグ)(本を開いて)『私はいつも自分の努力を隠そうとしてきましたし、それに費やした労力が誰にも感じられないような、春の軽やかさや喜びが作品から生まれることを望んできました…』」

♯ 甲野家・庭先

続き。
石川、ベランダに腰掛けて、スケッチブックをめくっている。        焦茶色のクロッキー。

石川    「(独り言)基本、基本、基本、下積み、努力、退屈、あ、落書、再び基礎、練習、習作、でも美術館行くとこんなのも展示してあるな、怒るかな…」

しばらくすると白紙の頁。石川ぱらぱらとめくっていく。
最後の頁に走り書き。

石川    「(きょとんとして見ている)」

『〈オレンジ第三群〉
第一群 夕焼、キンモクセイ
第二群 柿、リップクリーム
第三群 ケンちゃんのギター、ブカロ』

石川    「なんだこれ」

こずえ、再びベランダに出てくる。

こずえ   「寒くないの?」

石川がスケッチブックを見ているのに気づき。 

こずえ   「あ(というと同時にスケッチブックを取り上げる)」

こずえ、スケッチブックをパタンと閉じてから、もう一度ゆっくりと頁を開き、最後の頁を見つめていたが、突然びりびりとはずす。

こずえ   「(石川に渡して)ケンちゃんにあげる」
石川    「(受取って)何だこれ」
こずえ   「三つの仲間わけの違い、わかる?」
石川    「(見乍ら)第一群、正当第一級のオレンジ色、第二群がまあよしとするオレンジ色、第三群がちょっと無理があるけどかろうじてオレンジ色」
こずえ   「さすが」

花柄のちゃんちゃんこをはおったかほるが顔を出す。はれぼったい目。

石川    「(文庫本を渡し)悟ちゃんが返しといてって」
かほる   「(受け取って)なんで自分で来ないかなあ」

ブカロがかほるの足に擦り寄る。

こずえ   「みんなかほるちゃんが好きね」

 


 ♯ 北橋中学・自転車置場(数日後・朝)

自転車を止め、下駄箱に向う石川。
登校する生徒たち。

女子生徒  「寒いね」
女子生徒  「雪降ってなかった?」

 ♯ 北橋中学・下駄箱(同日)

石川に声をかける三上。

三上    「また降ってきたよ」
石川    「おー」
石川    「(モノローグ)今日はどの国でも、雪が降った挨拶をしているんだろうな」

 # イメージ

朝の学び舎の風景。
かほる。悟。こずえ。藤部。

 ♯ 北橋中学・二年三組(同日・昼休み)

石川、教師に頼まれて教室に大きな段ボール箱を運んでいる。        汗をかいた様子。学生服を脱ぐ。

 ♯ 北橋中学・二年三組(同日・昼休み・少し時間経過)

カッターシャツ姿で男子生徒数人と歓談する石川。

女子生徒  「(通りすがり、石川に)寒くないの?そんなかっこで」  石川    「(モノローグ)みんながオレに寒くないかと聞く」

 # 北橋中学・二年三組(同日・放課後)

下校支度をする生徒たち。
三上が石川に声をかけている。

三上    「(ちょっと厳しく)まっすぐ帰るんだよ」
石川    「うん」
三上    「(見ている)」
石川    「何かがオレに歩みよっているのがわかる」

 ♯ 石川家・石川の部屋(同日・夕方)

二段ベッドの下の段に、寝巻姿で寝ている石川。
二段ベッドは兄弟一緒の部屋の頃に使っていたもので、年季もの。
両親は共に仕事に出ている様子で、一人で自分の面倒を見るのに手馴れた様子。
体温計で熱を計り、結果を見ている。

石川    「(モノローグ)三十七度五分…」

頭に濡れタオルを乗せて眠る石川。
目が覚める度に体温を計る。(少しずつ時間経過)

石川    「(モノローグ)おもしろいように上がるや…」

ふとんに包まって寝ている石川。(時間経過後)
枕元に体温計(水銀)。三十八度後半を指している。 

♯ 石川家・石川の部屋(翌日土曜・朝)

ベッドで眠る石川。
机の上にはメモが置かれている。(学校に連絡した、食事は台所、等)      

♯ 石川家・屋内

無人の様子。

 ♯ 石川家・石川の部屋

石川、目が覚めた様子で、ぼんやりとしている。
枕元の時計、八時十五分。

 ♯ イメージ

朝の賑やかな教室。(黒板に土曜日の記述)
登校する生徒たち。自分の席。

石川    「(独り言)まだ来ない…」

朝の賑やかな教室。
席に着き始める生徒たち。
ぽつんと空いた自分の席。

石川    「(独り言)もう来ない…」

何事もなく始まる授業風景。

 ♯ 石川家・石川の部屋

ベッドの上の石川。
半分眠って半分起きている様な様子。
熱のためか、ふわふわしている。
部屋にこずえが入ってくる。制服姿。
石川、ぼんやりと見ている。

こずえ   「なんだ、起きてんの、つまんない。夢に登場しようと思ってたのに」
石川    「(やっと現実と判別できた様子で)おまえブーみたいだな。ウチに出入り自由かよ」    
こずえ   「悟ちゃん帰ってるよ。帰り道に会ったの。私じゃなくてブーに云ったよ。にゃあにゃあ主人は病気です」
石川    「(うわごとの様に)一番弱ってるやつがブーの主人か…」

