今、ひきこもっている方へ
ひきこもりの入り口
私がひきこもりを経験したのは、両親の介護をきっかけに始まりました。両親には多額の借金があり、貯金もなく、自分たちの生活を維持することすらままならない状況でした。
その時期、私は人生を諦めていました。私の人生は両親と共に沈み、この人生は決して好転することはないと考えていました。就労をはじめ、入浴や着替えなど日常のあらゆる行動が無意味に感じられました。自宅前のコンビニへすら数年間行けなくなりました。
再起への葛藤
周囲の人々はさまざまな再起の手段を勧めてきましたが、生きる意欲を失っていた私には、どの提案も響きませんでした。
「どうせ死を待つだけの身なのだから、回復してどうなるのか」
「社会に出られたとしても、また苦しむだけ」
と考えていました。
ひきこもりの出口
しかし、私は回復しました。その過程は簡単ではなく、運の要素も大きかったと思います。家族が必死に支えてくれたのは、回復において非常に重要でした。
回復の手段を一言で説明することは難しいですが、一つだけ確かに言えることは、「ひきこもりから抜け出せてよかった」ということです。抜け出した先の世界は、以前恐れていたほど恐ろしいものではありませんでした。
ひきこもりから得たもの
ひきこもりの経験を通じて、人から忌み嫌われても命を奪われることはないと学びました。人はもっと自由に生きていいのだと知りました。
ひきこもりから回復してから、私は人を恐れることが少なくなりました。ひきこもる前は、常に他人の視線や言葉を気にして生きていましたが、それにも関わらずあまり好かれていないと感じていました。
今では、自分の心に正直に生きることができます。人に好かれるために生きることを手放すことができました。
ひきこもりの真の敵
私の経験から言えることは、「面倒くさい」という感覚が最大の敵です。面倒くさがっていると、できることまでできなくなってしまいます。そして、面倒くさがっている人を応援する人はいません。
反面、好きなことには没頭し、極めることができます。好きなことを見つける過程は「面倒くさい」かもしれません。しかし、好きなことを見つけ継続し、人に負けない知識や技術にまで昇華することができれば、それが生きる武器となり、自己評価を変えることができます。
真の自由
最後に、ひきこもりを経験して、私は真の自由を手に入れることができました。それは経済的な自由ではなく精神の自由です。ひきこもりを経験し、私の精神は誰からも縛られず、常に心の声に従って生きれるようになりました。
それは過度に人を恐れることがなくなったことに加え、人には負けないと思える「自分だけの武器」を磨き始めたからです。
もし、今ひきこもるあなたの体や心の苦しみが軽くなって「やるのが面倒」くらいまで回復したら、好きなことを探して挑戦してください。そして苦しくなったら、気力が回復するまでまたひきこもることも一つの選択です。そして再び、好きなことに挑戦してみてください。
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