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人はなぜ死を選ぶのか…Why do people choose to die?

いきなり暗いタイトルですみません^^;
しかもなんでいきなり英訳タイトルまでくっつけたかというと、「DeepL」という翻訳アプリの性能が良すぎて、感動して昨日プロ版をDLしたので、なんでも変換して遊ぶクセが……(こんな中学生レベルの英語にアプリ使うなって話ですが笑)
さて、本題。
日本って、めちゃくちゃ自殺率が高い、しかも若者の自殺率が異様なまでに高いと思いませんか?
数年前から断続的に続く芸能界のさまざまな「死」に関するニュースを見ても、親世代としてはなんだかやるせない思いがあります。
夏休みのさなかではありますが、ちょっと真剣に考えてみたくなりました。

鋭敏な感受性×社会的閉塞感が起こす不適合

日本の若い世代。
世紀末ーミレニアムー2000年代初頭にかけて生まれてきた子どもたちも、いまや二十歳前後です。
高齢化が爆進し、平均年齢がシニア世代になってしまった昨今、彼らは〈若者であるだけで既にマイノリティ〉と言われてしまうくらい社会的少数派なわけです。

私にも18歳の息子がいますか、まさに「ニュータイプだな!」と思うことばかり。
会話していても飽きることがないほどに、神秘的です笑。

そう、彼らを理解してあげようにも、生きやすい環境を整えるにも、そのシステム構築に関わる意思決定を持っているのは、遥か昔に青春時代を送った中高年以上の多数派。

社会全体として考えてみても、圧倒的に少数派である彼らにとって、居心地のいい社会やシステムになっているはずもありません。
さらに、広がる格差社会によって「親ガチャ」なる言葉まで生まれ、どの程度の世帯年収の家に生まれたかや親の肩書きで子どもたちの幸福指数が乱高下してしまうという風潮も。

その結果が、コレ…

10代〜40代未満の死因一位が「自殺」な日本。
アメリカの子どもたちの死因3位が「他殺」というもの怖すぎる…

現代の日本が陥っている硬直感・閉塞感は、若くなくとも感じているはずです。
生きづらいのも、”若いから”だけではないでしょう。
では、どうしてこんなにも多くの若い世代が「死」を選ぶのか。

自分で自分を死に至らしめることは、もっともつらい決断であるはずなのに、それすら「生きているつらさ」ほどではない、と感じさせてしまう。

そんなことを考えていた時にふと、マルクス・アウレリウスのこの言葉に目がとまりました。

しっかりするんだ、自分!
なんと恥ずべきことだ! 我が人生では肉体がまだ持ち堪えているというのに、魂のほうが先にくたばってしまうとは。

マルクス・アウレリウスの『自省録』6-29

魂のどうしようもない疲労感。
これが蓄積して、どうしようもなくなり、ついには魂が死んでしまった時…
肉体はピンピンしているのに、心は老人・老婆を通り越してしまったら。

まさに
『おまえはもう、死んでいる!』
といった状態に。

それなのに、水をも弾く若々しい肉体は憎らしいほどに生々しく「生きている」。
しかも、ちょっとやそっと時間を潰したくらいでは、まだまだ朽ち果てそうもない肉体。

瀕死の魂を救う⁉︎ ”ひきこもり”のススメ

魂の死んでしまった肉体を持て余し、うつろな生を生きる苦しさ。
これが、多くの若者を「死」の誘惑へと導く大きな要因になっているような気がします。

こうなったら、どうあっても「魂」が肉体より先に死ぬのを阻止しなければばりません。
でも、どうしたら肉体より先に魂がくたばろうとするのを阻止できるのか。

いろいろな方法を検討してみる価値がありそうですが、アウレリウスは、こうも書いています。

心の中に隠れ家をもて
ーなぜなら、いつでも好きなときに自分の世界にひきこもればいいからだ。
自分の心の中ほど静かで、面倒ごとから解放された場所はない。
自分の心の中を見つめたとき、たちまち心が完全に落ち着くようなよりどころをもっていればなおさらだ。心の落ち着きとは、心の秩序にほかならない。
いつも心の中に隠れ家をもち、自分を取り戻すのだ。

マルクス・アウレリウスの『自省録』4-03

こ、これは!
まさかの「ひきこもり」のススメ!
この古代ローマの時代に「ひきこもり」の効能を説くなんて、さすが過ぎます。

でもこれ、現代を生きる私たちにこそ必要な思考のエッセンスだと思いませんか。
老若男女問わずですが、どうにもみんな、”無理”をし過ぎている。

学校、会社、組織、そして忘れちゃいけないSNS。
こうしたソーシャルネットワークがあることで承認欲求が満たされる、なんとなく帰属意識を持てるがゆえに安心できる、ということもあるのかもしれません。
でも、それも諸刃の剣です。
魂を疲弊させ、ゆっくりと殺していくのもまた、こうした”社会”なのかもしれません。

全部が全部とはいいませんが、極度の精神疲労に達した時、いっとき、社会から断絶することも必要なケアだと感じます。

あなたの属する社会は、『命に変えても参加しなければいけない』ものかどうか。
今一度、冷静に考えてみることも必要なのではないでしょうか。

多くの人が、そんなに悲壮な想いで無理をしているわけではないかもしれません。
でも、心が疲弊するに従って判断力を失った状態では、”無理”に歯止めが効かなくなりがちなのも事実。

肉体より先に魂を殺さないためにできること

魂が疲れ果て、人生のどこかの予期せぬタイミングで、心の奥底に澱のように沈んでいた「もう生きていたくない、死にたい」そんな感情が舞い上がってしまう瞬間があるのなら……

人生をリセットしてしまう前に、全てを捨てるつもりでひきこもるのも、アリなのではないかと思っています。

「あれ、なんであの時あんなに悩んで追い詰められていたんだっけ?」

魂の休憩が完了する頃に、こう思えれば、きっともう大丈夫です!

疲れている人、限界を迎えそうな人。
もしもいらっしゃったら、とにかく進まないで、止まってみましょう!

人生の一時期、すっかり抜け殻みたいに休んだっていいんです。
楽しいことだけしましょう。

❤︎自分で自分を最大限に甘やかしてあげる。
❤︎甘美な時間を満喫することだけを使命に。

消えてしまったら、後からどうにもならないけれど、消えなければ、また作り直すことも、違う場所に組み立てることだってできます。

もしも、フワッとつらい気持ちが舞い上がることがある人は、思い出してみてください。
あなたの心が、少しでも軽やかになりますように…♡

ここまでお読みいただき、ありがとうございました♡
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櫻麻 莉子(Rico Sakuma)
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これ、エッセンシャル版なので読みやすいですよ♪
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