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檸檬読書日記 本棚のストーカーをしています。 5月1日-5月7日

5月1日(月)

毎月恒例神社参拝の日。
毎回、というか天気の悪い日に思うのだが、参拝した後に光が差すのは何故なのだろう。
今日も空は少し曇り空で、少し肌寒かった。けれど参拝した後急に光が差して、暑くなったのだ。
不思議だ。


糸井重里『金の言いまつがい』を読み始める。

高校の頃の担任の先生が、受験生であった私たちに向かって話をしていたときのこと。
「わからないことは、そのままにしないで、すぐに質問すること。いいですかぁ~、聞くは一生の恥!」質問しづらいです……。

もう最初から面白い。
ただ、思わずにまっとしたら「どうした?」とバレてしまい、仕方なく見せたら、自分以上にゲラゲラと笑っていた。それに釣られて自分もゲラゲラ笑ってしまい、なんがか2倍楽しめてしまった。 



5月2日(火)

種から植えた植物たち、トマトやナスや紫キャベツやブロッコリーなんかが順調にすくすく育っていて、嬉しい。
何よりも、トマトやナスは種からは難しいと聞いていて、なかなか芽が出なかったから、余計に嬉しい。
薬も栄養も敢えて使わないから成長は遅めだけど、今のところ順調だからにまにま。
いやー、それにしても種からだと、可愛さも倍増だな。このまま順調に育ってくれー。

それにしても、今回はほとんど種で育てているからか、苗だらけになってしまった…。狭い。
まあ仕方ないか。


春前にやって失敗したスプラウト(空芯菜)を再挑戦してみたら、大成功した。
やはり温度が問題だった模様。嬉しい。
味噌汁に入れて食べよ。


さだまさし『本気で言いたいことがある』を読む。

どうも世の中ピンチだなあ、と思っていても、何時か誰かが、例えばウルトラマンなんかが助けに来てくれるんじゃないか、なんて子供じみた逃げ場に平然と心を逃がしてしまう。この国がピンチでも絶対にウルトラマンは来ない。

やっぱり自分たちで、どうにかこうにかしていかなくてはいけないんだろうなあ。
現実の世界に生きている以上、現実に向き合っていかなくてはいけないよなあ。
むしろ自分自身がウルトラマンになる、という気持ちが大事なのかも、かも?(少し違うか?)



5月3日(水)

丸谷才一『輝く日の宮』を読み始める。

花は落下、春は微風の婀娜(あだ)めく午後、純白の水平服の上衣に紺の襟、繻子のタイふうはりと結んで、プリーツ寬けくつけた紺のスカートの娘、三番町ほ路すたゝと歩み来つて、小ぶりの門に松寓と表札のある二階家へ。迎え出た婆やが、制服の肩の花びら二つ三つ摘み、ちらゝと宙に舞はせ、
「まるでお芝居の雪。」
と呟いてから、
「お帰りなさい、真佐子様。図書館はお目あての本、ございました?」
と問ひ掛け、答える暇もあらばこそ、
「さうゝ、さつきお使ひが……、」
と差し出せば広やかな玄関の暗闇に角封筒の白ほのか。

うんぬん。
この物語、冒頭がこれである。
最初から驚いた。なんだこれはと思ってしまった。古典書と間違えたか?と思ったけれど、現代小説であるようで、その上この感じが最後まで続く模様。

内容は、国文学者である女性が、ひょんなことから『源氏物語』の隠された巻「輝く日の宮」が本当に実在していたのか、実在していたとして内容はどういうものなのか、を探るといった話らしい。

『源氏物語』が好き、というか昔からの癖で見つけると読んでしまうというのがあって、これも思わず手にしてしまったが、なんやら難しそう。
とりあえず頑張って読んでみよう。



5月4日(木)

