見出し画像

「幸せな毎日は自分でつくり出せる」を実感した日

少し前の記事に書いたように、「感謝ワーク」をはじめてから相当気分が変わってきた。もちろん、良い方に。
このnoteマガジンのタイトルは「アメリカ軟禁生活サバイバル日記」だが、「感謝ワーク」を始めてからは「軟禁生活」ではなく「超ありがたい、優雅なモラトリアム生活💖」と感じている。つい最近まで、アメリカやパートナーに対して不満を感じまくり、監獄生活のように感じていたことを考えると、なんという大きな変化だろう。我ながら驚く。

まだ少し気分に波があるが、イメージとしては「中の上〜上」の幅を揺れている感じで、中とか中の下、ましてや下の下には落ちなくなった。
ちなみにこのnoteを始めた頃、約1ヶ月前までは下の下の下の下。ゲゲゲの鬼太郎、ではなく、鬱状態であった。
この1ヶ月弱の間にやったことと言えば、
このnoteを始めたこと。(誰かに認めてもらうためでも、褒めてもらうためでもなく、自分の癒しのために書く、というルールで。←これ相当重要ポイント)
自己対話ノートを始めたこと
そして最近、感謝ワークを始めた。(これはまだ始めたばかり)

悪いスパイラルがあるように、良いスパイラルもあると実感している。この1ヶ月弱の私は、完全に良いスパイラルに乗っていると思う。
つまり・・
親友コマキと4時間の長電話をし、楽しい気持ちになった。その時、「Youブログ書いちゃいなよ!」と言われ、盛り上がった気分のまま速攻noteアカウントを作り、noteを書き始めた。
noteを書き始めたら楽しくなって、自己対話ノートもやりたくなった。
自己対話ノート始めたら、脳内スッキリ、さらに楽しくなってきて、早起きする元気が戻ってきた。
早起きできるようになったら、いい調子が日に日に戻ってきて、やる気がじわじわ戻ってきた。
やる気が出てきたから、感謝ワークをじっくり丁寧にやる気になった。
感謝ワークをやったら、超ド級に意識の変化が起こり、「既に、今この瞬間、なんという豊かさ、なんという恵みに満ち溢れていたんだろう!!ありがとうございます(感涙)」と、感謝モードになった。感度の高い感謝センサーがガツンと脳内にインストールされた。
精巧な感謝センサーがインストールされたから、無理やりのポジティブ思考ではなく(←これポイント)、事実として目の前にある恵み、ありがたいことを自然と感じられるようになった。(=受け取れるようになった。)
毎日、豊かさ、喜び、幸せ、感謝を感じられるようになった。
だから、状況は変わっていないのに、「ありがたくて幸せな毎日🥰」になった

この時点ですでにハッピーなのだけど、オマケ的にというべきか、以下のことも起こり始めた。
私が「ありがたくて幸せな毎日🥰」を過ごしていたら、パートナー氏も穏やかでハッピーそうになり、今まで私に文句言っていたこと、例えば「早起きされると寂しい」とか、「あれも一緒にやりたい、これも一緒にやりたい」などを言わなくなり、私のストレスが減った。
それによって、私はさらに感謝できることが増え、さらに「本当にありがたいなぁ💖」と感じることが増えた。
ますますハッピーでご機嫌でいられる環境や状態に、実際に現実が変化し始めている

ここまで書いて気づいたが、いわゆる『引き寄せの法則』が言ってるのは、こういうことなのだろうか?!
『引き寄せの法則』とか言い出すと、なんだかよく分からなくなってくるけれど、要するに「良いスパイラルは、自分でつくり出せるよ❣️というか、自分でしかつくり出せないんだよ❣️そしてそれには、今置かれている状況や環境は、一切関係ないんだよ❣️」というシンプルな話なのかも。
まぁ『引き寄せの法則』かどうかはどちらでも良いのだけど。
ただ、今回の「良いスパイラル」の流れを振り返ってみると、一番最初のドミノを倒してくれたのは、大親友コマキであり、自分で作り出したわけじゃない気がする。いや、でも、たとえ彼女がアドバイスをくれたとしても、私自身がnoteや自己対話や感謝ワークをしなかったらスパイラルは始まらなかったから、そう考えると、やっぱり、自分でつくりだしたとも言えるのかな。
でも、コマキとの電話がなかったら、noteや自己対話ノートをやるというアイディアは浮かばなかったし、たとえ浮かんだとしても、やる気力は湧いてこなかったと思うから、やっぱり自分だけの力じゃない。
振り返ってみると、今までの人生の中でも、そういうことがあった。
どん底で、「もうダメだ・・・」と落ち込み、途方に暮れ、果てはうつ状態を彷徨う時。いつも、どこかから助けの光が差し込んだ。それは、今回のように友の優しさであったり、なんとなく手に取った一冊の本だったり、たまたま目にしたWebページの情報だったり。形は色々。
その一縷の光を、私は掴む。それを支えに、少しづつ、立ち上がる。そうやって、いつも立ち上がってきた気がする。絶望的に深い穴からも。
そのことを思うと、良いことスパイラルの最初のドミノを倒すのは、「助けの光」と自分との、協力プレイだ。自分だけの力じゃないし、誰かや何か、自分の外側の力だけでもない。自分と「助けの光」との、協力プレイ。
そして、助けの光はいつも、必ず、現れる。それは絶対に私を(私たちを)見離さない。だから、絶対大丈夫。この世界は何があっても、絶対に大丈夫にできており、私たちは大きな何かに、いつも守られている。
そう想うと、本当にすべてが、ありがたい🙏。

ここまで書いて思い出した詩がある。
私はどこか特定の宗教には所属していないけれど、神様とかSomething greatの存在は信じている。以下、とても美しい詩なので掲載させていただく。

「浜辺の足跡」

ある日、私は夢を見ました

浜辺を神とともに歩いている夢を

海の向こうの大空に、私の今までの人生の光景がはっきりと映しだされ

どの光景の前にも、浜辺を歩いている神と私の二組の足跡がありました

最後の光景まで来たときに振り返ってみると

ところどころ足跡が一つしかないことに気づきました

悲しみに打ちひしがれているときでした

私は、あえて神に尋ねました

私があなたについていくと言ったとき

いつも私のそばにいてくださると約束されたのに

どうして

私が一番あなたを必要としているときに、私を見放されたのですか

神は答えておっしゃいました

私の大切な愛しい子よ

私は決してあなたのそばを離れたことはない

あなたが見た一つの足跡

それは

苦しみや悲しみに傷ついたあなたを

そっと抱きあげて歩いた私の足跡なのだと

作:マーガレット・パワーズ 訳:中野裕弓


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?