石川、枕元の時計を見る。一時を過ぎているのを見て、少し驚いた様子。        こずえ、壁に凭れてしゃがみこむ。紺色のピーコートを膝の上に掛ける。

こずえ   「かほるちゃんがみかんゼリー作ったの、冷蔵庫」
石川    「(聞いている)」
こずえ   「かほるちゃんがお菓子作るなんて世も末だね」
石川    「(視線を向けて)おまえ、悟ちゃんみたいなこと云うな」  こずえ   「(俯き加減)似てるのかな」
石川    「(上を仰いで)おまえたち三人が似てんだよ。かほると、おまえと、悟ちゃんと」
こずえ   「そうかもしれない。(少し間)ケンちゃんは違うね。だから詩人権を得たんだ」
石川    「(うわごとの様)権利よいうより義務じゃないか…」

こずえ、ピーコートにくっついているブカロの毛をつまんで取り始める。

こずえ   「(取り乍ら)かほるちゃん、家、出たいのよ」
石川    「(ぼんやり)片道二時間だからな」
こずえ   「(少し間)好きな人、いるのよ」
石川    「(ぼんやり)そっか」
こずえ   「でも無理なの。うちそんな余裕ないもの。私のせい。私のおかげ」
石川    「(うわごとの様)その云いまわし、どっかできいたな」  こずえ   「かほるちゃんもわかってて、いっぱいアパートの本だけ買い込んで、眺めながら空想してるだけ。戯れてる」
石川    「(うわごとの様)好きな人ってさあ…」
こずえ   「そんなにうまくいってないんじゃないかな。うまくいく手段模索してる。まちがってるよね。どんどん悪くなるわ。かほるちゃん、知ってるのよ、そういうこと。法則みたいなもんじゃない。誰でも知ってる。知ってるのに…」
石川    「(モノローグ)そうだな。ききたいことなんかなかった。話は抽象的になる。望んだのだ」
こずえ   「私はいやだな。誰かの為にそんな風になっちゃうの。(少し間)やりたいことも、好きなものも、全部誰かの視点になる。私はどっか行っちゃう。いやだな。そんなの」
石川    「(上を仰いで)幸せかもよ」

こずえ、伏目がちに石川の方を見る。目線が石川と同じ高さ。

こずえ   「(再び俯き加減)いやだな」
石川    「(上を仰いで)プライドの高いやつの方が足元をすくわれやすいんだよ。がんばって孤高を守りたまえ」
こずえ   「ひとりぼっちは淋しいな」
石川    「好きなように」

石川、目を閉じる。まぶたが熱い。

こずえ   「私、誰かを守りたいな」

目をつぶっている石川。   

こずえ   「自分を守るのと同じ様に。静かな力。そんなに何度も使えない力。永遠で普通の力。とっておきの魔法。ありふれた平凡なものの別名。でも必然。意志。私、云うのよ。アナタは大丈夫」

石川    「(モノローグ)子守唄か…」

石川、薄目を開ける。

石川    「(モノローグ)(上を仰いで)ベビーサークルの中にいるみたいだ」

体操座りのこずえ。ブカロの毛を取り続ける。

石川    「(モノローグ)彼女はこの会話がオレの記憶のおかしな隙間に潜り込むことを考慮して話しているのだろうか。隠し扉や、納戸にしまいこんだ古い机の抽斗のような。ある日忽然と思い出す場所に」 

部屋に悟が入ってくる。

悟     「みかんゼリー食おう」

 ♯ 石川家・石川の部屋(少し時間経過)

カーペットの上にお盆。空になった茶碗と薬。
石川、悟、こずえ。みかんゼリーを食べている。

悟     「昔は四人のうち誰か一人が風邪ひくとさ、連鎖してばたばたと倒れたよな」
石川    「風邪ひくと必ずみかんの缶詰食べたよな」
こずえ   「じゃあこれ、何かの名残…」
悟     「(独り言のように)ノスタルジイ発動か」

 ♯ 北橋中学・二年三組(翌月曜・朝)

石川が、三上にノートを渡している。
三上は着席している。

石川    「ありがと」

 ♯ 石川家・玄関(前土曜の午後)

ノートを持って立っている三上。

 ♯ 北橋中学・二年三組

続き

三上    「もういいの?」
石川    「うん」
三上    「ああそうだ」

三上、カバンの中をかさかさ探り始める。
ハガキ大の紙の束を取出す。

三上    「(紙を一枚差出して)はい」
石川    「(受取る)」

紙の端に鉛筆で『男‐②』の表記。

石川    「なんだ、これ」
三上    「オレはこれ」

三上、『男‐⑰』の紙を見せる。

三上    「クラス文集。このスペースでね。自分の名前さえ書けば後は何書いてもいいから。あ、HBより濃い鉛筆でね。オレのとこ持ってきて下さい。締切はー三月九日」
石川    「文集委員なの」
三上    「石川くんが眠ってる間に」
石川    「ふーん(紙の束をめくっている)」
三上    「(カバンを片付け乍ら)詩を書けば?」
石川    「(めくり乍ら)うーん」

