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趣味、浜崎あゆみ。

趣味を聞かれると困る。だって、ずっと無趣味だと認識して生きてきたから。本を読むことと書くことが趣味じゃないのか?と聞かれると、即答がむつかしい。

もちろん読書も執筆も、嫌いだったらやらないだろうけれど、好きでたまらない夢中になっていること!という自覚はない。「息を吐くようにできること」であり、自分のバランスを安定させるための生きる知恵である。

知的好奇心を満たすために読書をし、止まらない思考を滞留しないために執筆する。このサイクルで自分が生きていることを実感し、毎日1歩でもどこかに向かって歩いていると自分を落ち着かせたいサイクルのようなもので。

趣味は心の支えのような、そこには本当に何の生産性もなくて、なんならお金をたくさん使ってでも惜しくない、そのためには他の苦労を買ってでもする何かだと認識している。

仕事の延長でゴルフやトレーニングをしている時は「趣味はゴルフと身体作りです!」と言っておくと話題には事欠かないから趣味風に装ったことはあるけれどここ半年以上は全くやってすらいない。これも必要に迫られていた、というだけだ。

最近「あなたの趣味は、浜崎あゆみでしょ。」と言われた。シンプルに、ああ、そうなのか、たしかに、と思った。

浜崎あゆみさんに対しての気持ちを表現するのがすごくむつかしい。わかりやすい推し活なのような、毎日曲を聴いて、彼女の情報を追いかけまくって、部屋にポスターがあって、車にロゴのシールが貼ってあるということは全くない。

そして、今これを読んでくださった人がイメージする浜崎あゆみさんも、きっとわたしの趣味ポイントへの理解とはまた違うだろうと思う。

浜崎あゆみさんの何に惹かれているか?といえば、シンプルに「存在」である。

もちろん、浜崎あゆみさんに対して、この曲が好き!とか、ビジュアルが好み、声や反応にキュンとくる、想いを綴る歌詞など、どこかの誰かが「ayuのここが好き~!」って話してきたとしたら、どのポイントでも全力で共感できる。でもわたしからはこの切り出しで浜崎あゆみさんを語ることはない。

Instagramでは度々浜崎あゆみさんという存在感を出している。楽曲を当てはめたり、歌詞を転記したりしている。だからおそらく、浜崎あゆみさんが好きなんだろうなぁ、という滲み出ているんだろうけれど、「浜崎あゆみさん大好き!!」のような表現や最新情報告知はしない。ただそっと要所要所で盛り込んでいくスタイルだ。

「趣味=浜崎あゆみ」の所以は、彼女の「哲学」にある。

彼女が日々生きていく事に対する人生哲学。

それは、彼女自身が書く歌詞で表現されていることだけではなくて。毎日毎日生きているその過程で、彼女が伝える言葉や意思表明や、誰をどう大切にするかの考え方に強い気持ちをもらっている。彼女のようでありたいと思う事はわたしを強くする。

ギャルたちを魅了してきた、その魂や根性や、バイタリティ。彼女の歌詞はわたしの生きる手引きのようなもので、彼女のデビューからずっと変わらず追い続けている。

彼女が駆け上がるストーリーと巻き起こる激動と共に同じ時代を生きてきた感覚がある。そして、彼女に対して誰が何と言おうとどうでもよかった。世間が、身近な人が彼女を否定することがあっても、わたしは全く動じなかった。そんなことはどうでも良い、彼女がすべてを許すことに向かう強さと、儚さのバランス、その哲学だけを信じていた。

楽曲のサウンドや歌詞、プロモーションビデオもアルバムのジャケットも全部とてもすばらしい。細部に渡って哲学が入り込んでいる。もちろんそれぞれの優秀な人たちが作り込んでいるんだろうけれど、彼女自身がそこに存在しているから成り立つ気配が圧倒的にある。

ちなみに、わたしは浜崎あゆみさんのライブに行ったことももちろんあるけれど、数回程度だ。私が子どもを産んでからは1度も行っていない。子どもに彼女の曲をわざわざ聴かせたこともない。さらに、わたし自身のキーが浜崎あゆみさん領域まで届かないから、カラオケでayuの楽曲を熱唱したこともない。ファンサください!という気持ちにも興味はない。

こうやって書くと、推し活とはやはり違うのではないかと。ただずっと存在を確認し、彼女の生み出す作品たちに想いを馳せることを趣味としているような。

わたしが時折、ある現象にたいして強い気持ちを持ち、言葉で表現しようと思った時には、必ず浜崎あゆみさんの歌詞が頭に浮かぶ。そこからただの引用にならないように、自分のことばを探して表現をつくっていくんだけれど、いつもすでに浜崎あゆみさんがことばにしてしまっているという状態であることは否めない。

いまこの瞬間、この歌詞が見事に表現している!と思う曲が20年前の曲である事も多々。こんな思考をあの時点でなさってるなんて、と拝みたくなる。ひたすらに尊い。

浜崎あゆみさんは「ayuはみんなで創ってる」と表現する。

つまり、ayuを創っている浜崎あゆみさんという存在がわたしの趣味である。ayuの世界観そのものと言うより、ayuを創るクリエイターであり、事業家としての浜崎あゆみさんの根幹にある哲学が趣味。

もしも、私に湯水のように湧き出る永遠のお金が約束されるとしたら、手放しで浜崎あゆみさんプロデュースのステージを永遠に世界遠征できるようにしたい。

そのステージを、たとえわたし自身が1度も見に行かなくても、そんなことはどうでもいい。

浜崎あゆみさんがayuを全うしながら、たくさんの人たちにエネルギーと強さを分け与え、儚さと孤独をやさしく包んでくれている状態をただずっと見ていたい。ただそれだけなのだ。

趣味、浜崎あゆみで間違いない。

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