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【夏休み企画】歴史の遺構に行こう!パート1:お城編

 みなさん、こんにちは、LITのノスケです。いや~最近暑いですね~、中学生、高校生の方は夏休みに入り、社会人の方々は日々の暑さに耐えながら仕事をしている日々だと思います。
 ところで、皆さんの中で、夏の間に旅行するという方もいらっしゃると思います。旅行といえば、遊園地などが有名ですが、私としては、普段の生活ではあまり触れない歴史の遺構にぜひ触れていただきたい!と思います。そのため、このシリーズによって皆さんが興味を持ち、現地に足を運んでもらえるように魅力を語っていきます。

もし、前回の記事をご覧になってなられていない方は、こちらからお読みください!

 また、夏休み企画最初から読みたいよという方は、こちらからお読みください!

それでは早速見ていきましょう!

今回の遺構は鶴ヶ城


鶴ヶ城*ノスケ本人(素人)が取ったものなのでブレ等はご容赦ください

 下調べ 鶴ヶ城とは?

 ここでは鶴ヶ城がどういった城だったのかについて話していきます。

至徳元年(1384)に葦名直盛が築いた東黒川館を起源とし、文禄2年(1593)に蒲生氏郷が東日本で初の本格的な天守閣を建ててと命名しました。慶応4年(1868)の戊辰戦争では新政府軍の一か月に及ぶ猛攻に耐え、難攻不落の名城として知られるようになりました。明治7年(1874)までに天守閣をはじめとするすべての建物が取り壊されましたが、昭和40年(1965)に天守閣が再建され、平成に入り茶室や隅櫓も復元されました。平成23年(2011)には、屋根瓦が幕末当時の赤瓦にふき替えられました。

出典 一般財団法人会津若松観光ビューロー
鶴ヶ城(会津若松城)トップページ
鶴ヶ城の沿革

鶴ヶ城のご案内 | 一般財団法人 会津若松観光ビューロー (tsurugajo.com)

 私なりに簡単にまとめると、

・1384年に葦名氏が鶴ヶ城のもととなるものを作った
・1593年に蒲生氏が鶴ヶ城を作った
・1868年の戊辰戦争では新政府軍の猛攻に一か月間耐え、難攻不落の名城と
  して知られた

 みたいな感じでしょうか。

 私は、鶴ヶ城のホームページを見て、鶴ヶ城を語るうえで、もととなるものが作られたことと、城が作られたことと同じくらい戊辰戦争が重要なのではないかと考えました。そのため、鶴ヶ城に行く前に戊辰戦争についても振り返ることにしました。

戊辰戦争

 戊辰戦争は幕府側の藩と新政府の戦争でした。会津藩は幕府側だったので、新政府が「われれらに従えー」と軍を引き連れてきました。その戦いの中で、白虎隊の自決やNHK大河ドラマの『八重の桜』で有名になった新島八重の活躍など様々なことがありましたが、戦いが始まって約1か月後、これ以上戦えないと判断した当時の藩主が降伏し、会津藩と新政府の戦いは終戦しました。

移動と到着

 高速バスで会津若松駅に到着し、徒歩で鶴ヶ城まで向かいます。
駅から20分ほど歩くと見えてきました!


鶴ヶ城

鶴ヶ城の中

 ここでは鶴ヶ城の中はどのようになっていたのかを話していきます。

 

図1

 鶴ヶ城は図のように下から一層、二層、三層、四層、五層(天守閣)となっていました。一層では日本刀などが展示されていて、二層では会津藩にかかわる人物ゆかりのものが展示されていました。また、三層、四層は会津藩の歴史と、会津藩にかかわってきた人物が何をしたのかなどが掲示されていました。特に、私は一層、二層が面白いと思ったので詳しく話していきます。

・1層:日本刀などの展示

 1層では日本刀、なぎなた、仕込み銃などが展示されていました。なんと、1層は写真撮影が禁止されていました。(ショックです…)
 写真を見せることが残念ですが、私が実際に見て面白いと思ったことをここで話します。私が面白いと感じたのは、薙刀(なぎなた)の刀身(刃の部分)の長さと仕込み銃についてです。
 まず、薙刀の刀身についてです。皆さんは薙刀と日本刀どちらの刀身が長いと思いますか?鶴ヶ城に行く前の私は漫画やアニメでみた薙刀のイメージから薙刀の刀身は日本刀の1.5~2倍はあるのではないかと思っていました。しかし実際に見てみると、日本刀の刀身と同じくらいの長さで、最初のイメージとかけ離れすぎていてとてもびっくりしました。
 つぎに、仕込み銃についてです。仕込み刀というのは聞いたことがあったのですが、仕込み銃というのは初めて見ました。仕込み刀とは刀を刀でないものなどに偽装し、刀だとばれないようにしたものです。ワンピースのブルックが使っている杖も仕込み刀の一つです。今回、鶴ヶ城で私が見たのはこの仕込み刀の銃版です。この仕込み銃は短刀に偽装し、この距離では届かないだろうと油断した相手を銃で狙うというものです。(写真を見ながら語りたかった…)

・2層:会津藩の藩主たちの貴重品

  次に階段を上がり2階に進みました。ここからは写真撮影が許可され、テンションが上がっていると、驚くべきものを見つけました。それがこちらです。


伊達政宗の兜(レプリカ)

 皆さんも、アニメやゲームで一度はこの兜を見たことはありませんか?
 そう、これはあの「独眼竜」伊達政宗の兜です。(レプリカですが…)伊達政宗は宮城の人というイメージを持っている方もいらっしゃるとは思いますが、政宗は戦いによって福島も手中に収めていたんですね。そのため、兜が展示されていたのだと思いました。

 伊達家の他にも、かつてこの土地を統治していた大名の兜が飾られていました。私はその中で蒲生氏の兜が二つの角が頭から生えているみたいでかわいらしくて好きでした。

蒲生氏の兜(レプリカ)

 また、こんなものもありました。


松平容保の写真

 皆さんも教科書または資料集などで一度は見たことがあると思います。松平容保は会津藩最後の藩主でありながら、京都の治安を守る任務を与えられていた人物でした。そのため、幕末の歴史の中で重要な出来事によくかかわってきます。そんな人の写真を見られるとは思っていなかったのでとてもワクワクしました!

・天守閣からの景色

 最後に、天守閣からの景色が素晴らしかったので載せておきます。

天守閣からの景色

まとめ

 今回はお読みいただきありがとうございました。
今回は「鶴ヶ城」について熱く語っていきました。鶴ヶ城では、甲冑を着て写真を撮影するサービスや、鶴ヶ城の茶園でお茶が飲めるサービスなどがあり。歴史に興味のある人はもちろん、歴史に興味のない人でも歴史に興味を持つきっかけになるので、ぜひ、この夏に鶴ヶ城に行ってみてはどうでしょうか?
 それでは、夏休み企画第4弾をお楽しみに!!

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