裸の王様の娘(5)
ケビンの話を聞いてから、私の頭にはいつも五重の塔があった。その塔を見たくて見たくてたまらなかった。この5つの層はそれぞれ「earth(地)、water(水)、fire(火)、wind(風)、sky(空)」を意味することも私を興奮させた。Japónハポンには、Tojiの他にNikko Tosho gu という同じ五重の塔があって、調べると
こちらの心柱は上から吊るされており、浮いている状態で保たれてると知った。心柱はもはや「象徴」に近い存在であり、それで絶妙なバランスを取っている。
父不在の今、いかに若くとも私は政に関わざるを得ない。お飾りでいいと思っていたが、この頃の私は事あるごとに、この「五重の塔」の概念を周囲に必死で説明しながら、関わった。取り憑かれていた、と言ってもいい。理解を示す者も、示さぬ者も当然いたが、ケビンを通して感じた父の感覚を周囲に伝えたくて、しょうがなかった。
私の扉の1つが開いた気がした。
無機質にただそこに「有る」存在に、扉の奥から水が溢れ出し、体全体の細胞の隅から隅まで潤い、「生きている」ことを実感したかのようだった。ケビンとの魂の交じり合いの時だけだったこの生きている感覚が、日常生活にも落とし込まれた。楽しかった。自分では気がつかなかったが、私は真面目な人間ではなく、父に似て、楽しむことが好きな人間だったことに気がついた。
「人生ゲーム」なるボードゲームをケビンから聞き、早速異国から取り寄せた。数回、その通りにケビンとやってみたが、「もっとこうした方が面白いよね」と、マス目やカードの内容を書き換えた。暇さえあれば、近しい人達を呼び、遊びに戯れた。自分が最終的にプラスになりつつ、誰かの支援等をしながら、自分を含めた全体でポイントをあげることが「本当の勝ち」と独自のルールを作った。自己申告する者もいたし、一銭もなくなったのに、かつて助けた人から支援を受けて勝利を得たものもいた。
真面目でありながら、不真面目に。
それはどこか、セックスに通じるものがあった。セックスなんて、所詮は棒の出し入れだ。そこに何を感じるかは、個々の感性による。くだらないことで大笑いすることと、この国の行く末を朝まで語り合うことは、実は同じところに向かっていることが分かる「感性」。お酒の味もこの頃覚えた。
幸運なことに父の事件後、私の周りには柔軟な思考を持つ者が集まってきた。同時に、伝統や規律を守る者もいて、全体のバランスが丁度よく、ゆらゆらと揺れ動きながら、決して倒れることのない五重の塔を「中心で体感する」かのようだった。
自分の若さが功を奏した面はある。どのような立場の者でも、まだまだ幼い私に意見をしやすかった。無論、それは私にも好都合で、疑問に思うことは素直になんでも言えた。ケビンとケビンから勧められた本から様々な世界を学んできたことで、「無知な王女」に成り下がらなかったのも幸運だった。「アン様に見つめられながら質問されると、自分を見透かされるような気がします」と、よく言われた。何より決断に迷ったら、思考を研ぎ澄まし、「五重の塔」を頭の中にイメージすることで、選択すべきことがわかった気がした。父の不可解な行動は、結果的に父が望んでいた柔軟な世界をもたらしたように感じた。
季節は移り、窓の外は白銀の世界が何処までも続く。
様々な人とどれほど交流しても、帰る場所はケビンの胸だった。赤々と燃え上がる暖炉のように、私はいつもケビンを激しく求めた。窓に両手をつき、後ろから激しくピストン運動をされると、お互いの熱量と吐息で、みるみる窓が真っ白になり、結露をし始めた。雫に触ると、雫はビクンとするかのように形を変え、下に流れ落ちる様が愛おしく、何度も触ったあと、私は濡れた指をそっと舐めた。その指を
ケビンの口に入れると、電流が走るような心地よい刺激を感じる。水は電気を流さない。ただ、何らかの電解質が含まれると電気を通す、と何かで読んだ。「愛してる」といった砂糖のような甘いものではない。わかる人にしかわからない微量の何か。そう思うと、水滴さえも何か特別なものに思える。窓ガラスに映るケビンの筋肉質な胸板から、大粒の汗が滴り落ちた。私は小さな悲鳴をあげて果てた。
ケビンが達した後、オレンジ色のウバ紅茶に、ブランデーを数滴垂らしながら一緒に飲む。ミルクより、艶めかしいブドウの甘さを持つブランデーを入れるのが最近のお気に入りだ。お酒を飲まないケビンは、ブランデーなしのストレートを。猫舌だといい、「ありがとう」とニッコリ微笑んだ後、しばらく経ってから一口飲んで、「美味しいね」といつも言う。後ろからケビンに包まれる体勢で飲むウバは、天上の飲み物のような気がした。
いつも冷静沈着なケビンは少し驚いた様子で、カップをソーサーの上に戻した。