月曜朝礼を知らせるチャイムの音。続いて軽快な音楽。
席を立とうとする三上。

石川    「(呼び止めるように)なあ」
三上    「(んっ?って顔で石川を見上げる)」
石川    「詩人ってどこが違うんだ?」
三上    「(座ったまま見上げている)」
石川    「(ちょっとあせった様子で)あっあの…詩人じゃないのと」
三上    「(見上げ乍ら)(モノローグ)熱がまだ下がっていないみたいだ」

石川、立ちつくしている。ぞろぞろと教室を出ていく生徒たち。

三上    「(見上げて)オレのイメージはね。(視線を落として)チカラを持つ。すごい主観的なことでも、個人的な事件でも、ろ過しちゃうチカラ。そうして人に思い知らせるの。花はキレイとか。別れはツライとか。それが、詩人」
石川    「オレの知合いがね。詩人が詩を書くのは、鳥が空飛んだり、もぐらが土掘ったりする様なもんだって云ってた」
三上    「(見上げ乍ら)(モノローグ)相反しはしない。重なりもしない。双方から来て出会いそうな持論だ。大きな木の両側から手を回す様に。相手の姿は見えない。だけどつながる。でも」

立ちつくしている石川。

三上    「(見上げ乍ら)(モノローグ)石川は楽にはなれないだろう。オレじゃだめだろう」
石川    「空を飛ばなくても、鳥は鳥だよな」
三上    「うん」
石川    「詩人は詩を書かなくても許してもらえるのかな」
三上    「誰に」
石川    「ミューズ」

重なるように再びチャイムの音。


♯ 石川家・石川の部屋(数日後・早朝、明け方)

石川、ごそごそとする気配で目を開ける。
廊下に出ると、出かけようとする悟。

石川    「(半分寝乍ら)悟ちゃん、今日お休みじゃないの?創立記念日」
悟     「(ちょうどよかったって顔)バイト行く。遅くなるから」  石川    「三連休なのに」
悟     「三連休だからだよ」

階段を降りる悟を見送る石川。

♯ 石川家・ダイニングキッチン(同日・夜)

残業を見越してか、あれこれ用意されている台所。
石川、ぼんやりと椅子に腰掛けている。
時計を見上げる。七時近い。
電話の音。慌てて電話のところに走り受話器を取る石川。
石川、神妙な顔で、電話の相手と話している(というより聞いている)。
受話器を置いて、息をつく。
ゆっくりと二階へ上がり、悟の部屋を覗く。
悟のベッドの上にブカロ。
石川、ブカロがいたことに初めて気がついた様子。

石川    「(ブカロを抱き上げて)いったいどこから入ってくるんだろ」

再び電話の音。
石川、ブカロをだいたまま、のろのろと階段を降りて受話器を取る。

電話の声・こずえ 「ブー行ってるよね」
石川    「うん」
電話の声・こずえ 「もらいに行くね」
石川    「置いといてくんないかなあ」
電話の声・こずえ 「どうして」
石川    「誰もいないんだ」
電話の声・こずえ 「悟ちゃんも?」
石川    「うん」
電話の声・こずえ 「ひとり?」
石川    「ブーと」
電話の声・こずえ 「ごはん食べた?」
石川    「これから」

石川の手をするりと抜け、階段に向かうブカロ。

♯ 石川家(少し時間経過)

シンとした石川家。呼び鈴の音。
玄関を開けると立っているかほるとこずえ。

こずえ   「(お皿を両手で捧げるようにして)コロッケ。いっぱいあるから。揚げてあるよ」
かほる   「(後から覗きこむ様に)キャベツもあるよー(楽しそう)」

石川、二人を台所(ダイニングキッチン)に導く。
台所にはあれこれ夕食の準備がされている様子。
かほるとこずえ、様子がおかしいのに気づき、目配せ。
石川に促され、適当に椅子に腰掛ける。

石川    「知らない人から電話があってさ、悟ちゃんを説教してるとこだって」
こずえ   「何したの」
石川    「大学のさ、試験に潜り込んでさ、大学生のかわりに試験受けたんだってさ、バイト先の仲間といっしょに」
こずえ   「そんなの見つかるに決まってるじゃない(かほるの顔を見る)」
かほる   「うーん(微妙)」
こずえ   「(え?って顔)」
かほる   「でも、馬鹿だわ」
石川    「まずいよなあ」
こずえ   「うん」

食卓を囲んで、悶々とした様子でぽつりぽつりと会話をしている三人。        (あまり聞き取れない。「受験とか…(こずえ)」「あそこの高校きび    しかったっけ(石川)」「うーんどうだったかなあ(かほる)」等…)        

♯ 石川家・悟の部屋

呑気な顔をして伸びて眠っているブカロ。    

♯ 石川家(時間経過・夜) 

玄関先。どたどたと靴を脱いでいる悟。

走ってきて玄関先で出迎える石川。

悟     「(すたすたと入って来乍ら)(早口)ママまだ?ラッキー。セーフだって。向うだってみっともないからさ。ひっそり処分するみたい。まあちょっと尾を引くと思うけど。いろいろ聴かれたし。オレの所属を」

台所。甲野姉妹に気づく。一瞬ぎょっとした顔。

悟     「(早口)スキーに行きたいって云うんだもん。しょうがないじゃん、バイト先の先輩さ、一月から休みのとことかあってさ、おいてけぼりだって、かわいそうじゃん、それで…」