檸檬カット屋さん営業日。
父親と祖父の髪をカットカット。
500円ずつもらう。ただ、父親だけが間違えて100円玉6枚くれた。600円!あえて黙っておく。こどもの日も近いということで(血縁関係はなくなることはなく、子どもという位置づけは変わらないということで)有難くもらう。
合計1100円!結構いい本が買えるぞ。ほくほく。


祖父の家の近所に、ネモフィラが一面咲いているところを発見。
結構綺麗だったから、有名なネモフィラ畑のある茨城県だとかに行かずともこれで充分だなと、満足。(安上がりなやつだ)


さだまさし『本気で言いたいことがある』を読む。
日本は、他国と接していない島国で、それが故に「独立」や「国を守る」といった点が希薄であるという話。

(略)目先の権威に弱いこと、他国が遠いので自他を比較できず、視野が狭くなることなどは、この国の大きな欠点の一つでしょう。「お上」頼りで生きてきた長い時間は、国民自身が自らの視野を広め、自らの意志を動かしてゆくという「自立心」まで削いでしまったのかもしれません。
力を持つ人に盲目的に従う方が「楽」だという考え方は危険です。それは自ら切り拓かねばならない筈の「未来」へ、自らを塞ぐことになるのだと気づくべきでしょう。
今不安はありますか?
たとえば「日本国」という私たちの国の未来を思うことはありますか?
もしもその未来が不安なら、あなたは舵も帆もない船に乗せた自分の子供たちやその子供たちを、その不安な海に、平気で送り出すことが出来ますか?
もしこの日本を愛するなら、国際的なスポーツの場だけに愛国心を発揮するばかりではなく、もう少し真剣に日常のこの国の「未来」を思ってみませんか?

僕はこの国の未来が少し不安なのです。

自分も凄く不安に思う。
言うことを聞く、というのは時には良い方向へいき、結束力を持たせる素晴らしい力になる。
けれども、あまりにも言うことを聞きすぎて、従うことに抵抗感がなく、間違えることはないと絶対的信頼感を抱きすぎていて、少し不安になる。
おそらく今、1番「愛国心」がないのは、上なのではないのかなあ。あらゆるものを売り、言われたものは買い、そして危ない方向へと向かおうとしている。
だから不安で仕方ない。

「突然」というものには、何かしらの裏や意図があると思っている。
「突然」米が余ったと言ったり。
「突然」牛をなくそうとしたり。
「突然」種苗法を作り、種を作らせないようにしたり。
「突然」電気がないと言ったり。
「突然」電子マネーに切り替えようとして、なのに新しくお金を作り替えようとしたり。
「突然」国民に番号をつけ、それを保険証や銀行と紐漬けようとしたり。

並べればきりがないけれど、全ては「愛国心」ではない理由で行われている。
ただ、どう思うか、どう捉えるは、その人次第で自由だと思う。
けれども、大事な「未来」のために、少しでも考えて、いつもとは違う方向で調べて、あらゆるものを見て、判断してもらえたら嬉しい。
未来が明るいものであるように、願わずにはいられない。どうか、どうか。



5月5日(金)

朝、気づいたら手に切り傷があった。
どこでやったのだろうと首を傾げる。そういえば昨日の夜から、ぴりぴりしていたような気もするけど、やはりどこでやったかわからない。不思議。
基本的にぼんやりしているから、ふと気づくと負傷してることが多々。気をつけなくてはなあ。

落合さより『ぎんぎつね』5巻を読む。
神社の娘であるまことは、神使を見ることができ、まことの住む神社には狐の神使・銀次郎がいた。
未熟ながらも、他の神使や神社をとりまく人々、神社とは関わり無かった人と関わることで、前に進んでいく。神と人を繋ぐ、出会いの物語。漫画。

「お賽銭は……
元々はお米でした
秋の実りを感謝して 神様にお供えしていたものです
現在ではお米の代わりにお金をお供えするようになりました
今も昔も変わらないのは神様への感謝だったり
想い・願いの込められた大切なお供えだという事です」

