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私の便利帳

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私が影響を受けた、クリエイターさんのノートを、集めたマガジンです。どれも大切なのでまとめておきたくて作成しました。
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#人生

今、ひきこもっている方へ

ひきこもりの入り口私がひきこもりを経験したのは、両親の介護をきっかけに始まりました。両親には多額の借金があり、貯金もなく、自分たちの生活を維持することすらままならない状況でした。 その時期、私は人生を諦めていました。私の人生は両親と共に沈み、この人生は決して好転することはないと考えていました。就労をはじめ、入浴や着替えなど日常のあらゆる行動が無意味に感じられました。自宅前のコンビニへすら数年間行けなくなりました。 再起への葛藤周囲の人々はさまざまな再起の手段を勧めてきまし

生まれながらに恵まれていないなら、戦い方を覚えなければいけない

はろーこんばんわ。 世の中には ・ 生まれたときから多数派に属せる  恵まれた人   ・多数派に属せない、  少数派の人 この二種類の人がいます。 いわゆる普通の人というのは、 多数派に属せる恵まれた人です。 特に人生に疑問も持たずに、 哲学せず幸せに生きていける人たちでしょう。 ※勧められている道を順調に歩んでいけるので、 疑問を感じない わたしは今でも、 じぶんが少数派の方に 属していると思っていますが、 それでも元気に生きていけるのは ・戦い方を身に着け

『人生はゲームなのだろうか?』読んだよ

平尾昌宏『人生はゲームなのだろうか?』読みました。 最近読んだ『日本語からの哲学』がとても面白かったので、同著者の他の書籍も読みたくなったのです。「人生はゲームなのだろうか」という本書のテーマが興味深そうだったのでチョイス。 やー、期待に違わず大変面白い本でした。 人生を評して「神ゲー」だとか、「クソゲー」だとか、「無理ゲー」だとか、ゲームに例える言説はちょくちょく見かけますよね。あまり意識はしてないけれど、江草自身ももしかすると時々ゲームに例えてる可能性はありそうです

少しでも、誰かの記憶に残るなら。少しでも、生きた証になるのなら。

今まで色々な本を読んできたつもりではあります。幼い頃から図書館に通うのが好きで、今でこそ配信を見ることが主になって、紙の本を読むことは少なくなったけれど、それでもnoteも含めて字を読むことは好きです。 小説よりはノンフィクションが好き。伝記を読み漁った時代もあったくらい。私も小さい頃から人とは少し違う人生を歩んできた自負はあるので、いつか自分のことを本に出来たら、という思いはずっと抱いてきました。 その割には一度も何かに応募したことはなく、むしろ今回のようなお題について

人生において大切なのは「達成感」、お金ではない...

人生において、大切なことは「お金」ではなく、「達成感」だと私は思います。確かに、お金は人生を豊かにする要素の一つですが、それだけでは充実感や幸福を感じられないこともあります。達成感とは、目標を達成したときに感じる喜びや充実感であり、これこそが人生の真の価値を見出す鍵だと考えられます。 私は、人生で本当に何かを自分なりの尺度で達成したことがない人が多いのではないかと感じています。達成感を味わうことは、人生をより楽しく、充実したものにする重要な要素です。 達成感を得るための手

涙とともにパンを食べたことのある者でなければ、人生の本当の味はわからない。

最近、ゲーテの「若きウェルテルの悩み」を読んでいる。難しい。どうやらこの本をゲーテは25才で書き上げたようだ。のちに「ファウスト」を人生を懸けて書き上げたらしいが、書くことに人生を捧げた人、作家にしろ小説家にしろ本当に彼らには頭が下がる。 さてタイトルの言葉はそんなゲーテが言った言葉らしいがこの言葉は名言として現代まで残って伝わっている。 この言葉は解釈が難しい。そのままの意味で捉えるのであるならば、泣くほどの思いでご飯を食べた時、人は本当の人生の味を知るということになる

noteのサーバーって早くもそんなに圧迫されているの?って話

noteのフォロー数とフォロワー数の表示が最新50ぺ―ジのみに変更された問題で、運営側の意図はサーバー負荷軽減のためと推測していますが、早くもそんなにnoteのサーバーって圧迫されているのでしょうか? わたしはフォロー数とフォロワー数ともに3万人いますが、どちらも1,000人しかアクセスできないんです。 これまでどちらも全員分確認できましたが、他のSNSでは見たことのない変更がnoteで実施されました。 運営に聞いても理由は答えられないとだんまりです。 今回はnoteの

