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歳を取ると現代史にリアリティ ~当たり前過ぎて意識しなくなっていること

 平成時代の日米通貨の相対的価値の変遷を、現代史として学んでみました。海外畑の現役バリバリの時代を、現代史としてはこう扱ったているのだと、リアリティを持って理解できました。当たり前ですが、思いっきり生きて歳を取るというのは、実に知的に楽しいものです。

 学生時代に歴史を学んでいたときは、全てが昔ばなしの延長でした。勿論その年齢なりに最大限想像力を働かせて学ぶのですが、今一つでした。

 実に知的に楽しいと感じた例をお一つ。

 以下の書籍は、為替という切り口での日米の歴史のリファレンスとして面白く読ませて頂きました。

 

例)1995年 平成7年 前半

【自分史】
 構造素材·電子部品の研究職、海外での共同開発職からその技術移転と量産工場立ち上げをし、満を持して前年に事業企画にプロモートしました。経験積みなさいということで、電子部品分野の渉外職を経て、電子部品(特に半導体)輸出のSales&Marketing職に就いた年でした。いきなりの20円程度の円高で1ドル100円から79円まで行きました。20%です。強烈でした。契約書の想定為替範囲を超え、北米向けの全ての契約の為替交渉が始まり、その一部を担当しました。しかも半導体不足でした。円建て換算で高値で売りたいというジレンマにもがき苦しむという洗礼を受けていました。

【現代史】
 阪神淡路大震災で実需が増えると見込んで円高になりました。その後政府カ為替介入するも、効果は一時的に円安になるに留まりました。直ぐに米国経済の悪化からドル安(ドルが価値が下がった)に戻りました。結果円高になり、1ドル79円まで行きました。

ということで、政府の為替相場への介入も大きな経済のファンダメンタルズには抗しきれないということ、その結果として私企業内ではどんなことが起こるかを、企業内(From Inside)から実体験できました。

 最高に楽しかった。

 そもそも就職時に私企業を選んだのは、例えば一票ではなく、お金というパラメータで社会貢献したいと考えたからです。この年に初めて、10年間研究開発で製品を深く理解した後、実ビジネスデビューできました。

 久し振りにその時のワクワク感を思い出しました。

 人生楽しい。

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