神様とは元々、五穀豊穣を願ってできたものだと聞く。
それはいつから変わったのだろう。
いつから食べれることへの感謝や、食べ物ができることへの感謝が薄くなってしまったのだろう。
お祭りも、いつからあんなに危ないものになったのだろう。
いつから神様のためにひらくものでなく、人のためにひらくものになったのだろう。
うーむ。でもそういうのを調べてみるのも面白そうだなあ。

それにしても、この漫画を読むと、人を見守る側からすると、人は本当にあっという間の人生で、儚い存在なんだなあと思わされる。
だからこそ、とても短い人生を大切に過ごしていかなくてはなあ。悔いのないように。


丸谷才一『輝く日の宮』を読む。

いやー、難しい。
けれど、散々古典を読まされたから、慣れてきた。どれがどう変わるか分かっているから、後は頭で変換してそのまま読めばいいから、慣れると普通の文章のように読める。
ただ問題は、内容。む、難しいー…。研究所や論文を読んでるみたいに、頭の弱い自分には少し難関だ。

そしてなかなか『源氏物語』に触れない。ただ半分まできて、ようやく『源氏物語』の内容になってきたから、もう少し頑張ってみる。


そしてまた手を負傷した。
手に気をつけろということか?うーむ。
ただ単に、しゃっきりしろという可能性もあるな…。いや、手を出すなってことか?何に?うーん。



5月6日(土)

本棚が新しくなってから、毎日うっとりと本棚を見つめてしまう。
不思議なのが、本棚に空きができると、もっと空けたい気持ちが湧く。減らしたくて減らしたくて堪らなくなる。これって自分だけなのかな?

ということで、もう読まないであろう本を選別。
また空きが増えた。嬉しい。
ただ、売るとなると本を買いたい欲求がむくむく湧く。
結構減ったし、たくさん買ってしまおうかなとそわそわしていたら、鬼のような天使が現れた。
「売ったとて、積読本が減ったわけではないぞ」
おっしゃる通りで、ぐうの音も出ません。
でも買います。(え)

本棚といえば、本好きあるあるだと思うけど、他人の本棚を見るのが凄い好きで、家に上がると必ず本棚を探してしまう。
ただ不思議なのが、本棚は自分の中身を見せるようなものだと思うから、自分は見せる時少し照れながら見せるのだけれど、他の人は大概普通に見せてくれる。一応「見てもいい?」と了承を得てから見るようにしているのだが、皆結構軽い感じで「いいよー」と了承してくれる。聞いたこちらが「え、いいの!?」と思うほど。
見てる時もほったらかしだし、自分だったら近くでそわそわしてしまうけどなあ。(改めて考えると、うっとおしいな)
自分が照れすぎなのか?うーん。

本棚といえば(まだ続くのか)、他人の本棚を見るのが好き(異常に)だから、よくネットで検索して探してしまう。(本棚のストーカー状態)
検索の仕方が悪いのか、あまり出てこないけど…。(皆もっと載せてくれないかなあ。)
末に素敵な記事を見つけてしまった。
「北欧暮らしの道具店」というサイトがやっている記事。

本棚の紹介をしてくれているのだ。もう、最高かな?
写真を拡大して、中の本を見るのが楽しい。
そして同じサイトで、素敵な記事を見つけてしまった。

大好きな穂村弘さんの記事というか連載があった!しかも読書日記…!ありがとうございます。

けれど正直なところ、この内容を本という形で発売してくれないかなと願ってならない。
何故なら、自分はとてつもなく目が弱い。光に凄く弱いのだ。(びっくりするぐらい個人的な理由だな)
太陽の光も少し苦手で、目が全開に開けてられないし、しょぼしょぼする。同じように電気や画面の光も弱くて、長時間見ていられない。
写真ならまだ良いけど、文字は結構きつい。
だから電子書籍も使えぬ。否定も肯定もしないけど、全部電子書籍になったら自分は終わってしまう…。なのでなにとぞ、紙をなくさないでください…。