悟、喋り乍らそのまま階段を上がろうとする。
階段の前に立ちはだかるかほる。

かほる   「誰へのあてつけ?何へのあてつけ?自分のこと貶めてるってわかってるの?」
悟     「かほるはそういうとこ変わんないよな。金の心。銀の心か。キレイだこと」
石川    「オレのことうまく使おうとしたろ」
悟     「そうそう。すげーきたない。こんなもんだって」

ブカロ、階段を降りてきて悟の足元に擦り寄る。
こずえ、しゃがんで彼女の頭を撫でる。ころんところがるブカロ。

こずえ   「(ブカロに)悟ちゃんは小っちゃい頃からそう。いつも。お洋服汚さないように汚さないようにして。でも少し泥がつくと、もうどうでもよくなって。ぐちゃぐちゃにしたよね」

♯ 石川家・ダイニングキッチン(少し時間経過)

石川と悟と二人。

石川    「オールナイトの映画の時は何してたんだよ」
悟     「オールナイトの映画を見てた」

悟、冷たくなったコロッケをかじる。

# 石川家・庭先(翌休日・朝)

ちゃんちゃんこ姿のかほる。
二階の窓からかほるの姿を確認して、出ていく悟。

かほる    「謹慎中?」
悟      「うん。納戸の中」
かほる    「(何云ってんだかって顔)出てきていいの?」
悟      「かほるさんはいいんだよ。先生みたいなもんだからさ」  

♯ フラッシュ

かほる   「誰へのあてつけ?何へのあてつけ?自分のこと貶めてるってわかってるの?」

♯ 石川家・庭先

続き        

悟    「(うんざり)どうしてどいつもこいつもメンタルな面から攻めるかね。アナタタチは。向うで聞かれたよ。こづかい稼ぎかって。まずそこからだよ。そしてそこまで。なんて楽」
かほる  「くだらないことするからよ。十分な判定だわ」
悟    「せっかく三連休なんだからさ、もっとスリリングな事件だったらよかったな。オレさ、三日間逃亡するの。命危ないの。三日間逃げ切れば大丈夫なの」
かほる   「(悟を見ている)」
悟     「真夜中にドンドンって雨戸をたたくからさ。開けてよ」  かほる   「(目線を外して・以下発言時は目線を外している)しばらく見ないうちにずい分子供になったものね」
悟     「かほるさん大人になったから相対評価じゃないですか」  かほる   「馬鹿みたい」
悟     「(かほるを見ている)」
かほる   「お休み選んで。お休みじゃないとできない。模範生」
悟     「似たようなもんじゃない」
かほる   「(俯いている)」
悟     「脱出計画たてて」
かほる   「あれは(少し間)遊びよ」
悟     「こずえが気に病んでる」 
かほる   「出られないし。あの子わかってるし」
悟     「心配してる。(少し間)慢性化してるよ」
かほる   「悟ちゃんが絞られている間は悟ちゃんの心配してたわ」
悟     「つきゆびしてる時に骨折したら、つきゆびのこと忘れるか」  かほる   「骨折?」
悟     「そんなたいしたもんじゃなかったな。捻挫。そこまでも行かない。打撲くらいか。(下を向いて)勇気ないな、オレは。我身可愛いや」かほる   「そうだね」

かほる、顔を上げる。悟を見据えて。

かほる   「つきゆび!悟ちゃんにはわからない。ワタシのオモイなんか。私は泣かないでしょう。悟ちゃんの前では」


♯ 北橋中学・テニス部部室前花壇(連休明け・放課後)

石川と三上、花壇の前にしゃがんでいる。
スコップで花壇を耕している。

三上    「大変だったんだね」
石川    「うん。その時はね。メシ食えなくなるな」
石川    「(モノローグ)何だかもうずいぶん昔のことみたいだ。ごはんもいっぱい食べられる。でも、なんか置いていった。それを話したい。歪まずに伝わる人に…」

作業を続ける二人。

石川    「白い服は汚れが目立つ…」
三上    「(作業し乍ら聞いている)」
石川    「黒い服を探す…」
三上    「(作業し乍ら聞いている)」
石川    「でも、黒い服も汚れる…」
三上    「白いものがいっぱい付くんだ…」
石川    「(モノローグ)(三上を見ている)歪まずに伝わる人に」

作業を続ける二人。

石川    「(ちょっと元気になって)悟ちゃんとかほるはさ、昔からカシコイカシコイと花に水をやる様に云われてきたからなあ」
三上    「あれ、お姉さんもいた?」
石川    「ああ、かほるはさ、こずえの姉。こないだ来てくれた時見たろ、こずえ」
三上    「ああ、おかっぱ」
石川    「かほるさんはさ。(花の種をぱらぱらと蒔き乍ら)詩人を愛する人だよ」

# 石川家・石川の部屋(数日後・夜)

机に向かっている石川。
悟、二段ベッドの上段に寝ころんでいる。
下段にブカロ。

悟     「(独り言の様に、でも石川の背中に)オレ、こないだ帰んなかった時、かほるといっしょだった」

石川、振返る素振は見せない。
悟はおかまいなし。

悟     「地下鉄の乗換駅でかほるを見た」

♯ 地下鉄のホーム(回想)

友人二人と談笑し乍ら歩いている悟。
ぼんやりと歩いているかほる。真冬なのに、黒のドット柄のワンピースに薄いピンクのモヘアのカーディガン。
悟、見つけてちょっとびっくりして見ている。が、友人に何か告げ、軽くあやまる仕草を見せ、かほるを追いかける。(このあたりは語らない)

