★001.1 墨子「親士」つづき
前回とりあえず現代語訳だけをアップしたのは
いきなり大量にあげても読みづらいかなと思って
今回コメントなどを書きます
「親士」というのが、おそらく現存してる墨子テキストの
いちばん初めの篇になるのかなと思います
順番は大事かなと
しかし長い。1つの篇の文章量が多い
きちんと訳すと見たところ前回の量の4~5倍な感じ
孫子や老子のように短いと扱いやすいけど
墨子はそうではないらしい
まったく先読みもせずに、本当に初めて読んでいるので
そんなことも初めて知った
今後1篇の長さがどうなっていくのかも不明
短ければ、原文か書き下し文と現代語訳というのが
いちばんありそうな体裁ですが
あまりにも長くなりすぎて、楽しく読めなそうなので
勝手な訳し方はしていないつもりだけど
思い切って要約し、取捨選択し、あるいは補って
ウルトラ現代語訳をしていこうと思います
あまり要点だけに短く訳してしまうと
読み物としての雰囲気や面白さが伝わらないので
長すぎず短すぎないあたりを目指します
今回は第1篇「親士」ですが
このような篇が全部で53篇あるそうなので
#053で終わる予定ですが未定です
必要に応じて適宜変更するかもしれません
さて「親士」ですが、士というのは士人や賢人ということで
才能のある人材と親しくするといった要点だと思います
まず驚いたのは
古代の堯舜などを理想化する考え方が儒家と同じな点です
ちょっと話がそれますが
それぞれの国や地域には、ある共通した考え方があるもので
例えばインドでは古代より、バラモン教・仏教・ジャイナ教・
ヒンズー教のようにいろいろ変化してきたように見えて
その内容には、輪廻転生を信じるとか、殺生を避けるとか
(ちなみにそれが現代の西欧由来のベジタリアンの発祥だとか)
象の神様みたいなのは昔からずっといるしとか
共通点は多いというか、別の地域の人から見ると
ほぼ同じに見えて区別がつかないことも多いと思います
日本の仏教に少し詳しい人なら
飛鳥時代の奈良仏教から、天台宗・真言密教・禅宗ときて
堂々と妻帯を公言した浄土真宗など、大きく異なると感じますが
外国から見るとたぶんあまり区別はつかないかも
そういうのと似て、古代中国においても
墨子の今回の原文テキストのために購入した本の序章に
墨家は儒家に対抗する側面が強くあることも初めて知りましたが
でもやはり堯舜などを理想とする点でまったく同じなのが
インドの輪廻転生を前提とする諸宗と重なります
過去の理想化によって現代に警鐘を鳴らしただけなのが
いつしか昔は良かったから、先例主義となり、改革しなくなる病という
近代化に失敗した清王朝、なかなか変わらない現代日本という
東アジアの悪い点につながていったのは後の歴史ですが
こういうところに中国的地域性の考え方の共通があるのかもしれないと
まずさっそく第1篇から思ったのが意外な発見でした
そして「民を用いた」という表現が急に出てきますが
前後に詳しく関連するものが見当たらず
今後どこかで説明されるのか、個人的に気にしています
かつて老子を読んだときにも思いましたが
老子といえば神仙思想のイメージがあり
現実を離れて隠遁するというのに
なぜか国をどう君主が治めるかという内容がとても多く
不思議な気がしていましたが
あれからいろんなことを考え、そして今回墨子を読み始めてみて
なんだか納得した気がします
それはやはりさっきの地域に共通した考え方というのがひとつ
中国の思想や宗教(古代では区別はないし、あくまで近代の概念)は
国を治めることを共通した関心とし
それは思想や宗教や哲学が、多くどのように人間の存在を理解し
どのように生きていくことが良いことにつながるのかを探求した点で
国を治めることが中国においてはまさに幸福論の中核なのだと思います
(ちなみに隠遁するのは後代に発展したイメージだと思います)
古代ギリシャでもプラトンなどが、立派な君主制を理想としたように
古代中国でも立派な君主が多くの賢人の意見を容れることが大事だと
特段かわったことを言っているわけではないように見えますし
なんならこの篇の最後のほうでは
現代でいうところの多様性をうたうような
実に現代の東アジアに足りないもので面白いなと思いました
最後に、このnoteの使い方がぜんぜん分かってないので
今のような投稿の仕方で合っているのか
不都合があるようでしたら改善いたします
では次回は第2篇「修身」です