虚無な人生を変えるために手始めに出来る事(簡単なやつ)

今私は生活保護という福祉のお陰で生きられているが、やはりフラッシュバックと希死念慮などは無くならず、「死ぬまで人生このままなのかな…」みたいな虚無に陥ることがある。どうしてもある。あるものはある。 しかし一方で虚無は薄められるとも感じる。 その方法は、「ありがとう探しゲーム」の実践だ。これは一人で無料でできる。今すぐできる。感謝できることを見つけ出して、感謝するのである。ありがとう。 あなた、ありがとう、この記事にたどり着いてくれて。人生は、ほんの僅かな変化により、変化が

かつてロリコンだった俺たちへ

ロリコン――それは膾炙された定義でいえば小中学生くらいまでの女の子、もしくは容姿的に幼い女の子に性的興奮を覚える人間のことだ。 世間からは冷たい目を向けられ、病気だと蔑まれる存在。 男からすれば女は若けりゃ若いほどいい、というのが一般的ではあるものの、その“若さ”が一定の基準以下になると、倫理的な問題がつきつけられる。 倫理的ストッパーを突きつけられて尚、己の性癖に忠実であろうとするならば、成る程病とも呼ばれるだろう。 そんなロリコンも、完治……とはいかないまでもマシに

「理想的な人生」

自分の理想的な人生を考えてみた。 私にとって理想的な人生とは 何かを伝えることができる人生である。 もし健康的であったなら、大学の先生とか物書きでそれを題材に講演会を行えるような人生が理想的だった。 しかし、今そう言った方々と接する仕事をする中で思ったことがある。 それは常に人の目に触れて、大勢の前で話す人はエネルギーがいるということだ。 当たり前だけれども、当時はそれに気づかなかった。 1回ならいいけども、それが何回も、そして職業によっては毎日話す。 こうなる

「幸せのために何が必要なのか?」

最近ビルゲイツさんのある発言が注目を集めています。 15兆円の個人資産を築くに至ったけども、こんなことに多くの人生の時間を割くべきじゃなかった。もし、方向性を違えていたら、もっと社会のために、多くの困った人のために活かせた時間があると悔やむばかりです。 という言葉です。 世界でほぼトップに属する資産家、成功者からこのような発言が出てきたことに驚きを隠せませんし、やはり成功とは、幸せとは、画一的なものではないということがわかります。 さまざまなインタビューや過去の研究か

「なぜ努力する必要があるのか」の考え方が根本から変わったお話

先日、人生初の自己啓発本として『自分を育てる「働き方」ノート』を出版しました。帯にはでかでかと「自分の価値を上げるのは ”圧倒的努力” だけ」と書かれています。 本の中でも「努力せよ。さもないと成長できないぞ」「努力せよ。さもないと一流の職業人になれないぞ」「努力せよ。さもないと幸せな人生を歩めないぞ」と、自律・自責で努力し、自らの手で明るい未来を引き寄せることの重要性を説きました。 その文脈の中で、「なぜ努力する必要があるのか」「努力したって報われないじゃん」という声へ

逃走手記

求められていることを、やらないで自分を認識してきた。 みんなが進む方向に逆らうことで正しいとされる力から逃げるように生きてきた。 決してそれが正解とも思ってないが、自分の輪郭がボヤけるような気がして、この道を選んだ。 そんな風に小さな怠惰を積み重ねてきた。 特に何もせずに、世間を社に構えた目で見ている。 先延ばしのクセといつか自分には何かができると盲信していた。 この生活をはたから見たら、自由を謳歌しているように見えているのか、周りの友人達から羨ましいと言われた。

「ブルシット・ジョブ」についてチャットGPTと議論してみた

さっきChatGPTと30分くらい、あれこれ対話を重ねてたんだけど、軽くラリーしただけで、あっという間に合計1万字超のテクストが生成されてしまって、まずそのことに驚く。しかもすでにして、そこいらの学生よりずっと賢い。 正しい引用方法がイマイチ分からず、そうかといってスクショでまるごと抜粋して晒すのも、さすがに気が引ける。さて、この「対談」をどうしたらいいものやら。必要なことは、後日調べるとして、今日のところはあくまで「感想」を書いてみる。今回は「ブルシット・ジョブ」を議題に