♯ 石川家・悟の部屋

続き。
頭の下に手を組んで、伏目がちの悟。

悟     「まだ、九時台だった。オレの顔見ると…」

♯ 地下鉄のホーム(回想)

かほると悟。
(ここから後、悟の語りに沿った場面・情景にかぶせて) 

悟     「オレの顔見ると、よおっなんて云って、ご飯食べに行こって云う。

(かほる、一転明るい表情。戸惑った様子の悟)
(少し間・ベッドで話している悟の表情をはさむ)

二駅歩いた。かほるは酒入ってる。でもしごくまとも。

(はしゃぎ乍ら歩くかほる。困った顔で着いて行く悟)

ドーナッツとアイスミルクだ。こっちでもある店で。

(にこにこしているかほる。不満げな悟)

そっからだ。駅に着いたら十時過ぎてて、かほるに家に電話しろって云ったんだ。そしたらお願いがあるって云う。ずっと昔からの夢だったって。何を叶えるのかと思ったよ。そしたらさ、終電が行っちゃうのが見たいって云うんだよ。ずっと昔?人生いつから始まったんだよ。でもきくことにした。なかなか人の夢叶える機会もないだろ?

(少し間・背中を向けて聞いている石川)

駅の次発の電車の掲示がパタパタ動くんだけど、どんどん無表示になっていってさ、最後の一つだ。駅員さんが云う。××方面最終、お急ぎ下さい。改札抜ける人はみんな走ってる。最後の表示が本の頁めくるみたいに動いて、何か、駅が目を閉じて眠るみたいだったな。

(ぼんやりと見ている悟。ちらりとかほるを見る。悟のいるのも忘れている様な心ここにあらずの表情)

終わっちゃうとかほるはこともなげに、映画館行こうって云った。いいなりだ。でもオレが保護者だ。そうだろう?地下街のシャッターは下りていたけど地上を歩くとたくさん明るくて行くとこなんていくらでもありそうな気がした。そうでもないのよってかほるは云った。

(歩く二人)(映画館の様子はなし)

オールナイトの映画観て、始発で帰った。

(朝の電車の中。すやすや寝ているかほる。片肘ついて窓の外を見ている悟)」

♯ 石川家・石川の部屋

続き。
伸びをするブカロ。 
石川、大きくは体勢を変えないが、目線をブカロに向ける。

石川    「(モノローグ)ブカロは退屈している。彼女は何度この話を聞いたのだろう」

石川、悟を見るが、いつの間にか背を向けていて、このままここで寝てしまう様子。

石川    「(モノローグ)最後の電車が出て行くのを見たい気がする。この町の、一番大きな、吹きっさらしの駅で」

♯ イメージ

美術館のある駅。夜。プラットホームに一人で立っている悟。

石川    「(モノローグ・ナレーション)そうしたら、線路の上を辿って、お家に帰る」

そろそろと歩き出す石川。

♯ 石川家・石川の部屋

続き。
石川、悟の背中を見ている。

 ♪【The東西南北・内心、Thank You】


♯ 北橋中学(いくつかのショットの積重ね)

・二年三組・ホームルーム。
黒板に『三年生を送る会について』の文字。
教壇の前で女子生徒と一緒に取仕切っている様子の石川。
・軽音楽部部室。入口に『WE ARE river‐side‐kids』の札。         軽音楽部の部員達と一緒にギターを弾いている石川。         『三年生を送る会』のイベントの助っ人の様子。
・校庭。テニス部練習風景。
後輩にあれこれ指示している様子の石川。
ちょっといぶかしげな表情で見ている三上。

♯ 北橋中学・テニス部部室

石川と三上。
ギターを爪弾きながら、二人で話している。

石川    「オレ、学校が楽しかったらって思うよ」
三上    「(弾き乍ら)楽しくないの?」 
石川    「(弾き乍ら)楽しいの」
三上    「(手を止める)」
石川    「(軽く時々弾き乍ら)別世界じゃない。別の住家じゃない。家とさ。だからさ、もしウチですごいつらいこととか起こっても、学校に持ち込まないでさ、学校の国で幸せに暮らしたいな」
三上    「そんなに簡単じゃないよ、たぶん」
石川    「(手を止める)」
三上    「それって強い人だよ」
石川    「そっか」
三上    「眠る場所にはかなわないよ。静かに眠れないと、つらいよ」
石川    「そっか
三上    「ウチになんかつらいことあるの」
石川    「ないよ」
三上    「学校に持ち込まないんだっけ」
石川    「ほんとにないよ」
三上    「だったらいいけど。(再びギターに戻る)詩人はとても強いそうだから」

♯ 北橋中学・二年三組

授業風景。
後方の席で聞いている石川。生徒たちを見渡している。

石川    「(モノローグ) それは実際どこかで行われているのだろう。厚いふとんを被って耳を塞いで、泣いて、泣いて、泣いて、今この国で何事もない様に頬杖をついて授業を受ける。そんなやつがいるのだろう」

いろいろな表情の生徒たち。

石川    「(モノローグ)オレはそれに気がつかないだろう」

石川、指名されて立ち上がり、何かを云っている。
笑う生徒たち。それにリアクションする石川。
だが、教室を見渡すと、反応は様々。(笑う人、無反応な人等)

