見出し画像

生まれながらに恵まれていないなら、戦い方を覚えなければいけない

はろーこんばんわ。

世の中には

・ 生まれたときから多数派に属せる
 恵まれた人  

・多数派に属せない、
 少数派の人

この二種類の人がいます。

いわゆる普通の人というのは、
多数派に属せる恵まれた人です。

特に人生に疑問も持たずに、
哲学せず幸せに生きていける人たちでしょう。
※勧められている道を順調に歩んでいけるので、
疑問を感じない

わたしは今でも、
じぶんが少数派の方に
属していると思っていますが、
それでも元気に生きていけるのは

・戦い方を身に着けた結果、
 多数派に勝てるから


◆普通とは恵まれたモノである


人はみな、
自分は普通で取り柄がないとか
普通で面白くないとか
そういったことを平気で言います。

しかしマイノリティ、
少数派から見れば
普通であるということは
とても恵まれたものです。

・家庭環境に大きな問題がない

・多くの人たちと話が合う

この2つが満たされているだけで
価値観が歪まずに済み、
自分自身のことを疑ったり責めることなく
楽しい生活を過ごせるでしょう。

そういった観点で、
普通はとても恵まれています。

それらが満たされなければ

・世間から乖離した
    価値観を持つことになる

世間一般の価値観とは、
マジョリティ、
多数派の価値観です。

たくさんの人が共有できる
価値観というのが、
世間一般の価値観。

例えば

・結婚生活は幸せなものである

・恋愛は素晴らしいもの

・人と人は尊重をしあって生きている

・家族は暖かく、親は子供に優しい

しかしこれらの例は、
家庭環境に問題があったり
多くの人と話が合わなければ、
まったく実感ができるものではありません。

実感できなければ、
それらの価値観は受け入れられず
結果として世間自体に馴染めなくなるでしょう。

だってきれいごとであり、
嘘ばっかりの建前だと言うのが
簡単にわかってしまいますから。


◆相手を倒せなければ、自分が倒される


では世間一般と違う価値観で
行動をするとどうなるかというと

・その価値観を矯正しようとしてくる

実感を持てないのにも関わらず、
容赦なくそれを受け入れさせようとしてくる。

何を言ってるんだろう、
みたいに思っても
まったく情けなく押し付けられます。

自分が思っている、
持っている価値観を無理やり変えさせられることは
非常に苦痛です。

相手の行動を制限することは、
相手の体面を傷つけますから。

そういった時に、
自分の価値観を変えさせないように、
また行動を制限させないためには
相手を倒すしかありません。

その相手の論を崩したり、
相手よりも良い結果をだしたりと言ったように。

別に多数派の意見は、
どれもが正しいというわけではなく
むしろ経験則にだけ基づいていたりして、
間違っていることの方が多い。

大衆は別に賢くありませんから。

それに、
社会を維持するための価値観といった
側面もとても強いので
個人に対しては優しくありません。

ただ鵜呑みにしては、
ロボットにしかなれないでしょう。

けれども勝つためには、
相手を上回る必要がありますから
かなり努力をしなければ、
勝つことはできません。

それに、
もっとも重要なことは

・そもそも戦い方を知らなければ
 勝てるわけがない


◆人との戦いはスコアではなく、コミュニケーション


他人と戦うといっても、
ただなにかを上回っても
誰も特に尊敬してはくれません。

むしろ、
実際の能力よりも

・相手にどう強く見せるか
 それで相手が負けたように思えるか

これがもっとも重要です。

つまり、

・相手にどう見られるか

これがわからなければ、
戦いにすらなりません。

わたしのまわりに、
名のある大学を出た人は
それなりにいるのですが、
それでもコミュニケーション能力が低いと
容赦なく周りにボコボコにされています。

実際の頭の良さは置いといて、
賢そうに見られなければ
他人に舐めた態度を取られて
ひたすら馬鹿にされてしまう。

コミュニケーション能力が低ければ、
いくら能力が高くても
他人は言うことを聞いてくれません。

コミュニケーションが取れないのに、
誰かと戦いをするというのは
暴力が使えない現代においては

・ルールを知らないゲームで
 勝とうとするようなもの

人と人との戦い、
相手が押し付けてくるものを
跳ねのけたり、
相手に自分の言う事、
主張を受け入れさせるためには
言語、非言語問わず
コミュニケーション能力、
伝える力というのが重要になってきます。

それが戦いのルールであり、
もっとも比較されるものですから。

なぜなら自分の考えも、
自分の能力も
相手に伝わらなければなんの意味もないから。


◆他人を上回るための戦い方


ここまでを簡潔に言えば、

・人と人の戦いは
 コミュニケーションによって
 強さを競うもの

その強さはどういったものかというと

・資本の多寡

この資本とは

・世間、社会で評価をされ、
 価値があるとされるもの

見た目、希少さ、社会への貢献度。

そういったものが相手よりあるとなれば、
戦いには勝つことができます。

しかし勝ったところで、
そこで相手を不快にさせては
いけないような場所もありますし、
露骨にボコってばかりだと
周りの印象が良くないでしょう。

結局のところ、
自分が元気に生きていけるためには
周りから認められているという感覚、
居場所があるという感覚が
必要になってきますから。

なので、

・相手(特に周りの人)が
 自分に反感を持たないように
 相手に自分が上だと伝える必要がある

この場合、
最も簡単なのは

・その場所、社会から
 はみ出てるやつを倒す

いじめはいつまでもなくなりませんよね。
それは他人の有能感、
下がいるという事実、
居場所を作るために行われるから。

露骨なものは、
当然そこ以外の社会では受け入れられないので
正当性を持ってそれらは行われます。

・犯罪者やズルをした人を罵る

・失敗をした人をあざ笑う

・迷惑をかけた人を怒る

こういったことは、
やってもあまり咎められませんよね。

度が過ぎない限りは、
他人を傷つけることには変わりないのに
行っても良いとされています。

むしろ正義や美徳を謳う人ほど
これらを過激に行う傾向がある。

インターネットやニュース番組をみれば
それらが日常茶飯事として
行われていることを目にできるでしょう。

これらはマジョリティであれば
平然と行いますし、
マイノリティだとしても
自分がマジョリティ側であると、
思いたいからこそより一層過激に行います。

ある意味、
マジョリティに参画をできる
チャンスにもなっていますから。

しかしそんなことだけしても、
自分自身が認められるわけではないので
違うこともする必要があります。

それは

・自分の能力が発揮できる場所で戦う

もしくは

・ コミュニケーション能力を高める

上は技術職や、
Yotuber、アーティスト寄りの発想です。

多少変だとしても、
能力が高く貢献度が高ければ
誰も文句を言わないどころか
自分が得をするので歓迎します。

もう一つは、
そもそものコミュニケーション能力を
高めていくこと。

コミュニケーションの能力が高ければ、
相手を不快にさせず
むしら歓迎されるようになるので
価値観がどうであっても
居場所や必要とされてる感覚、
有能感は得られます。

しかしこのどちらもなければ、
価値観をマジョリティに完全に合わせない限り
ただ迫害をされるだけでしょう。

結局のところ、
生まれたときから恵まれた、
資本がある普通の人でもなければ
他人に価値があるように
能力を高めなければなりませんし、
それを伝えるための戦い方、
場所選びや伝え方を
工夫しなければなりません。

なんというか、
結局人生競争ではあるので
そういったことが自分からできなければ
どうしょうもない感じはあります。

それではまた。

この記事が参加している募集

最近の学び

眠れない夜に