そもそもnoteもやってるのに何言ってるんだ、という話だけど。
そして自分の記事も毎度毎度長いのに、どの口が言ってんだという話だけど。
まあ頭弱いからなあ。自分で自分の首しめるようなことばかりしてしまう。どうしようもないなあ。

ということで(どういうことで?)、紙の本にしていただけないかなあ。どうかお慈悲をー。
できることを願って、とりあえず読むの止めとこうかな。ならなそうだったら、こっそりコピーして、1人で楽しむという手も…。



5月7日(日)

さだまさし『本気で言いたいことがある』を読み終わる。

一言でまとめるなら、最高だった。
まるまる載せてしまいたいくらい、どこも良かった。(まあ、時には自分の考えることとは違うなという箇所も、勿論あったけど)
つまりは、色々な人に手に取ってほしい本であった。

嘆きや不安は、共感を覚えることも多々あり、この本は2006年に発売されているのに、変わっていないことを思うと、より不安も覚えたが、現実がよりクリアになった気がした。
より、頑張らなくてはと背中を押された気がした。
ここには載せてない家族間の話も興味深かった。

真っ直ぐで飾り気がない言葉は、それだけ真摯さを感じて、一気に好きになってしまった。
歌はあまり聞いたことがなく、名前だけぼんやりと知っている程度だったが、無性に知りたくなった。
最初の目的だったエッセイも、今度読んでみようと決意。

そういえば、本の中で小泉八雲の『明治日本の面影』という本が載っていて、凄く興味を惹かれた。小泉八雲といえば「怪談」で、ビビりな自分は1度も作品を読んだことがなかったけれど、『明治日本の面影』は読みたくなった。
この本は小説ではなく、外国人である小泉八雲が、外国人目線で日本のことを書いた本らしい。

検索したら、2冊ヒットした。

角川ソフィア文庫の『日本の面影』上・下巻
講談社学術文庫の『明治日本の面影』

どうやら訳者が違うらしい。
表紙だけでいうと、角川の方が好み。訳も若干角川の方が読みやすい。値段はそれほど変わらない。ただ内容の充実感は、さださんが読んでいた講談社の方が良さそう。訳も頭の弱い自分でも問題なさそうだから、講談社の方に決定。今度買おう。


丸谷才一『輝く日の宮』を読み終わる。

最後まで難しかった。
『源氏物語』の話が本格化してきた後半辺りから盛り上がってくるけれど、『源氏物語』は勿論、古典に興味がない人は辛そう。言葉の問題もあるだけに、かなりの古典好きでなくては、難しい作品でもあった。

ただ、古典や『源氏物語』好きには、堪らぬ作品であるに違いない。
よく調べ挙げられていて、個人的には『源氏物語』は関係ないが、芭蕉の話が興味深かった。

『源氏物語』の箇所でいえば、やはり「輝く日の宮」が消えた理由としては、藤原道長が関係していると落ち着いたところ。
同じように「輝く日の宮」をテーマにした『千年の黙  異本源氏物語』でもそう落ち着いていて、ただ中身は違うから、合わせて読んで違いを比べるのも面白いなと感じた。
森谷明子『千年の黙  異本源氏物語』は、こちら↓

にも少し載せていて、作者である紫式部が主人公で、紫式部本人からアプローチした話。
個人的には、読みやすさと真相の迫り具合から『千年の黙  異本源氏物語』の方が好みではあった。



今回、もしかしたら最長になったかもしれない。
自分のように光に弱い人には、全く優しくない長さ…。自分自身も読み返すのに何度も休憩を入れたくらい、長くなってしまった…。(阿呆だ)
頭が弱いと反省せず、むしろ反対の方に突き進んでしまうのかな。うーん、どうしようもないな。
次こそは…。

ここまで読んで頂き、ありがとうございました。
ではでは。

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