石川    「(モノローグ)この国の傲慢な住民なのだ」

♯ 北橋中学・校庭

体育の授業。サッカー。
ゴールキーパーの位置の石川。相手側に固まる生徒たちの背中を見ている。

石川    「(ぼんやりと物思いの表情)」

♯ 北橋中学・中庭

掃除の時間。中庭の掃除。
楽しそうにおしゃべりしている女子生徒たち。
ちりとりを持ってみている石川。

石川    「(ぼんやりと物思いの表情)」

♯ 帰り道

川沿の道を軽快に自転車で走る石川。小春日和。

♯ フラッシュ 

かほる。ちゃんちゃんこ姿。

♯ 帰り道

自転車で走る石川。

石川    「(モノローグ)安全地帯の中で、不安定を続けてる。境界線を踏むこともできず…」

♯ フラッシュ

こずえ。美術館の帰り道。

♯ 帰り道 

自転車で走る石川。

石川    「(モノローグ)壁のレンガどんどん積んでる。エスキモーの家の様に。冬の国に行くのかしら…」

♯ フラッシュ

 悟。背を向けて眠る姿。

♯ 帰り道

 自転車で走る石川。

石川    「(モノローグ)悟ちゃんの視界の先にあるのは、かほる?それとも自分…」

♯ 帰り道

自転車で走る石川。速度がはやまっている。

石川    「(モノローグ)いつだってそうなんだ。オレだけ何処か遠くから見ているんだ。三人妙に絡み合って、連動した機械みたいだ。どんな形かしら。エッシャーのだまし絵みたいかな。ブカロがその上をそろそろと歩いている。壊さないように。慎重に。そうしいつも正しいバランスを保つ位置にどっしりと収まる…」

♯ イメージ

エッシャーの絵のような、高低のわからない階段がある建物。        おのおのばらばらの場所にいる、かほる・悟・こずえ。
その中をそろそろと歩いているブカロ。

♯ 帰り道

自転車で走る石川。

石川    「(モノローグ)詩人?あれはかほるの気紛れ。長く続くごっこ遊び」

♯ フラッシュ

かほる。

かほる   「身を投じないの。どんなに思いが強くても。悲しくても。巻き込まれたらもうおしまい。詩人じゃない」

 # 両家の間の砂利道

自転車で走る石川。
気がつくと目の前にかほる。ロングスカート。
俯いて走っていた石川は視線を上げるようにして気づく。

かほる   「よお」
石川    「(ぼんやり)」
かほる   「期末テストは終ったかい」
石川    「水・木・金」
かほる   「子どもたちのテストも金曜日にはいっせいに終わるなあ。輪唱みたい」
石川    「(大きく息をつく)」
かほる   「日曜日空いてる?」
石川    「(顔を上げてかほるを見る)」


♯ 甲野家・庭先(数日後・日曜)

バスケットにすっぽり納まっているブカロ。釜の中の食パンの様。        その前にしゃがんでいる石川。

石川    「(ブカロを見乍ら首をかしげている)」

ベランダからこずえが出てきて隣にしゃがむ。

こずえ   「(一緒に見ている)」
石川    「(ブカロを見乍ら)で、結局今日はなんなんだ」
こずえ   「三月は詩人の命日があるのよ」
石川    「(ちょっと考えて)五月じゃなかったっけ」
こずえ   「三月だよ」
石川    「五月の風をゼリーにしてって云ってなかったっけ」
こずえ   「あれはさ、お見舞いに来た人に何が欲しいかって聞かれて、五月の風をセリーにして持ってきてくださいって云ったの」
石川    「オレにはできないな」
こずえ   「そう?ケンちゃん、云いそうだよ」
石川    「(えって顔)」
こずえ   「すごく云いそう」

ベランダからかほる。

こずえ   「あっかほるちゃん。リード要るかな?ブー」
悟     「(腰に手をあてて)それは博士に失礼だろ」
こずえ   「あっ懐かしい呼び方。久し振りに聞いた」
悟     「(ブカロに)なあ、ブルカニロ」
こずえ   「うちの本には出てこないから、かほるちゃんと顔突っつき合わせて悟ちゃんの本読んだわ」
悟     「答え合わせみたいだったな。(急に・石川に)あとさ、詩人が第二段階に入った記念だって」
石川    「(えって顔)」
こずえ   「まず自覚から始まるんだって」
石川    「(憮然として)次に来るのは?」
かほる   「葛藤」
悟      「苦悩じゃなかったっけ」
石川    「(モノローグ)冗談だろ」

♯ 川沿の道 

前方に土手。北橋中学も見える。
かほると悟。

かほる   「川の多い町だよね」
悟     「(黙って歩いている)」
かほる   「電車の窓からいつも北橋の川原見てるわ。でもこうして来るのは久し振り」
悟     「(黙って歩いている)」
かほる   「ホームルーム。みんなで土手に腰掛けて日向ぼっこしたわ」  悟     「何かにかこつけて川に近づこうとするんだよな」
かほる   「(テンションを上げて)あっ知ってる?沿線を北上するとまた、大きな川があってね。そこにはポピーが群生してる。オハナバタケだよ。これぞ」
悟     「ああ」
かほる   「行ってみたいのよ」
悟     「行けばいいじゃん」
かほる   「(テンション下がる)うん」
悟     「(モノローグ)行かないのね」
かほる   「(沈黙)」
悟     「死なないんだったら、いくら悩んでもいいや」
かほる   「(反応して)死なないわ」
悟     「(あっそう)」
かほる   「私が死んだら、悟ちゃん、思い出すわ。この土手も。陽射しも。春になると思い出すわ。デニムの上着も。申し訳ないわ」
悟     「(黙って歩いている)」
かほる   「ああ、でもそれも悪くないかも」
悟     「オレ、誰か他の人のために悩も。ボロボロになろ。詩人じゃないから」

♯ 川沿の道 

かほると悟より少し前方を歩く、石川とこずえ。
石川の手にはブカロのバスケット。
後方からかほるの笑い声。

こずえ   「ほんとはとても緊急の召集だったの」
石川    「(えって顔)」
こずえ   「詩人の命日はあとからついてきたの。まあ、お導きってことにしとくけど」
石川    「(きょとんとした顔)」
こずえ   「かほるちゃん、なんかあせっちゃったんだって。こないだ。ケンちゃん見て」
石川    「(きょとんとした顔)」
こずえ   「私もなんか変って思ってたなあ。悟ちゃんもきっとそうよ。かほるちゃんは最後のトリデ。あの人自分のことで頭いっぱいだからさあ」  石川    「詩人失格か」
こずえ   「それは違う」
石川    「(きょとんとした顔)」
こずえ   「ケンちゃんは詩人なの」
石川    「(きょとんとした顔)」
こずえ   「かほるちゃんはたまたま気づいただけ」
石川    「(きょとんとした顔)」  
こずえ   「詩人は詩人として生まれてくる。そうして詩人として生きる。あれ、真実よ。悟ちゃんも私も信じてるのよ。ケンちゃんは宿命背負ってるの。失墜なんてさせたげない。覚悟しなさい」
石川    「(唖然としている)」

石川のバスケットから、ブカロ滑り出る。
石川とこずえ、慌てて追いかける。

♯ 北橋中学横・土手

のんびりと腰掛けている四人。
悟は寝ころがっている。

かほる   「(ナレーション)陽は キラキラと/あちらの方で 光ってゐた/何か たのしくて 心 は/陽気に ざわめいていた」
悟     「(ナレーション)超えて あなたが 行かれた/あちらの方で 陽は キラキラと/光ってゐた……何か かなしくて/空はしんと澄んでゐた どぎつく」
こずえ   「(ナレーション)黒い花を摘んで 花束をつくる/あのならはしよりも 心になく/美しい高さに 微笑を/吹きながせ!」
石川    「(ナレーション)陽は キラキラと/あちらの方で 手のつけやうもなく/光ってゐる だれかれが 騒いでゐるのが/もう意味もないやうだ」
こずえ   「(ナレーション)どぎつく 空は 澄んでいる/声もなく/炎のやうに/真昼が あちらへ 絶えて行く」
悟  「(ナレーション)超えて あなたが 行かれた/あちらの方で…… 滅んだ 星が/会釈して 微笑を 空に/吹きながす 祭りのやうに」
かほる   「(ナレーション)未知の野を 黒い百合でみたすがいい/果たされ…」

♯ 北橋中学横・土手

土手の上の四人。
かほるは詩集が手にして読んでいるところ。

こずえ   「白い百合だよ、かほるちゃん」
かほる   「あれ、そうだっけ」
悟     「見てないのか。(独り言のように)すごいな」
石川    「最初が黒い花だもんな。これ、なんか意味あるの」
かほる   「わかんない」

かほる、立ち上がる。ちょっと開き直っている?

かほる   「未知の野を 白い百合でみたすがいい/果たされずに過ぎた約束が もう充されやうもない/わすれるがいい 海の上の さざなみが/生まれては また 消えるほどに!」

♯ 北橋中学・土手

石川とこずえ。
学校に近づいて、日曜日の中学生を見ている。
かほると悟はフェンスの方を歩いているのが見える。

こずえ   「オレンジ、まだある?」
石川    「ああっオレ、集めてるんだ。オレンジ」

♯ フラッシュ

こずえが渡したスケッチブックの切れはし。
そこに石川が鉛筆であれこれ落書きしている。    

♯ 北橋中学・土手

続き。

石川    「デイジー。ポピー。百日草。悟ちゃんのぴかぴかのモカシン…」
こずえ   「(聞いている)」
石川    「何か入れようとしても入りたがらないものとかあったりするんだけど。何でかなあ。なんでブカロなんかすんなり入るんだろ」
こずえ   「ちゃんと、分別してあげてね」
石川    「(はい)」
こずえ   「こないだの答まちがってたから」
石川    「(えって顔)」
こずえ   「ちゃんと教えとくから」
石川    「(きょとんとした顔)」

こずえ、後向きに歩き出す。

こずえ   「第一群、美しくて切ないオレンジ色。第二群、楽しくてうきうきするオレンジ色。第三群、私を幸せな気持にしてくれるオレンジ色。いつも」

こずえ、全開の笑顔を見せてから、くるりと背を向けて土手を降りていく。石川、呆然とした顔で立っている。
気がつけば、こずえは川原の近く。
かほると悟もこずえの近くまで降りて来ている。 
石川、慌てて、でもゆっくりと、土手を降り始める。
見上げているブカロ。      

♯ 北橋中学・二年三組(朝)

石川と三上。
石川、三上に紙片を渡している。

石川    「締切ぎりぎりだな」
三上    「だいたいそうだよ」

石川、他の男子生徒に呼ばれてそちらの方へ走っていく。
三上、手元の紙片を見る。

三上    「(モノローグ)選ばれし人の、最初の編纂に携わった人物となるのか…」

 ♪【The東西南北・Hey My Little MAMA】

(三上(たち)・藤部(たち)・石川(たち)の近況の光景)        (春休み・三上を訪ねる藤部の様子)


♯ 図書館

本棚の前に立つ女性。首から下しか見えない。
一冊の本を抜き出す。
タイトル『石川賢人撰集・第五巻・雑纂』
頁をめくる。

『一九七七年三月。北橋中学クラス文集』より

春はきた くりかえすのではなく 新しく
今はそうだ いつまで?
それはどんなものなのかわからないってことなんだけど           キミが笑えば
たいていのことはうまくいっているしるしだろう            

 ♪【とんぼ・スクリーン】 
   ~エンディング 




セットリスト 


引用一覧です。

楽曲
♪ → がっつり引用
♫ → ふんわり引用
文献
☆ → がっつり引用
★ → ふんわり引用


一、雨の月曜ジョッキー

☆【虞美人草/夏目漱石】
★【トカトントン/太宰治】
♪【雨降り/ふきのとう】
(作詞)山木康世/(作曲)山木康世/(所収)『ふきのとう』1974
♫【ひなげし/とんぼちゃん】
(作詞)中山恵子(作曲)市川善光(所収)(シングル『奥入瀬川』1976)
♪【アビーロードの街/かぐや姫】
(作詞)伊勢正三/(作曲)南こうせつ/(所収)『かぐや姫さあど』1973(シングル『僕の胸でおやすみ』1973)
♫【銀の指輪/チューリップ】
(作詞)財津和夫/(作曲)財津和夫/(所収)(シングル1974)
♫【風車/チューリップ】
(作詞)財津和夫/(作曲)財津和夫/(所収)『君のために生まれかわろう』1972
♫【青春の影/チューリップ】
(作詞)財津和夫/(作曲)財津和夫/(所収)『TAKE OFF(離陸)』1974(シングル1974)
♪【雨の降る日に/オフコース】
(作詞)小田和正/(作曲)小田和正/(所収)『ワインの匂い』1975
♪【雨は似合わない/NSP(ニューサディスティックピンク)】
(作詞)天野滋/(作曲)天野滋/(所収)『おいろなおし』1975(シングル1974)
♪【FUN/井上陽水】
(作詞)井上陽水/(作曲)井上陽水/(所収)『氷の世界』1973
♪【生活/とんぼ(とんぼちゃん)】 
(作詞)伊藤豊昇/(作曲)市川善光/(所収)『貝がらの秘密』1974(シングル『貝がらの秘密』1974)


二、トーベくん、走る

☆【楽しいムーミン一家/トーベ・ヤンソン・山室静(訳)】
♪【おさびし山のうた/西本裕行(スナフキン)】
(作詞)井上ひさし/(作曲)宇野誠一郎
♪【十二月の雨/荒井由実】
(作詞)荒井由実/(作曲)荒井由実/(所収)『MISSLIM』1974(シングル1974)
♪【ささやかなこの人生/風】
(作詞)伊勢正三/(作曲)伊勢正三/(所収)『Old Calendar~古暦~』1979(ベスト盤)(シングル1976)
♫【青い空はいらない/がむがむ】
(作詞)財津和夫/(作曲)財津和夫/(所収)『緑の世界 がむがむファースト』2015盤(シングル1975)
♫【卒業/がむがむ】
(作詞)財津和夫/(作曲)財津和夫/(所収)『緑の世界 がむがむファースト』2015盤(シングル1976)
♪【眼をとじて/かぐや姫】 
(作詞)山田つぐと/(作曲)山田つぐと/(所収)『かぐや姫LIVE』1974『かぐや姫フォーエバー』1975
♪【放心/ちゃんちゃこ】(作詞)北方義朗/(作曲)北方義朗/(所収)『あの頃にかえりたい』1975


三、ミューズの加護 

☆【みまかれる美しきひとに/立原道造】
☆【みどりのゆび/モーリス・ドリュオン・安東次男(訳)】
☆【マチス/レイチェル・バーンズ(編)・宮下規久朗(訳)】
☆【魂を鎮める歌/立原道造】
★【猫/萩原朔太郎】
★【銀河鉄道の夜/宮沢賢治】
 ♪【内心、Thank You/THE東西南北】
 (作詞)松本隆/(作曲)久保田洋司/(所収)『飛行少年』1986(シングル1986)
 ♪【Hey My Little MAMA/THE東西南北】
 (作詞)松本隆/(作曲)NOBODY/(所収)『飛行少年』1986
 ♪【スクリーン/とんぼ】 
 (作詞)伊藤豊昇/(作曲)伊藤豊昇/(所収)『よろしくサヨナラ』1982


『おさびし山のうた』

雨に濡れたつ おさびし山よ/我に語れ 君の涙のその涙の訳を
雪降り積む おさびし山よ/我に語れ 君の強さのその訳を
夕日に浮かぶ おさびし山よ/我に語れ 君の笑顔のその訳を






        

 


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